6-5

 正午。私たちは行きつけのお好み焼き屋さんで昼食を取っていた。勿論、焼き担当は大阪人である私だ。華麗なヘラ捌きをお披露目すると、二人は目を輝かせて歓喜の声を上げた。

 ふっくらと焼けた豚玉のお好み焼きへソースとマヨネーズ、青のりの上に鰹節を踊らせれば完成だ。演奏会を無事に終えてハラペコの私たちには、濃厚なソースの香りなど食欲をかき立てる媚薬でしかない。


「はふ……っ! ん~、おいしいのだぁ」

「本当だねぇ。本場のお好み焼き、初めて食べます。キャベツ、ネギ、豚肉、紅ショウガ……まるで音楽みたいに色々な味が調和していて美味しいです」


 熱々のお好み焼きを幸せそうに頬張る広君の隣で、相変わらず和矢君は哲学的な感想を述べた。とりあえず二人のお口に合ったようなので一安心だ。

 なおソプラとテナーには、近くの公園で子供の姿をして遊んでもらっている。


「あ、すみません……。僕、ついこんな堅苦しい言い方してしまうんですよね」

「ううん、気にしないで。和矢君は論理的なんだね」

「和矢は頭がいいのだ。全国模試一位で、あいきゅー190の持ち主なのだ」


 鼻息を吹いて誇らしげに語る広君の言葉に、私は思わず耳を疑ってしまった。IQ190なんて頭が良いどころの騒ぎではなく、そんな逸脱の秀才に会うのは初めてだった。どうりで発言が中学生らしくないわけだ。


「そんなのはどうでもいいんだよ、広。それにしても、最高の演奏でしたね」


 当の和矢君はあまり話題にしてほしくないようで、困った顔をして広君を宥めて話題を変えた。だから私もそれ以上は彼のことに触れず、先ほどの三重奏の話へ乗ることにした。


 たった一時間の練習で披露された剣の舞は大成功に終わった。ただその練習がかなりハードで、負けず嫌いの広君は私がついてこられないようにテンポをどんどん上げていったのだ。

 ところが私がその速さを弾ききると、もはや小学生が弾くとは思えないスピードにまで到達し、和矢君が「もうムキになるのは止めな!」と規制をかけたところで終了した。今考えると私も大人げないことをしたものだ。


 でもこのスピード勝負を経て、広君の私に対する態度は少し変わった。

 同じ音楽家なら相手がどれほどの技量を持っているのか演奏すれば分かること。何事も高いテクニックを持っている人物には魅力を感じるものであり、広君も私のことを音楽家としてはちょっとだけ見直してくれたようだ。


「和泉さんのヴァイオリンには勝てないですよ。ねぇ、広」

「別にぃ。この人は大人なんだからできて当然なのだ。だから子供の僕のほうがずっとずーっと凄いのだ」


 ……うん、本当にだけかも。まだ名前で呼んでくれないし。それを聞いた和矢君も小さく溜め息を吐いた。


「この人って……〝和泉さん〟だろう。そういえば、和泉さんは日向さんたちのことを名前で呼ばないんですか?」


 2枚目のイカ玉のお好み焼きを作っていると、不意に投げられた和矢君の質問に思わずヘラ返しを失敗してしまった。お陰で広君から「ヘタクソー」という強烈なツッコミを受けてしまい、慌てて形を整える。

 確かにかなり親しくはなったけれど、出会ってまだ一ヶ月も経っていないのに名前で呼ぶなんて馴れ馴れしくて、私はあの三人を名字で呼び続けている。それに今まで同級生の男の子を名前で呼ぶなんてしたことがないから、変に緊張してしまうのだ。


 ちなみに今日は彼らに会う予定がない。荒井君は今日もバイトで、高杉君も珍しくバイトが入ったと聞く。シェアハウスでの生計を立てるために、彼らにとってバイトの収入は欠かせないだろう。来月から社会人の和田君はフリーだけど、今日はファゴットの調整をするために楽器屋さんへ行くそうだ。


 でも、ここ最近は常にあの三人の誰かが傍にいたからか、何だか少し物足りない気がする。


「僕も聞いてて変なのだ。せめて日向のことは名前で呼べばいいのだ。二人は前、付き合――」

「っうわぁああ、広ッ!」


 何かを言いかけた広君の口を、和矢君が慌てて塞いだ。最後のほうは和矢君の大声で良く聞き取れなかったけど、前世で私と高杉君は何かあったんだろうか。高杉君がなんだか遠く感じるのもそのせい……?


「なぁに?」

「いえッ、なんでもありません! それよりこの後、僕たちを大阪観光に案内してくれませんか!? 通天閣とか行ってみたいです!」


 捲し立てるように話す和矢君に昨日の荒井君の姿が重なる。嫌だな、疑わないって決めたのに、また隠しごとがあるんじゃないかと勘ぐってしまう。それを私は首を振って払った。


「喜んで。好きなところ連れていってあげるね」


 精一杯の笑顔で、そう答えた。




 地下での優雅なお茶会には、紅茶のような人間どもが口にする洒落たものなど並ばない。大体、あんな味のない汁を人間はよく飲めるものだ。我々が茶として頂くのは、ドブ水のような澱んだ色の液体である。これくらい濃くないと茶ではない。


「暗里様。ティータイム中に、失礼いたします……」


 落ち着いた声と共に片膝をつき丁寧に頭を垂れたのは、黒と金のメッシュ髪を頭の両端で可愛らしくお団子に纏めた少女だった。お茶請けとして用意したパサパサのケーキをつまみながら、私は彼女を見下ろした。


「準備が整ったようだな。其方には期待しておるぞ、かく

「はっ、この角にお任せくださいませ。脳筋バカの、羽よりかは数百倍も、お役に立てましょう」

「くく。お前にまで小馬鹿にされるとは、あの世で羽もさぞ屈辱であろう」


 思わず私が笑い声を上げると、角も静かに笑みを浮かべた。

 この可愛らしい顔をして辛辣な言葉を吐く彼女こそ、五音衆の一人である角だ。幼いながら忠誠心が強く、私のことを心から慕ってくれているらしい。


「出立の前に、愛しい暗里様へ、お菓子の差し入れを、と思いまして」


 そう言って角は小走りで私の近くまで寄ると、机の上へ紙に包まれた何かを3つほど置いた。どれどれと開いてみれば、コオロギのクッキーやバッタのチョコレートがけ、蟻の金平糖といった角特製の菓子であった。ご覧のとおり全て虫。


「……ありがとう、嬉しいぞ角よ」

「お喜びいただけて、何よりです」


 私は虫が苦手だから〝食べる〟とは言わぬが。

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