第二章 盤上の憂国者

1.火星での会議

 太陽系第四惑星火星。度重なる戦乱で環境が破壊され、都市でその跡を覆うしかなかった地球と打って代わり、水と緑溢れる惑星ほしとして火星は地球とは違う意味での繁栄を遂げていた。

 火星の都市はどれも緑と建造物が融合し、人工的な神秘を湛えた風光明媚な場所となっている。鉱物資源が採掘され尽くした火星では重要な観光資源であり、辛うじて残った古代の文化遺産しかない地球と違って観光客の数が段違いであった。

 そんな観光客に混じり、統合軍の制服を着た青年が金髪の少女を連れ立って歩いていた。


「おい。ここには仕事で来たんだぞ。中佐が許したからって──」

「中佐のお許しがあるんだから良いでしょ。少なくとも午前中は遊びましょう?」

「……」

「そんな顔しないの。楽しめる時に楽しむべきでしょ?」

「お前はいつも遊んでばかりじゃないか。っていうか、制服はどうした。これでは──」

「自由時間に制服を着込んでる貴方の方が変よ」


 オフショルダーの赤いワンピースを着たエリーゼは舞踊のようにくるくると回転する。スカートがヒラヒラと舞い、アルベルトは思わず視線を反らした。


「何よ。ちょっと見えるんじゃないかって期待したんでしょ」

「こんな衆人環視で……。まるで俺の趣味が悪いみたいじゃないか」

「昼間っから女の子を連れて歩き回る軍人さんなんて、ろくなもんじゃないわね」

「お前も軍人だろうが!」

「今だけは違う。軍人じゃなくて容姿端麗なご令嬢のエリーゼだから」

「自分で容姿端麗とかご令嬢とか、どうして言ってて恥ずかしくないんだ?」

「事実だもの。恥ずかしがる事なんてないでしょ? そんな事より、早くしないと喫茶店が満員になっちゃうわよ!」


 エリーゼはアルベルトの腕を取って引っ張る。


「そんな急がなくても。たかが喫茶店だろう」

「今から行く喫茶店は開店してすぐに埋まっちゃうの!」




「あれ、アルベルトとエリーゼは?」


 アンドロイドとのスパーリング形式での運動を終えたヴィリは、運動を始める前には居たアルベルトとエリーゼの姿が無い事に気づき、爪を磨いているクララに声を掛けた。


「二人なら街に出たわ。二十組限定のイチゴパフェを食べる為にね」

「はあ?!」

「いつもの事でしょ。あのお嬢様、昨日妙にテンション高かったから、きっとここに着くギリギリでパフェの事を知ったのね。わざわざワンピースドレスに着替えて出ていったわ」

「おいおい、午後には中佐から作戦内容が通達されるってのに……」

「まあ、灰色の腕章着けた軍人を見てちょっかいをかけようとする輩はいないだろうし、アルベルトがちゃんと連れ帰るから良いんじゃない?」

「アルベルトは制服のまま行ったのか……。ところで、ルーファスとヒオリの姿も見えないんだが……」

「二人なら向こうの部屋でゲームしてるわ」


 クララは自分の爪磨きに集中しつつ背後の扉を指した。


「ルーファス? ヒオリ?」


 ヴィリが扉を開けると、ちょうどルーファスがゲームのコントローラーを床に叩きつけている所だった。


「グアアアアッ!!」

「……これで三十連勝目」

「クソッ! 五戦ごとにキャラを変えるな! 動きが覚えられないじゃないか!」

「それが狙い……」

「ゲームなんかで熱くなるなって」

「ならヴィリもやれば良い! 彼女、わざと僕を苛立たせてるんだ!」

「そうだとしたら、今のお前は完全に目論見通りの状態になってるな」

「フッ」


 ヴィリの言葉にヒオリが僅かに笑みを見せた。ルーファスとヒオリはコミュニケーションを重ね、暇さえあればシミュレーションかゲーム──というより、それしかやる事が無い──をするほどに打ち解けていた。特に二人が熱中していたのは格闘ゲームである。


