第5曲 negligente ―息抜―

5-1

 変換機の準備がようやく整ったところで、私は羽の封印の顛末を偵察部隊から報告を受けた。

 やはり怪力馬鹿では奴らに対抗できなんだか。


 しかしハンマー使いを相手に、レイピアの安芸はよく健闘したようじゃないか。現世の奴らにも心体増強モジュレーションは使えるらしい。己の身を削って戦う滑稽な姿を、いつかこの目で直接見たいものだ。


 だが意外だったのは、和泉が封印術をこの戦いで取得したらしいという報告。

 とは、どうゆうことだ。今までは使えなかったということか?


 あの女、何か秘密があるのか。


「如何いたしましょうか、暗里様」

「羽には期待しておらぬかったから、この失敗は目を瞑ろうぞ。かくに戦闘の準備をさせろ、次は無様な負け方など許さぬ。他の仲間どもが集結する前に、和泉の秘密を探らせるのだ」


 私の命令を聞いた偵察役は「御意」と返答をすると、黒煙を巻いて姿を消した。

 奴らの動向の様子見はこれくらいでいいだろう。そろそろこちらも本気で潰しにいかせてもらうぞ、国守護楽団。


「では2つ目の音を落とすとするか。周波数変換機ジャミーヴ、発動!」


 スイッチが光り、機械は特殊な電波の放出を開始した。

 この電波を発動するのは二度目である。一度目の発動は半月ほど前であったか、D3の音は回収できる周波数まであと少しのところだ。


 奴らの力の源である音を奪えば、我々が勝ったも同然である。

 その計画が知らぬうちに着々と進んでいるなど、知る由もなかろうがな。




 それに気づいたのは今日、朝食を口にしながら家族と情報番組を見ていた時。

 爽快な曲調のテーマソングに違和感を感じ、その理由が分かった私は愕然とした。


 ただでさえD3の音だって日に日に少しずつ下がっていて、それを我慢するのでも精一杯だというのに、G3の音が……『ソ』の音が低く聞こえるのだ。


 心臓が大きく脈を打つ。昨晩は遅くまで荒井君たちのシェアハウスでお世話になっていたけれど、戦いの疲れがまだ残っているのだろうか。そうであればいいけど、もしもそうじゃなかったら?


「最近は不可思議な事件が増えてるようね。和泉も近頃は帰りが遅いみたいだから、気をつけなさいな」

「あ、はい……」


 母に返事をしたものの、正直何を言われたのかは頭に残っていない。

 早急に食事を済ませると、電光石火の早さで支度をして私は自宅を飛び出した。


 でも街の中に出ると、その疑惑は確信に変わる。電車の発車音も、救急車のサイレンも、誰かのイヤホンから漏れる音も全部、G3の音が低くしか聞こえない。幸い人の声や自然音には感じないけれど、もしかしてこのズレは、いずれ全ての音階に感じることとなるのだろうか。

 体中が〝嫌だ〟と叫んでいた。そうなればこれからの合奏は益々苦痛になるだけ。大好きなオーケストラを嫌いにはなりたくないのに。


 どうしたらいいの……?


「絶対音感なんて、ないほうが良かった」


 楽団の練習室の前まで来たけど、部屋に入る勇気がなく、そう呟いた。

 練習、したくないな。


「……おい」


 後ろから声をかけられて小さく悲鳴を上げた。

 声の正体は高杉君だった。隣には和田君もいるけれど、荒井君の姿は見当らない。もしかしてまだ具合が悪いのだろうか。


「お、おはよう。荒井君、まだ調子は悪そう?」

「あぁ、いや……。安心しろ、傷は回復してる。けど昨日の今日だし、まだ安静にしてろって説得して置いてきた」


 確かに、あんなに身体を酷使したのだから荒井君はまだ休んだ方がいいと思う。でも二人だって羽と激しい戦いをしていたのに、それが嘘のようにいつもと変わらない様子だ。


 実は、これにはブリッランテならではの秘密がある。


「そっか。でも良かった、荒井君が元気になって。私、クラシックを聞けば治癒力が上がるなんて知らなかったよ」

「悪ぃ、隠してたつもりはなかったんだが」


 昨晩、荒井君の代わりで和田君が家まで送ってくれたのだけれど、そこで彼が「変化ヴァリエ中に受けた損傷は、クラシックを聴けば治りが早い」と教えてくれた。言われてみれば帰り際、姿が見えなかった高杉君の部屋からも、モーツァルトの曲が微かに聞こえていた。どうりで皆、戦闘の翌日でもピンピンしていたわけだ。


 どうやら変化ヴァリエ中の私たちは特殊な体質になるらしい。まぁ、戦闘中の彼らの身体能力だけ見ても常人ではないし、そもそも『変化ヴァリエ』自体が非現実的なのだから、今更もう驚くことではないだろう。

 でもブリッランテにとってやはり音楽は、なくてはならない力の源なのだと改めて感じる。


「で。絶対音感なんてない方がいいって、どうゆうことだ」

「え……、それは……」


 荒井君の話をすることで誤魔化したつもりだったけれど、やはり高杉君は私の独り言を逃してくれなかった。

 でも彼らにはあまり迷惑をかけたくなく、思わず口籠もってしまう。


 すると、それを見ていた和田君が小さく溜め息を吐いた。


「一人で抱えずに吐き出したほうがいいんじゃね? 団長オッサンにはお前らが遅れるって言っとくから、話聞いてやれよ日向」

「な、何でそうなるんだよ」

「顔に〝シンパイ〟って書いてあるから」


 和田君の言葉に、高杉君は顔を赤くして声を失ってしまった。それに構うことなく、和田君は練習室の扉に手をかけると「じゃ、よろしく」とだけ言い残して一人中に入ってしまったのだ。私と高杉君との間に気まずい空気が流れる。


 えっと、どうしたらいいんだろう。


「わっ私、大丈夫だから! 私たちも中に入ろうっ!?」


 恥ずかしさに耐えられず、そう言って私はドアノブに手をかけた。

 でもその手を高杉君に掴まれて止められてしまった。驚いて彼の顔を覗けば、真っ直ぐに私を見つめる瞳と目が合う。


「……少し、歩くか?」


 その眼差しに、私は黙って頷いた。荒井君と二人の時は気楽に話せるのに、どうして相手が高杉君だとこんなに胸が高鳴るのだろう。

 二人で向かったのは練習室からほど近いところの、日当たりの良い槇尾川沿いだ。まだ朝早い時間帯だからか人の姿はまばらだった。


 以前に偶然カフェで会った時の帰りのように、私は高杉君の少し高い背を見ながら彼を追いかけた。

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