10.説得

「説得、ですか?」


 ブリーフィングルームに呼び出されたアルベルトたちは、オットーの言葉に目をしばたたかせた。


「そうだ。現在、我らがハイドリヒ公安局長官がおわすグランド・アキダリア・ホテルの前で、物資配給に不満を持った市民が守備隊と睨み合っている。市民の中には武装した者もいて正に一触即発の状況だ。今はまだ大丈夫でも、時間が経てばどんな結果になるかは貴官らも解るだろう。そこで、ラピス中佐が現地に赴き、市民の説得に当たる。アルベルト・ハルトヴィヒ、エリーゼ・ブライトクロイツ両少尉は、メンズーア・アインで中佐を護送、当地に到着次第警護にあたれ。──質問は?」

「はい! 市民を解散させるなら、俺たちも一緒に行って追い散らすべきだと思います!」


 間髪入れずにヴィリが勇み立って手を上げた。その言葉を聞いた一同は思わず呆れ返ってしまう。


「えっ、何だよ? 『説得』って『鎮圧』の隠語じゃねえのか?」

「んなわけないでしょ! 鎮圧ならわざわざEFMなんか使わなくても十分だわ!」


 クララがヴィリを見上げてツッコミを入れた。


「そうか……」

「EFMに乗りたいだけだろ」 


 眼鏡の位置を調整しながらルーファスは溜め息をつく。


「だって、これからしばらくアキダリアここに閉じ込められるって考えたら気が滅入っちまってさぁ。シミュレータじゃ満足できないって」

「パイロットを何だと思ってるんだ……」

「そうだ。言っておくが、武装の類は所持せず行ってもらうぞ。余計な威圧を与えて発砲のきっかけになったら目も当てられん」

「了解です。では、準備に入ります」


 アルベルトとエリーゼは敬礼してブリーフィングルームを辞去した。


「じゃあ私も行こうっと」

「待て」


 歩き出したシンシアの肩をオットーが掴んで止めた。


「え?」

「一応訊いておくが、説得しに行くんだな? 市民を煽動するとか、無駄に煽って発砲させるとか、そういう事はしないな?」


 シンシアに疑念を抱くオットーの姿に残ったパイロット組は顔を見合わせた。


「疑うなんて酷いわ! 私にだって常識があるもの」

「そうか。 じゃあ聞くがEFMの掌に乗って現場に向かうのは常識なのか?」

「常識な訳ないでしょ。私がやってみたかっただけです」

「はあ?」


 オットーは頭がくらくらする感覚を覚え、ブリーフィングテーブルに寄りかかった。それを見たリズベットの表情が途端に曇った。


「先輩!」

「……もういい。勝手にしろ」

「中佐!」

「クララ。彼女には何言っても駄目だ。放置したら大変な事になるのは分かってるが、俺には止められん」

「ですが……」

「じゃ、私はそういう事で」


 シンシアは笑顔を振り撒きながらブリーフィングルームを後にした。

 しばらくして、パイロットスーツに着替えたアルベルトとエリーゼは、メンズーア・アインに乗り込む為格納庫に向かっていた。


「あの人、どう思う?」

「あの人?」

「シンシア・ラピス中佐だよ。オットー中佐があれだけ警戒してる人なんだ。油断ならないって思わないか?」

「それはそうだけど、こうして市民の説得を買って出る人なんだし、案外良い人なんじゃない?」

「それだけじゃ良い人かどうか分からないだろ。第38独立特務作戦群ランツクネヒトに入れるような人だぞ? ひょっとしたら相当な切れ者って可能性も──」

「あら、誰かの噂話?」


 アルベルトとエリーゼはドキリとして振り返った。すぐ後ろでシンシアが微笑みを浮かべている。


「全然気づかなかったんだけど……」

「やっぱりただ者じゃない……?」

「なあに? ひそひそ喋って。まあ良いわ。現場でもお願いね」

「あの、余計なお世話かもしれませんが、EFMの掌の上に乗るのは危険では? コックピットには同乗者用のシートがありますが……」

「良いの良いの。前から憧れてたのよね~、EFMの掌の上に乗る! 映画で見てからずーっとやってみたいって思ってたの」

「映画?」

「一月前に公開されたやつよ。反乱戦争中のEFM部隊の活躍を描いたプロパガンダ映画だった気がしますが……」

「プロパガンダだなんて、そんな難しい言葉使わない。エンタメとしては面白かったでしょ?」


