9.援軍 part3

 アルベルトたちがコルノ・グランデに戻った時、空は既に白み始めていた。避難民と怪我人が艦の周囲と格納庫内を占拠しており、そのほとんどが疲れた表情で眠っていた。自分の住んでいる場所の上空でEFMが戦闘を行い、地上では頭のおかしい異常者たちが銃を乱射して暴れれば無理も無い。艦のクルーたちにも疲労が溜まっていたが、全員に即効性の疲労回復薬と時間帯同期剤が支給され、何とか活動できていた。過重労働だと不平を漏らすクルーにはリズベットが目を光らせ黙らせた。隊員の間ではもっぱら『姫』と呼ばれているオットー部隊の副官だったが、その人を人と思っていないような視線は口答えしようとする部下たちの自尊心を挫くには十分だった。

 そんなリズベット少佐は格納庫の前で不機嫌な表情で仁王立ちし、シンシア中佐を待ち構えていた。


「あら、お久しぶりね。元気にしてた?」

「お久しぶりです、ラピス中佐。お元気そうで何よりです」

「堅苦しいわねえ。もっと親しくしましょうよう」

「結構です」

「来たか。待っていたぞ」


 男の声にアルベルトの周囲でリラックス状態にいた兵士たちが突然姿勢を正した。声の主が部隊の指揮官オットーだったからである。


「わざわざ出迎えご苦労様」

「よく言う。危険を承知で観光に来ただけでは無い事を願いたいな」

「勿論。今必要な情報を持って来ていますよ?」




「まずは今回のテロの首謀者から」


 コルノ・グランデのブリーフィングルームで、シンシアが一人の男の写真をホログラムで投影していた。オットーとリズベットの顔に青白い光が当たり、まるで血色悪い患者が空を見上げているようだった。


「名前はハーギル・リーター。惑星エストシエブⅡ出身。同惑星の自治政府軍に三十年従軍。根っからの職業軍人よ。退役後、一年間VRC(退役軍人療養センター)に入居していたのだけど、今から三ヶ月程前に──」

「謎の失踪を遂げた」


 シンシアの言葉をオットーが継いだ。シンシアはその通りと微笑みを浮かべ、別の画像を投影した。それはリーターが入居していたVRCの施設から黒煙が出ている写真だった。


「こんな感じに、襲撃はかなり強引に行われたわ。警備員に一名死者が出て、入居者と職員に負傷者多数。地元警察は宇宙港まで追跡できたみたいだけど、自治政府軍との指揮権移譲でもたついて取り逃がしちゃったみたいね」


 無能な連中だと言わんばかりに副指揮官席にふんぞり返っているリズベットが溜め息をついた。


「で、その後の足取りは?」

「エストシエブⅡと同じ星系にあるコロニー『ウミラ』に逃げた所までは分かったんだけど、そこからは駄目ね。完全に見失ってる」

「エストシエブⅡがあるディゼバランド星系は辺境領域にかなり近いな。おそらく密航業者なんかが手を引いたんだろう」


 ワープ航法により超長距離を瞬時に移動できるようになった事で「宇宙は狭くなった」と語る者が一定数いるが、それは間違いであり、どこまで技術が発展しても宇宙が広いのは事実であった。一つの恒星系を監視するにもその星系に存在する惑星やコロニーの政府が協力しなければならないし、管轄権を巡った争いも日常茶飯事である。そんな政府や官警の混乱を尻目に活動する違法な星間旅行業者が無数に存在している。そんな業者や密航者が摘発されない日は無く、時には武装したEFMを所有する業者との小競り合いも珍しくは無かった。


「ええ。おそらくそうした業者が協力したんでしょう。この後一ヶ月程彼の消息は不明だったけど、二ヶ月前にようやくその姿を捉える事ができたの。他ならぬ、この街でね」

「……テロリストの首謀者がこのアキダリアに? どうして逮捕しなかったんです?」

「少佐も解っていると思うけど、その時点で彼がこの都市でテロを起こそうとしている事を地元警察は関知できなかった。仮に予想していたとしても、警察に保護拘禁の権限は与えられていない。まあ、持て余しちゃってたっていうのが本音でしょうね」


 シンシアは火星警察の手際の悪さを嘲笑するような笑みを浮かべ、肩をすくめた。


「地元警察の不甲斐無さはこの際無視しよう。俺としては、公安局内でこの老体が話題に上がっている所を見た事も聞いた事も無いのが気になるんだがね」

「おそらく経歴を見て、テロリストの首領よりもその人質にされているものだと推測していたんでしょうね。局内で彼を救出する作戦が立てられていたらしいわ」

「経歴ってのは?」

「さっき職業軍人って評したけど、ハーギル・リーターの軍での評判は折り紙付きだったそうよ。自治政府軍の士官学校卒業後、すぐにエストシエブⅡの気候難民キャンプの治安維持部隊に配属。キャンプ内で蔓延していた麻薬の元締めを摘発して中尉に昇進。その後も順当に功績を積んで、警察の麻薬取締部隊の顧問なども務めて退役。最終的階級は大佐ね。これだけ見れば真っ当な軍人なのだけれど」

