第41話



 *



 放課後、累が話しかけると一香は顔を真っ赤にする。


「本当に大丈夫?」

「大丈夫!」


 答える声は上ずっている。不自然な様子に累は眉をひそめた。


「心配なんだけど」

「気にしないで!」

「先輩たちは怖くないよ」


 約一名がちょっと変わっているけれど、というのは言わずに飲み込んでおく。一香は生徒会室が近づくにつれ、挙動不審度が増していく。


「嫌なら私が断っておこうか?」


 訊ねると、一香は首をぶんぶん振って否定した。


「嫌じゃないよ。ただ……」

「ただ?」

「十条先輩に会えるのが、嬉しすぎて」


 予想していなかった返しに、累は一瞬歩を止める。


「十条先輩に会えるのが嬉しい?」

「そう。ずっと憧れてて」

「……へえ」


 あまりにも月日と距離が近すぎて忘れていたが、「十条月日」はこの学校のカリスマだということを累は思い出していた。


「花笠くん、どっちに行くの。生徒会室はこっちだけど」


 生徒会室はまっすぐ歩けば到着するのに、浮ついて足取りが怪しい一香は、明後日の方向に行こうとしている。

 累が裾を引っ張って止めなければ、おそらくそのまま壁に激突していたことだろう。本当に大丈夫か、心配になってくる。


「十条先輩って、頭ぶつけそうになるくらい会いたいものなの?」

「もちろんだよ!」


 一香は急に真剣になって累に詰め寄る。上背があるせいで、累は追いつめられるような形になっていた。


「だってあの十条先輩だよ!?」

「はあ」

「はあ、じゃなくて! 全校生徒の憧れで、絶大な人気を誇る、あの十条先輩だよ!?」

「花笠くん、そんなキャラだっけ?」


 いつも空気かと思うほど希薄な存在感だというのに、なんだか今の一香はちょっと暑苦しい。梅雨時のジメジメも相まって、なおさらうっとうしかった。


「憧れね……」

「まさか山田さん、十条先輩のこと好きじゃないの?」


 累は頷く。


「人としては面白いと思うけど、異性としては好きじゃない」

「うそっ!?」


 嘘じゃないよ、と累はもう一度はっきり伝える。


「だって、あの十条先輩だよ? あんなにかっこよくてきれいで、優しくて素晴らしい人だよ?」

「かっこいい……?」


 つい本気で聞き返してしまってから、累は「なんでもない、続けて」と先を促した。


「実は俺、登校初日に降りるバス停を間違えちゃって。その時助けてくれて優しくしてくれたんだ」

「そうなんだ」

「一緒に登校してくれて、さらに教室まで案内してくれた。俺もあんな風になりたいって思うけど、根暗すぎるしコミュ障だから無理で」

「あんな人になったら大変だと思うけど……」


 そんなことないよ! と力強く否定されてしまい、一香が本気で月日のことを尊敬しているのだと理解した。


「困っている人がいたら、十条先輩じゃなくとも助けてくれるとは思うけど。なんで、先輩をそこまで尊敬しているの?」

「ほら、俺って地味で冴えなくて、見るからに根暗オタクでしょ?」


 あまりにもそのまますぎて、否定できる要素がない。


「なのに背は高いし図体はでかいし……好き好んで俺に話しかけてくれる人っていなくて」


 もっさりした前髪で顔を半分隠されていたら、話しかけにくいのはたしかだ。自分でわかっているなら改善の余地があるのに、と累は胸中で独り言ちる。


「だけど、十条先輩は俺を見た目で判断しないで、ちゃんと向き合ってくれた」


 一香は嬉しそうに口元を緩ませた。


「この身長だと、誰かと並ぶと見下しているようだって中学では言われててさ。でも、十条先輩と並んだら、背筋を伸ばせた。初めて、堂々と歩けたんだよ」

「なるほど」


 一香がさらに話そうとしているのを、累は押しとどめた。


「この奥が生徒会室だから」


 寮の中に入るなり、一香はあからさまに顔を青くした。極度の緊張から手が震え始める。


「大丈夫?」

「うううううううううん、だ、だだだ大丈ぶぶぶぶぶ……」


 さっきまでの饒舌はどこへ行ったのか。一香はまるで、壊れた音楽再生機器のようになっている。


「あああああやっぱり待ってえええええ、む、む、無理かもおおおおお……」

「大丈夫だから」


 累は文字化けしそうな勢いの一香の背を押し、生徒会室の扉を開けた。

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