第44話

 書記の引継ぎ作業のため、授業が終わると累は一香を連れて生徒会室に向かっていた。

 昨日までは嬉しそうにしていたのに、今日の一香はがっくし肩を落として背中を丸め、目立たないようにしている。

 せっかく憧れの月日と会えるというのに、覇気がない。

 生徒会室に到着する前に、累は一香の背中をドカンとたたく。


「痛っ!」

「いい加減、背筋伸ばしなよ。十条先輩いるんだから」


 一香ははあっと息を吐くと、言われた通りに背中を伸ばす。ボキボキと音が鳴った。


「ごめんね、山田さん。いつも迷惑ばかりかけちゃって」

「うん、ほんとそれ」

「……オブラートに少しはくるんでくれてもいいのに」

「そういうの面倒くさい」


 累は扉に手を伸ばして挨拶とともに開ける。中にはすでに来ていた月日が仕事をしていた。


「白川先輩は、今日は来ていないんですか?」

「大輔は用事があるから帰ったよ。俺が引き継ぎするね」


 乙女モード封印中の月日は、至極まともな男子生徒に見える。


「じゅ、十条先輩が、引継ぎっ!?」


 ぶるぶる震え始めた一香に、もう一発類が背中に手のひらをお見舞いする。にらみながら見上げると、一香はごめんと呟いた。

 累は一香と月日が引き継ぎ作業をするのを、横で見守るに徹した。


(花笠くん、頑張ってる)


 会計の作業はないので、累は出されていた宿題をしながら二人を見ていた。

 丁寧かつ優しく一香に話をしている月日は、たしかに一香が緊張するのもわかるくらい美男子だ。

 人の容姿に特段興味が無い累も、きれいだと思う造形をしていた。


(ん、あれ、私……誰かを見てきれいとか思ったことないのに)


 みんながあまりにも月日のことを言うものだから、感化されたのかもしれない。

 ジーっと見ている累の視線に気づいた月日と、一瞬だけ目が合う。パッとそらされてしまい、累は指先で回していたペンの動きを止めた。


「あ……といけない。もうこんな時間だ……ちょっと抜けるけど、ここの作業をしておいてくれる?」

「十条先輩、まさか告白ですか?」


 累が尋ねると、月日は苦笑いしながら首肯した。


「最近めっきりなかったんだけどね」


 月日の王子様伝説は、すでに学校中に広まっている。いったん収まったのだが、怖いもの見たさなのか抑圧された反動なのか、ちょっとずつ回復しているらしい。


「いってらっしゃい」


 月日は任せて、と言いながら生徒会室を出て行った。

 扉が閉まると同時に、横から一香が大きなため息を吐く。まるで、今まで海中に潜っていたかのように、何度も空気を吸っては吐いてを繰り返した。


「ダメだ……やっぱりまだまだ緊張する」


 一香は累が差し出したコップを受け取ると、中に入っていた麦茶を一気飲みした。


「そういえば昼間、言いかけていたことってなんだったの?」


 累の問いかけに、一香はびくっと肩を震わせた。


「…………」

「今なら人もいないし、聞くけど」


 散々ためらうようなそぶりのあと、一香は累に向き直る。


「あのね、山田さん。ひかないで聞いてくれる?」

「聞いてから引くかどうか考えるのでもいい?」

「いや、それだと困るから」

「わかった。まずはきちんと聞くね」


 神妙な様子だったので、累はペンを置くと、麦茶の入ったカップを持って一香に向き直った。


「あのね、俺、多分……ある人に恋していると思う」


 累はカップを落っことしそうになった。それを一香が素早くキャッチする。


「あああああ、危ないってば、山田さん! 無表情のまま驚くのやめてよ、なんか怖い!」

「ごめん。ちょっとびっくりして」

「顔動かさないで驚くって、すごい特技だと思う……」

「それで、ええと、つまりは?」


 累が一香に話の続きを促すと、一香はコップを机の上に戻した。


「好きな人がいる、んだと思う」

「思う?」

「うん……確信が持てない」


 それに累はなるほど、と頷いた。


「恋愛をしたことないからわからない。でも、その人を見ると胸がドキドキするし、手を握った時は嬉しくて泣きそうになった」


 累は再度驚いたが、表情が動かなかったので一香に伝わったかどうかは不明だ。


「考えるだけで胸が張り裂けそうになるんだ」

「……へえ」

「これがどういうことかわからないから、ネットでいっぱい調べた」


 一香は携帯電話を取り出すと、ブックマークをしていたページを見せてくれる。

 累は無言でそれを見つめた。


 【胸のトキメキの正体は?】

 【あの人を見ると胸が苦しい。これって恋!?】

 【好きだって気づく五つの瞬間。あなたはすでに恋に落ちているかも?】


 インデックスを見てから、累は携帯電話を一香に返した。


「この恋愛サイトでは、キュンとかドキドキしたら、それは恋かもって書いてあるよ」

「たしかに書いてあるね」


 まさかの恋愛相談とは思っていなかった累は、今じわじわと困惑していた。


「初恋なんだ。だから、しっかり向き合いたいって思ってて」


 一香はそこまで話すと、うん、とこぶしを握り締めた。


「それでね、山田さん。図々しいお願いなんだけど、聞いてくれる?」

「聞くだけなら」

「あのね、もしよかったら俺の初恋を応援してほしいんだ」

「うん」


 断る理由はない。いくら面倒くさがりとはいえ、人の恋路を応援するくらいは累にもできる。


「恋バナしたの、初めてなんだ。聞いてくれてありがとう。山田さんに応援してもらえるなら、百人力な気がする!」

「……そう? そこまで向いているとは思えないけど」

「そんなことないよ!」


 一香は話をしてすっきりしたのもあり、口元をによによさせた。


「どうやって応援するかわからないけど、必要なことがあれば言って」


 ぱああ、と一香の表情が明るくなった。


「山田さんが味方でいてくれるなら、俺、告白しようと思ってて」

「え、いきなり!?」


 さすがに累は眉をひそめたが、一香は何度もうなずく。


「こういうのって、早いほうがいいってサイトにも書いてあったし」

「そうなんだ。なら、告白するのも応援するよ」

「ありがとう!」


 一香は累の両手を掴むと、ぶんぶんと上下に振り始める。

 そのタイミングで、告白を断るために王子様オーラで相手をぶっ倒してきただろう月日が戻ってくる。悩殺笑顔の片鱗をしまいきれておらず、ピカピカ光って見えた。

 上級生たちを混乱の中に陥れたあの事件を見ていた累は、血の気が引いた。一香に気を付けるよう言うより先に、月日が口を開く。


「ただいま……」

「ひぃっ――――!」


 あまりのオーラと美声に、一香は鼻血を吹いてぶっ倒れた。

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