 エリーゼの肩を軽く叩いてシンシアはメンズーア・アインの前に立った。


「おおー! これが長官子飼いのEFM部隊の主力ってわけねー?」

「……貴方の言う通りかもね。何考えてるか全然分かんないんだけど」


 周囲の目も気にせずはしゃぎ回るシンシアの姿を見て、エリーゼは呟いた。

 その後、アルベルトや整備員の反対を押し切り、シンシアは本当にメンズーア・アインの掌の上に乗った。


「高い高ーい!」

「エリーゼ、言うまでもない事だが……」

「掌を回して落とす訳ないでしょ。それくらいの分別はあるわよ」

「じゃあ行きましょう! 市民の説得に!」


 シンシアの言葉を聞いたオペレーターが第一甲板のカタパルトデッキを開く。外の光が中に差し込み、デッキと繋がっている格納庫の中が少し明るくなった。


「カタパルトは使えないな。歩いて外まで行こう」

「何が悲しくて人を掌の上に乗せて出撃しなきゃいけないの……?」


 避難していた市民は歩くメンズーア・アインを物珍しそうに眺めていた。中には携帯で写真を撮ろうとする者もいたが、近くにいた整備員や陸戦部隊の隊員に静止される。


「何で非正規部隊の俺たちがこんな事やってるんだ? いくら宇宙が広いからってこんな堂々と姿を晒して良いのかな?」

「それって今更言う事かしら? 私たち結構派手にやってるわよ?」

「……」

「優しく飛んでねー!」


 アルベルトとエリーゼが自分たちの秘匿性について疑義を呈している所にシンシアの呑気な要望が割って入ってきた。掌の上でぴょんぴょん跳ねるシンシアを見てエリーゼは青ざめた。


「どうしてあんな元気でいられるの? 接地面から十メートルは離れてるのに」

「すごいバランス感覚だ。やっぱり博士が関わってるのかな」

「それはあるかも。何せ博士の作ったサイボーグの部隊を指揮してるんだし」


 二人はよれよれの白衣を着て震える手でコーヒーカップを持っているイザイア博士の姿を思い浮かべた。イザイアと出会って数ヶ月、アルベルトたちパイロット組は彼の事を「社会性は無いが技術は確かなマッドサイエンティスト」と評価していた。ただの侮辱とも取れる評だが、実際イザイアはオットーやリズベットたちランツクネヒトに所属する将校たちにせっつかれて彼の言う『先生』の遺したデータを漁っている時より、ヒオリの調整をしている時の方が生き生きとしているように見えるからである。芸術家が自分の作品に誇りを持つように、イザイアもまた自分の『作品たち』に誇りを持っているように思えたのだ。


「アルベルト、エリーゼ。そろそろ行ってくれ」


 オットーの声に二人は現実に引き戻された。モニターにはまだ飛ばないのかと不満げに貧乏ゆすりをしているシンシアが映っていた。


「すいません。……エリーゼ、最初は反重力ユニットだけで浮遊して、その後にスラスターで──」

「分かってる。養成学校以来の垂直発進ね。まあ見てなさい」


 エリーゼは反重力ユニットの出力を微調整しながら発進レバーを引いた。メンズーア・アインがその場でふわりと浮かぶ。


「あら、上手いのね」


 マイクが拾ったシンシアの言葉を聞いてエリーゼがぼやいた。


「貴女がいるから余計に神経使ってるんだけど……」

「ラピス中佐、今ならまだ間に合います」

「何言ってるの。ここまで来て止めないわよ。さあ、発進しなさい!」

「エリーゼ、落とすなよ」

「チッ」


 わざとらしく舌打ちしながらもエリーゼはシンシアが落ちないようにスラスターを起動した。スラスターが静かに音を出しながら青い火を噴く。シンシアに気を使いながらコルノ・グランデから離れていくメンズーア・アインを見ながら休憩に入っていたアリュが言った。


「嬢ちゃんも大変だな。大企業の令嬢だってのに」

「その割には良い子ですね」


 プラスチックシートに表示されている電子雑誌のクロスワードパズルを解きながら近くにいたエトナが呟いた。


「生意気だけどな」

「姫よりはマシでしょう。彼氏が上手く手綱を握ってますし」

「そうそう。なかなかに良い男だぜ」


 メンズーア・アインが飛行速度を上げ飛んでいく。市民たちは武器も持たずにどこへ行くのか全く見当がつかなかったが、EFMの発進という軍事基地での一般公開型演習でも滅多に見れない光景を見物できて満足そうにしていた。




