7.援軍

 メンズーアのメンテナンスが終わった面々は自室に戻って待機するよう命じられた。

 シャワーから出たアルベルトは、当然のように自分の部屋に入って雑誌を読んでいるエリーゼの姿が見えて眉をひそめた。


「自室に居ろって言われただろ」

「固い事言わないの。彼女のグラビアが載った雑誌を平気で読んでるクセに……」


 自分のグラビア写真が載ったページをアルベルトに見せつけながらエリーゼは微笑んだ。


「それはヴィリが俺に押し付けたやつだ。クララに見つかるとマズイって言われてな」

「私にはあれこれ言うクセに、クララったら独占的が強くってや~ね~」

「誰にでも股を開くお前よりは一途で良いと思うがな」


 養成学校時代、エリーゼは自分に構ってくれないアルベルトの気を引く為、同期生の男子数人と関係を持っていた時期があった。モラルのモの字も無い行為だったが、統合軍からパイロットを講師として呼んでいた実戦講習期間だった為、アルベルトはおろかヴィリやクララやルーファスでさえその事を認知していなかった。


「あの時は嫉妬の気持ちが無い訳ではなかったが、それよりもお前と寝た連中の対処に苦労させられたな。ヴィリもクララもルーファスを頭を抱えていたぞ」

「私の事をやらしい目で見てたスケベどもだもの。そんな連中は適当に夢を見させて適当に捨ててやればいいわ」

「そういう考えだといつか誰かに殺されるかもな」

「その時は貴方が守ってくれる?」

「……」


 アルベルトは思った。エリーゼは人間としては最低の部類だろう。自分のプロポーションで男を誘惑し、満足すると何の対処もせずに俺の所に戻ってくる。当然相手は俺がエリーゼを取ったと思って噛みついてくるし、周囲の視線は刺々しいものになる。正直言ってこんな女はさっさと見限るべきだが、もはや離れられない。深く関わり過ぎたし、捨てたら後悔してしまう程の情が移ってしまっている。そして何より……


(顔が良いし、名家の令嬢。身体の相性も……。オリヴィア程じゃないが、手放したくはないな)

「そんなに見つめてどうしたの?」

「いや、少しは自分の発言や振る舞いに気をつけてほしいと思ってな。世の中には信じられないような事を平気でしでかす馬鹿が大勢いる。このアキダリアを封鎖した奴らは氷山の一角だ」

「分かってるわよ。さすがにあの時はパパに怒られたから」

「それだけか? ちゃんと反省しているのか?」

「少なくとも昔よりは自分が他人にどう見られているか気をつけているわ」

「それなら良い。お前の面倒事に巻き込まれると大変な目に遭うからな」


 そう言いながらアルベルトはベッドの上に寝転がった。クッションの柔らかさが疲れを発散させてくれるような気がして、アルベルトは心地よさを感じた。


「疲れたな……」


 アルベルトがそう呟くと、椅子に座っていたエリーゼは雑誌を閉じてベッドに向かった。

 エリーゼはアルベルトが反応するより早くその頭を持ち上げると、自分の膝の上に載せて微笑んだ。


「……何の真似だ」

「疲れてるんでしょ? 彼女の私が癒してあげる」


 言いながらエリーゼはアルベルトの頭を撫で始めた。不本意ながらもエリーゼの手の温度に安心感を覚えてしまい、払いのけるタイミングを逸してしまった。

 それを見たエリーゼはますます笑みを浮かべた。


「それで良いのよ。こんな事をするのは貴方にだけなんだからね」


 エリーゼの言葉にアルベルトはある種の優越感がわき上がるのを感じた。どんなに他人の前では冷静な人物を装っていても、美少女にかしずかれるのは気分が良いものなのだ。それが例え人間性に問題があるような美少女だとしても。

 アルベルトはふと、記憶の底にしか存在しない母の事を思い浮かべた。厳しい父と比べると、母は天使のようだった。自分に関心が無いのではと幼いながらに不安になる程にアルベルトを叱らず、何をしても笑顔で済ませた。その分父は厳しく、常に完璧を求めていた。当時はそれが嫌だったし、今もその教育方針には疑問の余地が多いと思っている。だが、何でもそつなくこなし、ちょっとの悪口には全く動じないメンタリティを持っている今の自分を形作ったのは、間違いなく父と母の教育の賜物だとアルベルトは確信していた。

