第5話


 *


 ――時は少しさかのぼる。


 その日の早朝、一年生の教室で悲鳴が響いた。


「きゃー! 十条先輩が来たわよ――!」


 クラスメイトの女子たちが、その声を皮切りにどっと窓際に押し寄せる。

 この学校の絶対的王子、十条月日を肉眼で確認すると、彼女たちはメロメロになって顔を赤らめる。

 無理、とつぶやいてへたり込む女子まで続出していた。


「ちょっと、るいは見なくていいの!?」


 興奮したクラスメイトの一人に肩をバシバシと叩かれて、「私はいい」と山田累やまだるいは凛とした声で答える。

 窓側の席のため、わらわらとやってきた女子生徒たちに辺りを囲まれている。累はふう、とため息を吐いた。

 友人の一人である田島沙耶香は、つれない累の態度にしびれを切らしたのか、口をとがらせた。


「十条先輩が今日はなんだか憂鬱そうなんだって!」


 なぜか怒り気味の沙耶香に、累は億劫そうに口を開いた。


「そうなんだ」

「んもー!」


 累はぷりぷりしている沙耶香から視線をそらし、机の上に広げた数学の宿題のプリントをにらんだ。


「ほんっと、累って十条先輩に興味ないのね」

「うん……」

「っていうか、異性に対して興味ない?」

「……そういうわけじゃないけど」


 累の返答をかき消すように、窓にべったり張りついたクラスメイト達が黄色い声を上げている。


「ごめん累、返事が聞こえなかったからもう一回言ってくれる?」


 累は面倒だなと思い、「興味ないよ」と伝えた。


「あたし、ナマの十条先輩を見てくるね! イケメンでやる気をチャージ!」


 沙耶香はニヒヒと笑うと、クラスメイト達で溢れかえる窓にすすすと割り込んでいく。


「……」


 周りはうるさいが、集中すればいい。累は数学のプリントにシャープペンを走らせる。どうも数式がおかしい気がして、それをもう一度解き直したかったのだ。

 しかし、数式は違っていても、結果的に答えは同じになった。


「つまりは、どっちも正解……か」


 累はペンをくるんと回した。




 午前中の授業が終了すると同時に、沙耶香が大慌てで累の元に走ってきた。


「ちょっと累、やばいやばい!」


 沙耶香は顔を真っ赤にし、息もできないくらいに呼吸困難になりながら、累の制服をむんずと引っ掴む。


「十条先輩、今日はやばかったの!」

「……十条先輩?」

「学校一の美青年の……って、どうして累はそんなに人に興味がないわけっ!?」

「ごめんごめん」


 謝る気のない声を出してしまうと、沙耶香は「もー」とふてくされる。


「今日の十条先輩は憂いている色気がすごすぎて、鼻血吹き出す子出てるんだって!」

「ふーん」

「ふーんじゃなくてさ。まあいいや、ひとまずお昼行こう!」

「そうだね」

「あたし学食行きたいんだけど、ついてきてくれる?」


 累はうなずき、机の横にかけておいたビニール袋を手に持って立ち上がる。


「今日も、その大量のパンなわけ?」


 沙耶香は明らかに「うげぇ」と言いたそうな顔で、累が手に持つビニール袋を覗き込もうとしてくる。

 中身を見せると、沙耶香は顔をしかめた。


「……パンばっかり」

「いっぱい食べないと、お腹すいちゃうから」

「それだけ食べて、よくその細さをキープできるよね」


 これだけ食べても累はお腹がすくのだ。成長期かもしれないが、これ以上身長が伸びたら、バスケ部かバレー部に連行されかねない。


「瘦せの大食いってやつだよ」

「うらやまっ!」


 沙耶香は累とは対照的に小柄だ。そしておしゃれだしかわいい。いまどきを絵に描いたような子で、明るくてミーハーだ。

 席が隣だったのもあり、入学初日から沙耶香と累は仲良くなった。と言っても、沙耶香が一方的に累に話しかけてくる、ちょっと不思議な関係だ。

 もっと派手で陽キャの子たちはたくさんいるのに、沙耶香はそちらのグループには入らず累と一緒にいる。

 別段、派手めな子たちと仲が悪いわけでもないので、好きこのんで累と一緒にいるらしい。沙耶香の話は目まぐるしいし、話題についていけないことも多いが、累は嫌じゃなかった。

 そんなおしゃべりな彼女の話に相槌を打っているうちに、食堂に到着していた。


「あたし、食券買ってくる~! 今日の日替わりはチャーハンだって、おいしそう!」


 席を頼まれたため、累はすいていそうな場所を探して腰を下ろした。

 ビニール袋から取り出したパンを卓上に並べる。どれから食べようか順番を決めていると、プレートを持った沙耶香が顔を真っ赤にさせて戻ってきた。


「沙耶香、こっち――」

「見てみてみてみて! 十条先輩が来てる! やっぱりカッコイイ!」

「はあ……?」

 興奮している沙耶香に言われて初めて、累は食堂がざわついていることに気付いた。


「珍しい! いつも昼休みは生徒会室とかで食べているか、告白の呼び出しに応じているかのどっちかなのに!」

「……はあ」

「この席だとよく見えるよね!? どう、色気だだ洩れしていない?」

「うーん」


 沙耶香の視線の先を追うと、明らかにほかの生徒たちとオーラの違う二人組が視界に入る。


「どっちも格好いいけど、右が十条先輩で、左が白川先輩だよ」


 沙耶香に説明されながら、先輩の姿を見た瞬間。


「あれ? あの人昨日……」

「え、十条先輩がどうしたの!? なんかあった!?」


 累は昨日の放課後、乙女口調で独り言を言ったあと、悲鳴を上げた人物を思い出す。


(まさか、あの人は昨日の人と同一人物……?)


 見れば見るほど爽やかな好青年に見える。

 みんなに素敵な笑顔で挨拶している姿からは、昨日の乙女口調の片鱗さえ皆無だ。


「……ううん、なんでもない」

「ほんっとかっこいいよね、まさしくイケメン、この世のものとは思えない!」


 きゃあきゃあ騒ぐ沙耶香に気のない返事をし、累は並べたパンに視線を落とした。


(……他人の空似ってやつだなきっと)


 大人気だという好青年と、昨日の乙女青年がイコールで結びつかない。

 結果、累は別人物と判断し、十個も持ってきていたパンをすべて平らげた。

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