3-3

 西に傾き始めた太陽の光と川の匂いに包まれながら、俺は目の前に立つ怪しい人物と対峙した。顔は隠れているから男か女かは判別できないが、先ほど聞こえた不気味な声は低かった。

 ただ1つだけ言えるのは、今までのメストとは一味違う気迫を感じるということ。これはいよいよ上位クラスのお出ましか?


 だとすればアイツの見解どおり、和泉と接触した影響なのか。


<メストの攻撃は、僕たちがブリッランテとして自覚し始めた同時期に起こった。もしかしたら奴らには、僕らの何らかの気配を感じる力があるのかも知れない。和泉はブリッランテの意識がないから奴らに気づかれていなかったけど、僕たちと接触した今、彼女の存在も知られてしまった可能性がある>


 だから目覚めたばかりの和泉を護衛しなければ……というのが昨日の夜に安芸と話した内容だ。結果、平日は別の場所でヴァイオリンを弾いているという和泉の跡をこっそりつけ回して今に至るわけだが、相変わらず安芸アイツは良い読みをしてやがる。まぁ、このストーカーめいた役目が俺というところは気に食わないが。

 和泉が使っている防音ブースとやらの場所が俺の通う大学の近くだったから、言い訳もできるとあってこの役は俺に回ってきた。ったく〝和泉のことは僕が守る〟とかカッコつけたのは安芸のくせに、バイトだとか何とか言いやがってアノヤロー。


「国守護楽団ノ日向。我ガ主ノ命令ニヨリ、オ前ヲ殺ス」

「はっ、やれるもんならやってみろ」


 顔の前に交差して広げた両手の指に、例の爆発玉を8個分挟んだポーズを取る奴に対し、俺も剣を構えて戦闘態勢に入った。背後では和泉が睡魔と必死に戦っているが、この状態でなくともコイツにはまだ戦力は期待できない。つまり俺がやるしかないのだ。


 お互いに様子を伺って一時静寂が訪れる。暫く睨み合った後、フードから覗く奴の口元がニヤリと笑った。

 来る、と思った瞬間に奴は右手の玉を投下。それを横に飛び退けて回避すると、まだ地上へ下りきらない間に左手の玉を投げつけてきた。着地と同時に上半身を捻ってその全てを剣で切り裂くと、爆発することなく地へ転がったのだ。……ほーう、切れば無効化できるらしい。


 奴は動きこそ俊敏だが、無作為に玉を投げつけてくるだけで、それ以上の大した攻撃はしてこない。俺は次々と玉を切り捨てながらも奴との間を詰め接近し、ついに背後を取った。


「ちまちま小賢しいんだよ、テメェの攻撃は!」


 そう吐き捨てて首を討ち取ろうと剣を振り下ろした瞬間、奴は焦るどころか勝ち誇ったような笑みを浮かべたのだ。

 そして1つの玉がまた放り投げられた。問題ない、まとめて切っちまえば――。


 だがその玉は切った瞬間、目が眩むほどの強い光を放った。

 やられた、閃光弾だ。


「くっ……!」

「馬鹿メ、マンマト引ッカカリオッテ」

「高杉君ッ!」


 咄嗟に奴との距離を取るために飛び退いたものの、強烈な光を浴びた目はまだ何も見ることができなかった。眠気が治まってきたのか、遠くから和泉が悲痛に俺を呼ぶ声が聞こえている。

 その間にも奴は通常の煙玉を俺の周囲に放ち、俺の動きを封じようとしていた。慌てて口元を覆うが、全身の力が抜けていくように感じる。


「貴様ガ剣ノ達人トイウコトハ分カッテイル。ダガコレデ暫クハ動ケマイ」


 嬉しそうに話す奴の声が近づき、片手で首を鷲掴みにされた俺の体が宙に浮く。かろうじて剣は握っているが、振り上げる力が入らない。

 まずい、このままじゃ本当に殺されちまう。


 その時、耳を疑う台詞が聞こえてきた。


変化ヴァリエ!」


 それは和泉の声だった。

 じわじわと首を絞められながら、俺は視線だけをアイツの方に向けた。まだ戦闘の経験もないのに、彼女は震える手で弓を構えていた。


「ば……」


 馬鹿か、逃げろ。

 そう言いたくても声は出ない。


 すると同じく和泉の様子を伺っていたメストは、フンと鼻で笑うと唐突に首から手を放し、俺は地面に落とされた。解放はされたが、まだ睡魔と息苦しさに襲われて咽せることしかできない。くそ、早く覚醒しろ!


「ソノ弓……貴様、総長ノ和泉ダナ?」

「だ、だったら何? ああああんたなんて、これで封印してあげるわよ!」


 自分に迫り寄ってくるメストに威勢良く強がっている和泉だが、その声は思いっきり怯えている。

 無茶に決まってるだろ、大体アイツがメストを封印するには呪文が必要なのだ。お前はまだそれを知らないだろうが……!


<ちゃんと和泉を守ってくれよ、日向。彼女に傷の1つでもつけたら、僕が許さないからな>


 分かってる。俺だって……和泉を死なせたくはねぇんだよ!


 和泉が矢を一本放った。だがその矢には勢いがなくメストに届くことなく地へ落ちた。当たり前だ、弓すら扱ったこともないだろうに。

 どんどん近寄ってくるメストを前にして、彼女はついにへたり込んだ。俺は剣を杖代わりにして立ち上がろうとするが、まだ足にも力が入らない。メストが腕を振り上げる姿を目にして背中が凍り付く。


「やめ……」


 止めろ! と叫びかけたが、俺がその声を上げることはなかった。


 何か大きな影が飛んできて、メストが呻き声を上げたかと思うと、和泉の姿がそこから消えたのだ。一瞬のことで目が追いつかなかったが、メストから離れた場所で砂埃が舞い上がりそこに視線を移すと、和泉ともう一人別の人物の姿があった。

 まさか安芸か? そう思ったが人影はアイツよりも背が高いように見えた。顔は見えなかったが、その人物が握る湾曲した剣と紫がかった黒い髪は、蘇った記憶の中に見覚えがある。


「何者ダ!?」


 恐らくあの人物に切りつけられたであろうメストは、そいつに向かって叫んだ。すると奴は手にしていた剣を肩に担いで相手を睨み、こう言った。


は知ってて、俺の顔は知らないのか。調べが甘いぞクソメスト」


 ……んだとコラ。

 俺が言うのも何だが、この口の悪さは間違いねぇ。


 愛用の湾刀――サーベルを振りかざして和泉を救ったのは、ブリッランテの一人である近江おうみだった。

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