第38話



 *



 例えば好きな人ができると、人は強くなったり、逆にもろくなったりする。

 必殺技を身に着けたというのが、「強くなる」にカテゴライズされるのであれば、月日は好きな人のために頑張れた。

 お菓子を選ぶ彼女の手が触れる。

 心臓が大きく脈打ったのは自分だけだというのを、月日はわかっていた。彼女が自分に興味がまったくないことも、ドキドキしないということも。

 累は、恋をすることはきれいごとだけじゃ済まないと言った。

 たしかにそうだ。

 今、月日は、彼女のことが知りたい。それがたとえ、累が話したくないことだったとしても。


「好きな人って、セイメイなの?」

「ちっ……ちが」

「違わないよね?」


 累が初めて動揺を見せた。それだけで、確信が持てる。

 手入れの行き届いたつややかな長い黒髪。月日は毛先まできれいな髪の束を見つめ、手を離した。

 累は顔を真っ赤にしたまま、口をもごもごさせている。


「セイメイも、長い黒髪が好きだって言ってたもの」

「先輩が、なんでそれを?」

「盗み聞きよ」


 累は唇をぎゅっと引き結んだ。


「それに、あなたがセイメイと話をしている時の顔が……嬉しそうだったから」


 普段は、あんな顔を見せないのにと付け加える。


「晴兄は、小さい時に家庭教師をしてもらっていただけで」

「そう。ワタシに言い訳するの?」


 累は月日から一歩離れる。


「十条先輩には、関係ありません」


 お菓子を手に持つと、累は部屋を出ていこうとする。


「待って累。関係あるの」

「関係ありません」


 足早に出ていこうとする彼女の手首を掴んで引き留める。


「あるわよ。だってワタシ、累のこと好きだから」

「私は、先輩に興味ありません」


 今度こそ、累は動じなかった。


「失礼します」


 ペコっとお辞儀をすると、累はいつものように凛とした佇まいで生徒会室を出ていく。

 耳に痛い沈黙のあと、月日はやっちゃったなと思いながら息を吐いて椅子に腰を下ろした。


「ソファでも買おうかしら、この部屋のために」


 全然関係のないことを呟いてみたものの、予想以上に激しい胸の痛みに襲われて机の上に突っ伏す。


「全然だめじゃないの、こんなんじゃ」


 王子様の皮をかぶっている時だったら、いくらだって格好よくできたはずなのに。


「ダメね、こんな告白をするつもりじゃなかったのに……」

 初めての恋に初めての告白は、あっさり終わってしまった。




 その日の夜。

 なんとか一日を乗り越えた月日だったが、帰宅するなり部屋に閉じこもった。

 ベッドに突っ伏した時には、涙が止まらなくなってしまった。

 夕飯もパスし、ゆっくり時間をかけて気持ちが落ち着くまで待った。

 保冷剤とホットタオルを交互に当てて、やっと少々目の腫れが収まってきたところで、大輔に電話をした。

 勢いで告白し、そして見事に玉砕したことを伝えると、大輔の反応は、絶句一択だ。


『ふられたぁああっ!?』

「もーワタシってば、後先考えないでつい」

『まてまて。それもそれでびっくりなんだけど、お前をふる人間が出てくるなんて……天変地異か?』

「それじゃ、ワタシがまるで災害みたいじゃないの」

『似たようなもんだろ』


 グズグズ話をしていると、大輔は神妙な様子で聞いてくれる。


『さすがに、興味ないの一刀両断はきついな』

「うん……でも、本当に好きなの。って気づいたわ」


 興味がないと言われたことよりも、関係ないと言われたのが実は一番傷ついた。

 関係ないわけがないじゃないか。

 だから、月日は本音が出てしまったのだ。


『じゃあ、累ちゃんを好きでいるのやめるか?』


 好きなままでいていたいと大輔の前で言ったのは、ついこの間のことだったはずだ。

 月日が無理をするんじゃないかと、大輔が心配してくれているのがわかった。


『月日、つらいなら――』

「ううん、やめない」


 自分でも驚くほど、すんなり言葉が出てきた。


「やめないわ」


 累に好きな人がいても、彼女の恋路を応援しなくちゃいけなくなっても。

 初恋を、変わるきっかけをくれたこの気持ちを、今は大事にしたい。


「本物の恋だと思うの。だから……」

『そっか』


 大輔の声は優しかった。


『応援するよ、心から』

「ありがとう」


 大輔との電話を終えると、月日はこめかみに押し当てていた保冷剤を外し、リビングに戻しに行く。

 ソファでは母と永遠が、お笑い番組を観て笑っている。

 月日が来ると、二人が左右に半分ずつずれる。真ん中にできた隙間に月日はちょこんと座った。

 永遠の腕が月日の首に巻きついたかと思うと、強めに頬をぎゅむぎゅむされる。


「……ふふっ、二人ともありがとう」


 月日は家族の無言の愛情を感じながら、しばらく三人で仲良くテレビを観たのだった。

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