「食料の配給量を増やせー!」

「消耗品の備蓄を放出しろー!」


 グランド・アキダリア・ホテルの前では市民が集まってデモを行っていた。ホテルの守備隊はまだ銃を向けてはいなかったが、その引き金を引く事態が起こるのは時間の問題であった。

 モニターで地上の様子を見ながら、ヒョードル連邦内務大臣はアキダリアの市長に訊ねた。


「備蓄はどのくらい残っているのかね」

「それは……」


 市長はヒョードルから目をそらし、小さく呻きながらも質問には答えない。ヒョードルは市長の態度に不満を抱いた。


「把握していないのか? 報告を受けているはずだろう」

「えっと……」

「備蓄なんてありませんよ」


 ベルンハルトが部屋に入ってきた。市長を一瞥し、「その通りでしょう?」と言わんばかりに微笑む。市長は若い公安局長官の凄みに震えた。


「無いとはどういう事かね」

「言葉の通りです。この都市には備蓄と呼べる程に余剰物資はありません。各避難所に分配された物資が全てです」

「まさか! 一週間も無いだろうに。……! じゃあ我々に残された時間は……!」

「ついさっき大臣が言った通りですよ。一週間もすれば食料品を含めた全ての消耗品が枯渇状態に陥り、僅かに残った物を巡って争いが起こるでしょうね」


 ヒョードルは思わず市長を睨み付けた。連邦の首都の近くでこんな事態が起こる事を予想できなかったと言うのは確かに理屈が通っているかもしれない。だが、もしもの時に備えるはずの備蓄が無いというのは問題ではないだろうか。こいつは一体何を考えているんだ?


「あ、いや……備蓄の管理は部下に任せきりでして……」

「大方その部下が備蓄を横流ししていたのでは? そうでなければ市民がこうして殺到してくる訳が無い。違いますか?」

「それは……」

「今、それはどうでも良い」


 市長を黙らせるようにヒョードルは言った。


「今は下にいる彼らをどうにかして帰す必要がある。手は打っているのか?」

「勿論。──今来ました」


 ベルンハルトが窓を指差す。深紅の機体がホテルに向かって飛んでいた。それが近づくにつれ見えてきたモノにヒョードルは目を見張った。


「ちょっと待て。何か手に乗ってないか?!」




 ホテルの正面玄関側に殺到している群衆を見下ろしながらアルベルトとエリーゼは言葉を失った。自分たちの想像よりも遥かに多い市民たちは、道路から溢れそうになりながらも必死の形相で訴えかけていた。


「食料寄越せー!」

「市長は何やってんだー!」

「早くこの街を解放しろー!」 


 守備隊は銃を掲げる市民から目を離さないようにするのが精一杯で、ライオットシールドを持った警察部隊がホテルに殺到しようとする人々を何とか防いでいた。だが、このギリギリの状態が最悪な事態に発展していくのは時間の問題であった。


「あそこ! 仮設の歩道橋の上に行って!」


 シンシアが守備隊の設置した鉄筋の歩道橋を指して言った。アルベルトは空中で全く臆さずに掌の上に立っているシンシアを感心と困惑が入り交じった目で見ていた。エリーゼはホテルに急行する為にかなりのスピードを出していた。やはりイザイア博士によって何らかの身体強化が行われているのだろうか。アルベルトは訝しんだ。


「……?! EFM?!」


 守備隊は自分たちの所へ真っ直ぐ飛んでくる深紅の機体を発見し驚愕した。


「何だ?!」

「テロリスト?!」


 守備隊も市民も困惑する中、メンズーア・アインは仮設歩道橋の上で静止した。エリーゼはスラスターを切って反重力ユニットのみでホバリングできるよう調整を始めた。


「さあ、お手並み拝見と行きましょうか?」


 アルベルトの方を振り返りながらエリーゼが皮肉っぽく言った。


「……あー、テステス。聞こえますかー?」


 シンシアは拡声器のスイッチを入れて数百人とも数千人とも取れる群衆へ声をかけた。


「何だお前は! 何が目的だ!」

「お前じゃない! 私はシンシア・ラピス。連邦統合軍公安局所属第89保安連隊の指揮官で、中佐ですよ!」


 銃を向ける守備隊に拡声器を向け、シンシアは叫んだ。歩道橋の上には隊員はみな耳を塞いでその場に倒れた。


「ちょっと、いきなりメチャクチャやり過ぎじゃない……?」

「もしかしたらここから巻き返すかもしれないだろ」


 アルベルトとエリーゼは既に不安に襲われていた。それどころか、説得をこの人物に任せるのは悪手だったのではという後悔の念すら湧き上がっていた。

 



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