第39話

 期末テストは始まったと思ったらすぐに終わってしまった。

 テスト期間中は生徒会も休みなので、結局書記は決まらないままだ。

 そういうわけで、テスト最終日に生徒会役員たちに大輔から召集がかかる。進捗の報告と、今後の流れについての話し合いだ。


「こんにちは」


 月日が生徒会室に入ると、先に来ていた累が座って待っていた。


「久しぶりね。テストはどうだった?」


 気まずい雰囲気になるかと思い、明るめに挨拶をする。だが、累は「まあまあ」ですといつもと変わらぬ様子だ。

 あまりにもいつも通りなので、内心ホッとした。目を合わせるなり嫌な顔をされるよりも、なかったことになっているくらいのほうがよかった。


「文理の希望はどっちにしたの?」


 何気ないそぶりを装って話題を振ると、累は困ったような空気になった。


「できれば理系がよかったんですが、成績的に文系かと」


 てっきり理系かと思っていた月日は、彼女の回答に驚いた。


「意外ですよね。私、理系っぽく見えますから」

「ええ、まあ、うん……」

「理系に進みたい理由は、バイオテクノロジーに興味があるからです」


 決して、セイメイを追いかけているわけじゃないと累は付け加えた。


「でも、数学が苦手なんです。意味不明すぎます」

「はははっ……累にも苦手があるのね」


 あまりにも腹立たしそうにしているものだから、月日はなんだか気が抜けて笑ってしまった。


「……先輩ひどいです。自分はトップだからって……」

「ふふふ。そうなの。ワタシはこう見えてバリバリ理系だし、数学は得意中の得意だし理数科で成績も一位よ」


 ちょっとだけ意地悪な言いかたをしながら累を覗き込むと、ふてくされたようにしていた。


「まだ時間はあるわよ。大輔も直前まで普通科にするか悩んでいたから」

「先輩は悩みましたか?」

「ううん。テストでは百点取れるけれど、現国がものすごーく苦手ってわかっていたから理系一択よ」


 百点なんだ、と累は顔をしかめる。


「でもね、理解するのに数学の二倍も時間がかかるのよ。それって苦手ってことでしょう?」

「たしかに、それは苦手って認定してもよさそうです」

「でしょでしょ。累も数学がそんな感じ?」

「違います。今回も、ギリギリ赤点です」

「……赤点ギリギリじゃなくて、ギリギリ赤点なのね?」

「ええ。最悪です」


 携帯電話が鳴って、見ると、大輔から「遅れる」とメッセージが届いていた。


「セイメイに聞けばいいじゃない。教えかたうまいって評判よ」

「アホですか、先輩」


 間髪入れずツッコまれてしまい、月日はぎょっとする。


「アホって……仮にも先輩に向かって」

「アホです。晴兄が好きなんですよ、私。意味わかりますよね?」

「あっ」


 月日の反応に、累はため息を吐いた。


「一緒にいられたら嬉しいけど、緊張しますから」

「そのせいじゃないの、数学が苦手なの?」

「違います。自頭の問題です」


 こうして二人きりだったとしても、累が自然体でいてくれるのは月日としては嬉しい。だがその一方で、安心されているのは「興味がない」の裏返しだというわけだ。


「累は、ワタシとなら緊張しない?」

「どういうことです?」

「よかったら、数学教えるわよ」


 彼女はきょとんとしながら月日を見る。


「でも……」

「ふられたことと、数学が苦手な後輩に勉強を教えるのは別よ」


 一拍考えるような間をおいてから、累は頷く。


「先輩が気まずくないなら」

「なに言ってんの、気まずいに決まってるわよっ!」


 食い気味に言い放つと、累は目を丸くした。


「言ったけど、ワタシは累のことが好きだから」

「じゃあ……」

「いやよ。あなたが断ることを断るわ」


 累は複雑そうに眉根を寄せる。


「ワタシは、あなたと話をするだけでドキドキするのよ。一緒に勉強なんかしたら、もしかしたら死んじゃうかもしれないわ」

「それは困りますよ。それならやっぱり」

「いいの。力になりたいだけだから。それに、あなたに感謝しているの」

「感謝ですか?」

「変わるきっかけをくれたから。勉強はそのお礼。ビシバシしごいてあげる」


 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。午前放課だというのに、呼び出した張本人の大輔が来ないせいで、長いこと話し込んでしまっていたようだ。


「……ビシバシは嫌です。お手柔らかに願います」

「ダメよ。理系に行く自信がつくくらい、みっちり叩き込むわ」

「……ギリギリ赤点とか言うんじゃなかった」


 後悔したような顔ののち、累は背筋をただすといつもの凛とした雰囲気に戻る。


「十条先輩」


 数学をどう教えようか考え始めていた月日は、累の済んだ声音に彼女のほうを見た。


「私のことを、好きって言ってくれてありがとうございます」


 累は頭を下げた。長い黒髪が、さらりと流れる。


「私は、ずっと晴兄……高橋先生が好きです。でも、告白する勇気もない小心者です」

「どうしたの、いきなり?」

「何度か気持ちを伝えようと思ったけど、とてもじゃないけどできませんでした。だから、先輩のことは尊敬します」


 すると、累は悲痛な面持ちで顔を上げた。


「あの時、興味がないなんてひどいことを言ってごめんなさい」

「……いいのよ。それがあなたの本音でしょう?」


 こくんと累が首肯する。


「むしろ、そこまではっきり言われるとすがすがしいわ」


 そうして今も、気持ちをまっすぐ伝えることができる彼女のことを、月日はうらやましく思う。


「お互いまだ、なにも知らないわね」


 好きだなんだと言っておきながら、結局自分たちは、相手のことを熟知しているわけではない。


「まずは、先輩後輩として仲良くしましょう。どうかしら?」

「もちろんです」


 月日が手を伸ばすと、累は握り返してくれる。ホッとして目をつぶったので、累がほんのちょっと嬉しそうにしたのを、月日は見逃してしまった。

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