第36話

 死屍累々な光景を作り出した月日を、陰から見ていた累は絶句していた。隣にいた大輔は、念のため月日対策用の色の濃いサングラスをしている。


「先輩たちから今日のプランを聞いた時は、半信半疑でしたけど……」


 累に伝えられたのは、「月日が見事な王子様笑顔スマイルで、累へ嫌がらせしないように上級生たちを説得する」というものだ。

 笑顔で説得して、嫌がらせが収まるわけないと思っていた累は、予想をはるかに裏切られていた。


「ね。だから心配するなって言ったでしょ?」


 累はなんとも言えない表情で、大輔に向かってうんと頷く。


「……信じられません。十条先輩は、悪魔かなにかですか?」

「いや、あれが十条家の本気だよ」

「十条家の本気、ですか?」

「その昔、町内だけでなく隣町の人々までもを一斉に気絶させたという……」


 いうなり大輔はガタガタと震え始めた。それ以上聞いてはいけないのだろうと察した累は口を閉じる。


「でもまさか、月日があの技を出してくるのは意外だったけど」


 震えが収まった大輔が腕組みする。


「つまり、十条先輩は、今まで封印していたってことですか?」

「あの技を使ったところを見たことがないから、できるかどうかも不明だった」


 二人がこそこそ話をしているのに気づいた月日が、とたんにいつもバージョンの「十条月日」に戻って駆け寄ってくる。

 彼のさわやかな笑顔を見たみんなが振り返り、知らず知らずのうちに鼻血を出しているが失神者は出ていないというレベルのオーラだ。


「大輔、累!」

「よし、生徒会室にいったん避難だ!」


 大輔の指示に従い、三人は寮に駆け込む。昼休みだということを除いても、学校内が騒然としているのが伝わってきた。

 静かな生徒会室に入るなり、大輔は笑い始める。


「笑い事じゃないわよ。すっっっっごく緊張したんだからねっ!」

「いやいや、笑うだろ。あんなにバタバタ人を倒しておいてさ……実際のお前は、そんなだから」

「んもー!」


 口をとがらせている月日と、けらけら笑う大輔の姿を見ながら、累は微笑ましくなってふふっと笑った。


「累も、笑うなんてひどいわっ!」

「いえ、そういうんじゃなくて……」


 累は二人に一歩近づくと、ペコっとお辞儀をする。


「ありがとうございます。なんだか、気分が晴れました」

「やっぱり、色々気にしていたんじゃないの?」

「気にしてません。でも、腹は立っていましたから」


 月日は累の手をそっと握る。


「すっきりした?」

「ええ、先輩のおかげで」


 よかったなと月日は心の底から思った。


 そう――。


 悪役になれない真正ヒーローの月日にできたのは、王子になることだった。

 それも、中途半端ではなく、圧倒的な王子になること。なりきるを超えて、王子という存在そのものの権化になること。

 月日を目の当たりにした生徒たちが、太刀打ちできなくなるほどの存在感を発揮すること……。

 永遠に特訓をつけてもらい、たった一夜でそれを習得した月日は、さすがは十条家の長男だともいえた。

 そんなばからしいことができるわけがないと思っていただろう累の笑顔を見られて、月日は満足だった。


「結局、ワタシができたのってこれだけで……やっぱりみんなに厳しくするのは向いていないみたいなの」


 しょぼんとする月日に向かって、大輔は文字通りげっそりする。


「だからといって、人を魅了して失神させるのも普通はできねーからな」

「これくらい誰にだってできるわよっ! だって、日並ちゃんとか永遠ちゃんとかはもっとすごくて――」


 大輔はその話はいいから、と手を振った。

 累の電話が鳴って、話は一度途切れる。彼女は届いたメッセージを読み、満足そうに頷いた。


「ごめんね、累。ワタシ、悪者にはなれないわ。あなたと約束したのに」

「いいえ。先輩はじゅうぶん、悪役になったと思います」


 累は先ほど届いた沙耶香からのメールを開いて見せる。

 そこには、月日の悩殺笑顔がすごすぎて記憶が混濁している人々が多数いること、あの笑顔を見たら、二度とほかの人に興味をもてなくなってしまうという話が飛び交っているということが書いてある。


「目をつぶるだけで先輩の笑顔が脳内を侵食してきて、みんな腑抜け状態。午後の授業は、不可能に近いらしいです」


 大輔は恐ろしい魔物を見るような目で月日を見た。


「……お前、魔術かなにか使えんのかよ?」

「そんなことできないわよ。ただ、魂ぬくほどの笑顔で話をして、懲らしめちゃおうって思ったっただけで……」


 累は携帯電話をしまうと、うんと頷く。


「先輩の思惑以上かもしれませんね。強烈すぎたらしく、二度と近寄ったりファン活動をしたりしないっていう声明文が、あちこちから提出されているようです」


 月日と大輔は顔を見合わせる。


 想像以上に、月日の悩殺笑顔キラースマイル作戦は成功したようだ。


「まあ、よかったのかな、これで」

「そ、そうね。うまくいった? わけだし?」


 これ以上念押ししなくても大丈夫かしらと、月日と大輔は作戦会議を始める。そんな二人を、累は温かい気持ちで見ていた。

 累に嫌がらせしたことで発動した月日の必殺技の話は、瞬時に学内に広がった。

 あまりの威力に、全校生徒が恐れることになったのは数日後。

 月日と一緒にいても動じることが一切ない累が、伝説となるのもまた後日の話だ――。

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