 思考はいつしかエリーゼの事へ移っていった。エリーゼは自分以外の男にはまるで興味を持たず、いつかは結婚して子どもを作る事すら既定路線だと思っている。それが嫌という訳ではないが、果たしてエリーゼの家族は自分を認めるだろうか。無論アルベルトの家とて名家と自称して差し支えない血統だが、財産を押さえている伯父の評判を考えると、ハルトヴィヒの家名にはマイナスイメージが付いているのではとアルベルトは常日頃から訝しんでいた。オリヴィアの将来を考えれば、エリーゼの家に婿入りするのは良策なのだが……。

 スライドドアの開く音でアルベルトの思考は途切れた。クララがドアの前に立ち、腰に両手を当ててしかめっ面をしている様子が逆さまに見えた。


「……お邪魔だったかしら?」

「アルベルトだって疲れるのよ。よしよ~し」

「子ども扱いするな」

「中佐がブリッジに来いって。至急よ。所構わずイチャイチャして……」


 最後の方はほとんど文句に近い独り言だった。


「もう。自分もヴィリとイチャイチャすれば良いのに」


 エリーゼは皮肉っぽく笑った。




「今から十分前、コルノ・グランデが信号をキャッチした。部隊内で使われている専用回線を通してな」


 オットーの言葉にアルベルトたちは顔を見合わせた。

 第38独立特務作戦群は統合軍とも自治政府軍とも違う専用回線を用いて隊員間の連絡網を築いている。当然、作戦群に所属する部隊間で連絡を取り合う必要があった場合も同様である。しかし今回は少し事情が違った。アキダリアにはオットー隊以外のランツクネヒト所属部隊は居ないはずなのだ。


「助けが来たという事ですか?」

「額縁通りに受け取るなら、な」


 アルベルトの質問にオットーは歯切れ悪く答えた。


「これは中央がアキダリアの状況を認知しているという証左です。いかなる指揮系統をも無視して動けるのは同じランツクネヒトだけですから、おそらく首相が要請したのでしょう」


 浮かない顔のオットーに反しリズベットは楽観的であった。リズベットは良くも悪くも行動主義者であり、停滞した今の状態に退屈していたのだ。


「ここで何もしないでいたらテロリストに先手を打たれます。早々に合流するべきです」

「それはそうだが、信号の発信位置がちょっとした問題なんだ。テロリストの襲撃と同時にやって来た暴徒の生き残りが立てこもっているエリアだからな」


 モニターには南東側の一区画が赤く塗りつぶされた都市のマップが表示されていた。


「とは言っても所詮は烏合の衆でしょう。私たちのメンズーアで一挙に片付けてしまえば良いじゃないですか」


 間髪入れずにクララが意見した。普段の様子とは全く異なる発言にアルベルトたちは思わず片眉を上げた。


「クララ?」

「何よ」

「なんか今日のお前ちょっと過激じゃないか? いつもは──」


 ヴィリの言葉を遮るように赤色のツインテールをなびかせてクララは言った。


「テロリストは問答無用で排除すべきよ。普段からこんな事言ってたらヤバい奴扱いされるじゃない」

「……ちょ、私を見ないでくれる?」


 エリーゼはクララからの刺すような視線にたじろいだ。


「いや、さすがにEFMは使用出来ない。変に騒ぎを起こしてテロリストを刺激したら本末転倒だ。ここは車両で指定された地点に向かうのが常道だと思うんだが」

「合流するついでに……」

「感情を抑えろ。我々は殺し屋でもシリアルキラーでもない。軍人なんだ。貴官がランツクネヒトの他の構成員と同様、テロリストという存在に思うところがあるのは知っている。だが、市民に被害が出る恐れのある行為は容認しない。良いかな?」

「…………。この場の最高位である中佐がそうおっしゃるなら、私はその命令に従います」


 クララはオットーの言葉を無表情に受け取った。




「……クララは何で怒ってるの?」


 ミーティングが終わり、アルベルトたちは陸戦部隊と共に指定ポイントへ出向く準備をしていた。


「何だって?」


 ヒオリの近くにいたアルベルトは、彼女の質問に間の抜けた声を出した。


「どうしたヒオリ?」


 すかさずルーファスがやって来た。今や彼はヒオリの世話役のような立ち位置にいた。あれだけ嫌な顔をしていたルーファスが当然のようにヒオリの疑問に答えているのを見てアルベルトは感心すると共にその心境の変化を可笑しく感じていた。


