4-6
高杉君に吹き飛ばされた大男は、大木に激突してすっかり伸びてしまっている。その様子を和田君に注視させて、高杉君は私たちの方を静かに見つめると、片膝を折ってしゃがんだ。
「高杉君、どうして……」
「何となく嫌な予感がしたんだよ、虫の知らせってやつだ。お前は無事か? 和泉」
その問いに私が頷くと、彼は安堵したように小さく溜め息を吐いた。でもすぐに私の膝に頭を乗せた荒井君の顔を覗き込み、険しい表情に変わる。
「
「荒井君は『モジュレーション』という術を使ったの。それであの大男と戦っていたんだけど、急に苦しみ始めて」
「アレを使ったのか……、
つまり戦闘能力に足した数値分、効果が切れた時に自分の体へ負荷となって返ってくるということ。荒井君が使ったのはプラス3の短3度。高杉君によれば、これはまだ負担がギリギリ軽いといわれる範囲のようだ。
とはいえ、そもそも自分の持つ限界数値を上げること自体が大きな負担なのだから、その反動は凄まじい。
「バカ安芸、無茶しやがって。お前一人で背負うこたねぇだろうが」
高杉君はそう言いながら荒井君の胸の辺りを軽く殴った。でもその行動には、心から彼の身を案じる気持ちが伺える。
その時、吹き飛ばした大男が呻き声を上げて、不気味にその場へ立ち上がった。手首を落とされて怒りがピークに達しているのか、ただ歯の隙間から零れるような呼吸を繰り返し、私たちを鋭い眼光で睨みつけていた。
全身から血を垂れ流しているのに、まだ戦おうというのだろうか。やはり封印するまで奴の動きは止められないらしい。
「安芸一人なら
大男の動向を見張っていた和田君がそう言うと、高杉君は静かに「そうだな」と口にして立ち上がり、サーベルを構えている彼の隣に並んだ。そして同じくロングソードを構えて前を見据える。
「
「どうする、首でも刎ねときゃ動きは止まるか?」
どうやら二人はあの大男の正体が分かっているようだった。そして彼らは〝封印ができない〟ことを懸念している。悪気はないのだろうけれど、その事実が私の心に深く突き刺さる。
でも高杉君は予想外の言葉を口にした。
「まぁ最悪は俺らで何とかするしかないが……まずは和泉、お前がやれ」
「……え? でも私、まだ封印の呪文が」
五音衆と呼ばれた大男は、一歩一歩を地に響かせるような遅い歩みでこちらに向かってきている。奴に視線を向けたままの高杉君の背中にそう答えたけど、彼は食い下がった。
「あの大男、羽に刺さってるのはお前の矢だろう。あそこまで扱えるようになったんなら、あとは呪文を思い出すだけだ」
「か、簡単に言わないでよ! 私は高杉君たちと違って記憶が――」
「無茶を言ってるのは百も承知だが、方法はそれしかねぇんだ! 俺と近江で奴を食い止める、その間に自分へ問いかけてみろ。お前の中には間違いなく前世の和泉の魂が眠っているんだ、
2メートルの距離まで近づいたところで、高杉君が羽と言った大男が咆哮した。すると切り落とした手首から、ハンマーのような形の塊が生えてきたのだ。先ほどまで扱っていたハンマーよりは小ぶりだけれど、まさかの展開に二人は警戒を強めて剣を握り直す。
10分だ、と高杉君は続けた。
「それまでに封印できなければ、俺たちも
そう言い残すと私の反論も聞かずに、高杉君と和田君は羽を目がけて突撃を開始した。奴は両手首に直接生えたハンマーを振り回し、荒井君よりもパワーがあるはずの二人を相手に、引けを取らない激戦を繰り広げている。
〝10分だ。それまでに封印できなければ、俺たちも
高杉君の言葉を脳裏で反復した。恐らく二人は荒井君が使ったよりも上の度数で羽の動きを封じようとするだろう。でもそんなことをすれば、二人の命が危ないのは明白だ。
何としてでも思い出さなきゃ、封印の呪文を。
私は目を閉じて、頭に浮かぶあらゆる言葉の記憶を辿った。
でもそんなもの出てくるはずがない。そもそも身に覚えのない記憶を探るなんて無理な話なのだ。気が焦るばかりで、ただ時間だけが過ぎていく。
〝お前の中には間違いなく前世の和泉の魂が眠っているんだ、アイツなら応えてくれるはずだ〟
何も感じないよ、高杉君……どうしたら。
そう思った瞬間に私はハッと目を開いた。
私と、前世の私が繋がっているものが、1つだけあるじゃない。
そうと決まれば私は弓を掲げて叫んだ。
「
その発言を聞いて、高杉君たちは心底驚いたに違いない。私はこの期に及んで武器をヴァイオリンに戻したのだから。
「くっ……! おい日向、やっぱり無理なんじゃないのかッ!? もうさっさと俺たちで――」
「いや、まだ待て」
私は荒井君を丁寧に地面に寝かせて立ち上がると、全ての雑音を自分から吐き出すように深呼吸してヴァイオリンを構えた。そして、ある曲を弾き始める。
「……ガヴォット、か」
羽の肉のハンマーを切り裂きながら高杉君が呟いた。その声も壮絶な戦いの音も、私の耳には届いていない。
高杉君はこの曲を前世の私も好んで弾いていたと言っていた。これが私と前世の私を繋ぐ唯一のアイテムだとしたら、曲を通して何か応えてくれるかもしれないと思ったのだ。
お願い和泉、応えて。
もうこれ以上、私のせいで誰も傷つけたくない……!
すると次第にぼんやりと頭の中に、ある映像が浮かんできた。私を囲み楽しそうに笑う大勢の人たち。その中には見知った姿の人もあった。彼らも一緒に楽器を弾いていて、有意義な時間を過ごしている。
場面は暗転し、何者かに私は弓を構えていた。相手は何かを話しているけれど声は聞こえない。周りでは仲間たちが必死に何かを叫んでいる。
私は彼らの声に耳を傾けず、弦を引いた。
そしてこう叫んだ。
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