4-5
「
そう叫んだ荒井君の様子が明らかに急変した。目は金色に光り、呼吸が荒くなって獣のような呻き声が聞こえる。
――怖い。何だか彼が、彼でなくなってしまうような気がして。
逃げろと言われたけれど、あんな荒井君を残して逃げられるわけがない。
「おぉおおおおおお!!」
唸り声を上げて大男に突進する荒井君のスピードは、先ほどまでとは比べものにならないものだった。あっという間に大男との距離を詰め、レイピアを左脇腹から斜め上に突き刺す。あの強靱な肉体をものともせず、奴の体を貫通して右側の脇の下から剣先が覗いた。
大男は苦痛に顔を歪めながらも、荒井君にハンマーを振り下ろす。でも彼は素早く引き抜いて飛び上がり、体を捻って反動をつけ2度回転しながら奴の顔に斬撃を加えた。1回転目は鼻の上を、2回転目は目の上から切り裂き、奴の黒い血が迸る。
「うぐぅうっ……、小ぉ僧がぁ!」
目を潰されて激昂した大男は、片手で目を押さえながらハンマーを縦横無尽に振り回した。それを掻い潜って大男に深い斬撃を加え続ける荒井君の表情は、見たこともない冷たい目をしていた。
彼が口にした〝モジュレーション〟。ブリッランテが使う呪文は全て音楽用語に関連していることから想定すると、
そして〝短3度〟。これは基準となる調から何度転調させるのかという度数を示している。短3度の場合は基準からプラス3音上げる(カラオケでいうキーを3つ上げる)という意味であり、多分これは能力の上昇値を表している。
つまり荒井君は今、自分の戦闘能力を3つ上げた状態で戦っているのだ。現に彼のスピードやパワー、反応速度などが目に見えてさっきまでと全く違う。
あの大男はそれほど強いということなの?
……だとしたら、奴を倒す方法はもしかして。
「封印……」
圧倒的な力で大男を制する荒井君の立ち回りを呆然と眺めながら、私はそう呟いた。きっと奴を倒すには封印が必要なんだろう。でもそれができないから、荒井君は体にあんなムリをさせて戦っているに違いない。
それに彼は私を仲間として迎える際に〝君のことは僕が必ず守るから〟と言ってくれている。この約束も彼を縛っている理由の1つ。
要するに全ては
無意識に握っていた弓に力を込める。またしても為す術なく手を拱いていることしかできない自分に嫌悪感しかない。
どうして私には何の記憶もないのだろう。
総長だというのならば、寧ろ私が皆を守るべき責任があるんじゃないの?
そんな自責の念ばかりに襲われていた時、突如として敏捷に動き回っていた荒井君がピタリと止まった。苦しそうに嘔吐しその場に崩れ込んだ彼は荒い呼吸を繰り返していた。
何が起こったのだろうか。私はもちろん、彼の猛攻を受けていた大男も同じことを思ったはずだ。元々傷だらけの体に、更に無数の斬撃を受けて血だらけになった大男は、かろうじて少し開く右目を凝らして荒井君を見下ろした。奴は不思議そうな顔をしながらも荒井君を蹴り上げ、彼が微動だにしないと不敵な笑みを浮かべた。
「どうやぁら電池切ぃれのよぉうだな、小ぉ僧……。この俺ぇ様を追い詰ぅめるたぁ称賛に値すぅるが、惜しぃかったぁな」
大男は気を失ってしまった荒井君の顔面めがけて、巨大なハンマーを掲げる。
私は無我夢中で本物の矢尻がついた矢を手に取った。心臓が痛いくらいに脈を打ち、手は小刻みに震えている。でもそんな恐怖心よりも荒井君を助けたい気持ちが遙かに勝っていた。
「死ぃねぇえ! 小ぉ僧ぉおお!!」
「ダメェ――――ッ!」
ハンマーを振り下ろす大男の胸辺りを狙って弓に番えた矢を放った。
ドスッ! という鈍い音を立てて、矢は見事に男の左鎖骨の下辺りに命中。荒井君が教えてくれたことは体にしっかりと身についていた。
突然自分の体を襲った衝撃に大男はハンマーを振り下ろしきる前に静止した。先ほどの威勢は何処へやら、その顔は見る見るうちに青ざめて一歩二歩と後退していく。何だかよく分からないけれど、奴が怯んでいるうちに私は荒井君に駆け寄った。
「荒井君、目を覚まして。お願い!」
上半身を抱き起こして声を掛けるも彼からの応答はない。不安に駆られて彼の胸に耳を当ててみたところ、弱々しいけれど鼓動を感じた。とりあえずは生きている。そう安堵したのも束の間、私と荒井君に西日が大きな陰を映した。
荒井君を抱き抱えたまま振り返ると、そこにいたのはやはりあの大男で、虚ろな目でこちらを睨んでいた。
「総長、和ぃ泉。小僧のぉ様子から弓ぃが扱えぬと思ぉい油断しておったぁが……。もぉしや出来ぃぬのは封印かぁ?」
その言葉に私は背中に冷や汗をかいた。確かに今のタイミングなら封印の矢を射る絶好のチャンスだったはず。この大男が先ほど青ざめたのも〝封印された〟と思ったからだった。それが通常の矢だったのだから、私が封印を使えないと敵に教えたようなものだ。
大男は左鎖骨に矢を立てたまま、呼吸こそは荒いがそのボロボロの体にそぐわない気迫を放ち、私たちに近づく。
私は諦めず、奥歯を噛みしめて再び弓に矢を番えて構えた。封印ができなくとも、私にはこれしかない。
「安心しぃろ、二人仲良ぉくあの世にぃ送ってくぅれるわぁ!」
私は大男の眉間に矢を放った。でも奴の動きは止まらなかった。絶望の中で荒井君だけは守ろうと彼を庇うように抱きしめる。
すると後方から誰かが駆け寄ってきて私たちの上を飛び、空を切り裂く軽快な音がした。直後、大男の喚き散らす声が響き渡り、驚いて顔を上げると奴の両手首がスッパリと切り離され、握られていたハンマーと共に地に落ちたのだ。
そして立て続けて別の誰かが横を通り過ぎて大男に体当たりし、手首から血を吹き出しながら奴は15メートルほど吹き飛んだ。夕日に染められながら降り立った人物たちを見て、私は思わず胸を撫で下ろした。
「高杉君、和田君……!」
頼もしい二人の仲間の姿に――。
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