「クララ、さっき怒ってたから……」

「ああ。クララはテロの被害者だからな。思うところは多分にあるんだ」


 クララの家は統合軍創立以来続く軍人の家系である。軍高官となった人材を多く輩出していた家に生まれたクララが、先祖や親のようにエリート軍人の道を歩むのはほとんど決まっていたようなものだった。クララ自身も軍人になる事には抵抗は無く、エリートとして軍を率いる存在になるのだと考えていた。

 そんな認識が変わったきっかけは、在籍していた士官学校で起きた爆破テロだった。同期生の多くが傷つき、死者も出たこのテロを行ったのは特段の思想も無い愉快犯であった。愉快犯も広義においてはれっきとしたテロリストである。しかし全員がそのような認識を持っているとは限らない。クララは世界が自分の考えているよりも理性に支配されておらず、論理では説明できない所業を娯楽感覚で行う化物が日常に存在する事を思い知らされた。彼女がEFMのパイロットに志願したのは、テロリストをに排除したいという思いが強かった。


「……じゃあクララはテロリストを殺したくてパイロットをやってるの?」

「さあ。でもクララがいた士官学校での事件はニュースにもなったしな」


 アルベルトは準備を忘れてクララの身の上話に集中していた。


「ああやって大々的に報道するから病理思考者どもによる模倣犯が増えるんだ。地球時代から続くダークウェブで自慢合戦が始まる」


 ルーファスが顔をしかめて言う。テロは巨大統一国家である連邦では日常茶飯事の出来事だったが、メディアは事件が起こる度にこぞって報道した。特に中央領域で起こるテロは注目度が高く、ある種のイベントのように扇情的な見出しを付けて報道する社も少なからずあり、それがテロリストたちを焚き付けてしまっている一因となってしまっていた。


「テロリストの半分は愉快犯……。養成学校で習ったな」

「クララの気持ちも分からない訳じゃない。このランツクネヒトだってテロで家族を失った上流階級の人たちが出資してできた部隊なんだから。お前だって恨みがあるんじゃないのか?」


 バギーに乗り込んでクマのぬいぐるみを抱き締めているヒオリを見ながらルーファスはアルベルトに訊ねた。


「俺? 俺はオリヴィアが幸せでいられる為にパイロットになったんだ。この目的を邪魔する奴はテロリストでも同じ軍人だとしても敵だよ」

「相変わらずシスコンね。口じゃなくて手を動かしなさい」


 得意気に話すアルベルトの背後にクララが現れた。


「クララ?!」

「こっちはもう準備終わってるんだけど」

「悪い悪い」

「全く。ヘラヘラしてんじゃないわよ」


 低い声音でそう言うとクララは立ち去った。注意されたアルベルトは肩をすくめた。


「やっぱり怖いな。……今の話聞かれてなきゃ良いが」




 同じ頃、信号の発信源近くの二車線道路では散発的な銃声が轟いていた。

 銃声の主は生き残った暴徒たちが放つ火器であり、それらは俊敏に動く影に向けられていた。


「あまり騒ぎを起こすのは良くないけど、ああいう下品な輩は見過ごせないわね」


 統合軍の制服にコートを羽織った男装の麗人が恐慌状態の暴徒たちを高台から眺めていた。その腕には公安局の灰色の腕章を着用している。

 女性将校が眺めているその下では、俊敏な影が停まっている車の間を縫うように移動して暴徒たちを翻弄していた。暴徒たちはその動きにまともな対応ができないまま一人ずつサブマシンガンの銃撃を受け斃れていく。

 命乞いの余裕も無くものの数分で暴徒たちは殲滅された。銃声が止んだ道路の上には夜空が煌めいている。


「もうすぐ深夜の一時。あの人は果たして来るかしら」


 女性将校は淫靡な微笑みを浮かべる。


「中佐ぁ、女の人連れて来たよー」


 幼い少女の声に将校は振り向いた。サブマシンガンを携行した少女たちの傍らには、毛布を被せられた女性がいた。


「大いに結構です。これで周囲の安全も確保できたから一石二鳥というものです」


 将校は笑みを絶やさずコルノ・グランデが着陸している方向に視線を向けた。


「まあ、気長に待ちましょうか」

 


 





 

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