「軍在籍中に何らかのアンチセクター組織のシンパになっていたという可能性は?」

「公的な資料にそんな情報は無いわね。非公式のは知らないけど」

「では一人で危険思想を醸成していた……?」

「先輩」


 シンシアから渡されたファイルを閉じ、リズベットがオットーに声をかけた。


「首謀者の情報を読むのは後にしましょう。まさかこの情報だけしか持ってきていない訳では無いはずですから」


 言いながらリズベットはシンシアに睨みを利かせた。シンシアは「怖い怖い」と呟きつつ、鞄からまた別のファイルを取り出した。オットーはそのファイルの色を見て目をみはった。重要書類の中でも公安局独自かつ滅多に見られない黒色だったからである。オットーとリズベットは突然緊張し始めた。


「おい、先にそっちを出せ。明らかに優先度が違うだろ」

「だってあなたたちが急かさないから──」


 オットーは不快感をあらわにシンシアの言葉を遮った。


「よく言う。ゼレドロニアの時も我々に肝心な情報を渡さずに大立ち回りをさせて──」


 今度はシンシアがにこやかな笑みを浮かべながらオットーの言葉に被せて言った。


「読むんですか? 読まないんですか?」

「読む!」


 オットーはシンシアからファイルをひったくった。彼とリズベットがファイルの中身を見ている間、シンシアはその姿を楽しそうに眺めていた。


「……先輩、これ」

「本当なのか? というかどうやってE9ガスを仕入れた?」


 E9ガス。化学兵器の一種で、強力な毒ガスである。密閉され保存されている間は無色無臭の液体だが、酸素と結合する事で気化し、神経ガスを発生させる。その色から『イエローガス』とも称されるそれは、生物の皮膚に浸透した後に筋肉を麻痺・硬直させ、最終的に窒息死させる恐怖の兵器である。


「E9ガスというと、惑星に降り立った有害性コズミックモーフを殺す時に使うやつですよね」

「ああ。堅い甲殻を持った虫も、刃物並みに鋭い刺を持った化物も殺せる優れものだ。人に使う事は……無いと願いたい」

「ですが、事実この都市にはそれがあると報告されています。しかも気化して発生したガスに色がつかない試作品、E9ーXです」

「は? E9ーX? いや、名前はどうでも良い。何でよりにもよって試作品が盗まれてるんだ」

「研究所の報告では、いつの間にか保管庫から消えていたそうよ」

「そうか。そこの警備責任者は死刑だな。何ならこれが終わったらその研究所をコルノ・グランデによる軌道攻撃で廃墟にしてやろうか」

「あら、怖い。でも個人的には賛成かも。少なくとも研究員や警備員の何人かが手引きした事は事実でしょうしね」

「えっ?」


 シンシアの言葉にリズベットはいつも持っている洋扇をいじる手を止めた。


「ラピスの言う通りだ。厳重に保管されてるはずの試作品、あろうことか毒ガスを盗まれるなんて不祥事では済まされない。グルになった奴らがこっちに側にいると考えるのは自然だろう」

「でも、今はそんな事を考えている時間はありませんよね?」

「当たり前だ。というか、お前たちが送り込まれたのも毒ガスを回収するか、無力化する為なんだろ?」

「ご名答。これが無毒化する薬剤です」


 シンシアはブリーフィングテーブルの下に置いていた金属製ケースを開けた。そこには青色の薬剤が入った試験管が衝撃吸収素材で作られたクッションに包まれて収納されていた。




 一方その頃、アルベルトたちはシンシア部隊の隊員たちと朝食を取っていた。


「何故僕たちが格納庫で朝食を食べなきゃいけないんだ?!」

「だって食堂は市民に解放しちゃってるから、俺たちには使えないって中佐が言ってたろ?」


 プラスチックスプーンを握り締めるルーファスをなだめるようにヴィリが言った。一同はEFMの傍らで集まって食べていた。


「だからといってこんな場所で食べるなんて……ってヒオリ! 僕のチキンを盗るなよ!」


 ルーファスは真顔で自分の分のチキンを奪い取ったヒオリに抗議した。ヒオリは抗議を無視してチキンを口に入れた。


「ねえねえ、二人ってどのくらいまで進んでるの?」


 ユリカがアルベルトの肩をつつきながら訊ねた。


「何が?」

「カップルとしての進行度みたいなもんよ。手は繋いだ? キスは? それとも──」

「他人のプライベートに踏み込むなんて下品よ」


 テレーザがユリカの頭を小突く。アルベルトはテレーザが三人の中の世話役を買っているのを見て僅かに微笑んだ。


「ちょっと、何でレタスをこっちに寄越すのよ?!」

「美味しくないので」


 エリーゼはもう一人のシンシア部隊の隊員であるミオンと、互いのフォークでレタスを押し付け合う微笑ましい喧嘩をしていた。 


「下品よ! 名家の令嬢がする事じゃない!」


 たまらずクララが注意した。しかし負けず嫌いのエリーゼは自分だけが注意された事が気に食わず、思わず口答えをしてしまう。


「はあ? 何で私だけに怒るのよ?! コイツだって下品でしょ!」

「そうであっても貴女はもっと上品にできるでしょ! 家でテーブルマナーも習わなかったの?」

「こんな高級レストランでもパーティー会場でも何でも無い場所にマナーなんかあるもんですか!」


 近くにいた市民たちはアルベルトたちの喧騒について囁き合っていた。


「あれって本当に軍人なのか?」

「パイロットの記章着けてるし、そうなんでしょ?」

「あれが~? 不安だな~」


 その頃、アリュは陸戦部隊の隊員たちと共に缶詰を開けて即席の料理を作っていた。


「缶詰の魚は良いぜ。しっかりと処理がされてるからな」


 スプーンで缶詰に隙間無く詰められた小魚を皿に盛り、そこへ食堂から借りたコショウを振りかける。アリュはドレッシングにもっと他のバリエーションが無いのかと思いはしたが、市民優先の今では贅沢など言っていられない。味を付けられる物なら何でも良いのだ。

 艦内からかき集めた缶詰の中身をそれぞれの皿に盛り付けた隊員たちは、その味気無い食事をありがたそうに食べていた。都市がシールドによって封鎖されてすぐに直面したのは、食料のようないわゆる消耗品が減り続けるという問題だった。テロリストがどんな動きを見せるか分からない以上、下手に外へ助けを求める事ができないアキダリア市民一三〇〇万と取り残された軍隊は、市内に残った食料を我先にとかき集めていた。各所にある簡易の避難所では治安部隊が厳正に食料の分配量を整理し、市民に供給していた。しかしそんな事が永遠にできる訳は無く、計算上は一週間で都市内全ての食料が尽きるという見立てが発表されていた。


「食料が尽きるっていう布告をしたのはやはり悪手だったのでは?」

「間違いない。市内の食料品店はレストランまでもが略奪を受けたって話だ。バカだねぇ、お偉いさんは」


 アリュはエトナと今後の方針について話していた。


「これから我々はどうすれば良いんでしょう?」

「そいつは中佐と俺たちの姫リズベットが決める事だ。俺らには決定権はねえよ」

「ですが、このまま何もせず座しているのは士気にも関わります」

「それはそうだ。だが、中佐も何か考えてるさ。あのラピスっていう女が持ってきた情報を元にあれこれと作戦を立ててるさ」




「なるほど、E9ガスですか」


 グランド・アキダリア・ホテルにこもっているベルンハルトとヒョードルは、オットーからシンシアの持ってきた情報について聞いていた。


「毒ガスまでも使うテロリストだったとは。で、場所は? ガスの詰まった装置のある場所は?」

「完全には分かりませんが、おおむね見当はついているようです。ラピス中佐が持ってきた情報を元に部隊を派遣する予定です。それで、閣下には対ガステロ部隊の出動を手配して頂きたいのです」

「勿論です。すぐに警察署長を呼び出しますので。では」


 通信を切ったベルンハルトにヒョードルが話しかける。


「遂に反撃かね?!」

「そこまで大層なものではありません。反撃の為にはまず安全を確保しなければ」

「あ、そうか。そうだな……」

「閣下!」


 突然、背後から兵士の一人が駆け寄ってきた。


「何ですか?」

「しょ、正面玄関に──!」

「武装した市民が?」


 作戦を詰めていたオットーは手に持っていた栄養剤入りコーヒーをオペレーションテーブルに叩きつけた。


「どうやら食料や生活用品の配給に不満を持った市民が、ホテルに避難していた市長に直談判しに来たようで」

「どうするんです?」

「どうします、先輩?」

「最悪だな。これからやらなければいけない事が山積みだというのに。だが、だからといって放置しておく訳にはいかんな。何かの拍子に市民か守備隊のどちらかが暴発したら、大惨事になる」


 オットーは椅子から立ち上がる。顎に手を当てながら、何か方法は無いかと思案し始めた。そんな様子を見て、シンシアが何か思い付いたように人差し指を立てた。


「では、あの子たちを行かせたら良いじゃないですか」

「あの子?」

「貴方の部下の子たちですよ」

「はあ? 彼らは──」

「どうせ暇そうにしてるんでしょ? 少しは運動させてあげたら?」

「運動って……。彼らは貴女たちを迎えに行くのに一晩起きていたんですけど」

「でも元気でしょ? 元気な子は働かなきゃ」

「本当によく言う……」

「大丈夫。私に任せて?」


 シンシアはオットーとリズベットに楽しそうな笑みを浮かべて言った。


 


 


 




 




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