「この僕が……オンラインでは負け無しなのに!」

「格下相手に戦って満足してるだけ……」

「うるさい!」

「あんまり興奮するなって。この様子じゃ、作戦はおそらく真夜中に決行される。午前中に体力を使い切るなよ」

「いや、ダメだ! 少なくとも一勝するまではやめん!」

「……どうせ勝てない」

「何ぃ?! こうなりゃ徹底的にやってやる!」

「え? おい、ルーファス──」


 ヴィリの言葉にルーファスは反応せず、ヒオリは新しいコントローラーをルーファスに渡してキャラを選び始めた。その様子を見たヴィリはしたり顔で部屋を出た。


「二人は?」

「仲良く遊んでる。まさかルーファスがあんなに女の子と親交を深めるとはね」

「養成学校では告白されても全員断ってたからな」

「てっきり男の方が好きだと思ってたけど……」

「私とエリーゼ以外の女子には見向きもしなかったし、女性関係で何かあったんじゃない?」

「ヒオリとは仲良くなってるじゃないか」

「一応、同じ部隊だもの」


 クララはそう言うと立ち上がってシャワールームへ向かった。


「そういうもんかな」


 ヴィリはひとりごちて寝室に入った。そこでは四足型のロボットに乗り移ったランツクネヒトの補助AI、CTー2340が窓際に置いてあった水槽の中にいる生物を興味津々な様子で見ていた。


「何だ、その生物が気になるのか?」

「水槽内ハ淡水。シカシコノ甲殻類ハ通常ノ振ル舞イヲ見セテイル……」

「お前、クレイフィッシュ(ザリガニの事)を知らないのか?」

「生物ニ関スルデータハ最小限ノ物シカ取得シテイマセン。逐次検索シテイマス」

「そうなの? 何でそんな面倒な……」

「余計ナ情報ハ入レマセン」

「ええ……」




 周囲の視線を感じながら、オットー・シュタインドルフ中佐はエレベーターの扉を見ていた。上部の階を示す数字が光る度にその数字が小さくなっていく。十五階、つまりオットーの居る階でエレベーターの止まる音がした。


「時間通りですか。大変よろしい」


 エレベーターの扉が開くなりベルンハルト・ハイドリヒ公安局長官は待っていたオットーに声を掛けた。オットーは敬礼しながら挨拶をする。


「火星は良い惑星ほしでしょう。重力調整装置が無かった時代にテラフォーミングされた歴史ある場所。金属とコンクリートとセラミックに覆われてしまった地球とは大違いだ」

「ええ、まあ……」

「心配しなくても大丈夫ですよ。EFMは既に運んでいますし、陸戦部隊の準備も全て終わっているのでしょう?」

「はい。しかしこの会議を餌にアンチセクターを釣り上げるとは……」


 火星では年に一度、中央領域に属する各惑星の警察組織の長が集まる会議が行われる。各惑星の治安状況を報告し、必要に応じた支援や協力関係の構築を目的として行われるもので、数年に一度の頻度でアンチセクターの標的にされるのだ。


「二年にはわざわざ辺境領域からやって来たアンチセクターの過激な分派が各地で騒ぎを起こしました。なら、こちらから呼びつけてやって来た連中を始末してしまった方が良いでしょう。ここまで来る連中は要するにそれだけ過激な思想にかぶれているという事ですから」

「ですがEFMまで使うのは……」

「EFMはもしもの時の為です。わざわざ兵器を引っ張り出してきた事例は過去にあります。陸戦部隊が対処に難しい兵器をEFMに始末させる。他にも安全策は講じていますから安心してください。では私はこれで。内務大臣が会場に入られた頃でしょうから」


 そう言ってベルンハルトは去って行った。それを待っていたかのようにオットーの制服の内ポケットの中に入っていた携帯端末が鳴る。


「間の良い事だな」


 オットーはそう呟き、応答のボタンをタップした。


「先輩、宇宙港でテログループを捕らえました。プラスチック製の銃火器を分解して運ぼうとしていたようです」

「そうか。長官の言うことは正しかったようだな。よし、今日やって来るテロリストどもは一人も逃がすなよ」

「そいつらは港にいる局員に任せましょう」

「会議の日程が発表されたのは一ヶ月も前。準備期間中に観光客を装って入った連中が至る所に潜んでるはずだ。長官はそういう連中を一斉摘発しようとしてる」

「忙しくなりそうですね」

「ああ。俺もすぐに戻る。そろそろ我慢出来なくなった奴らが動き出してもおかしくないからな」

「それについては私が対処します」

「頼んだ」


 電話が切れる。リズベットはポケットに携帯端末をしまい、オペレーターアンドロイドたちに指示を出した。


「まずは顔が割れてる奴らを捕らえるわよ。街に潜伏しているテロリストはマーク出来てる?」

「追跡対象四十九名の内、十七人が監視カメラに捉えられています」

「バカな連中ね。会議があるまではじっとしていれば良いのに。十七人は全員捕まえなさい。仲間の居場所を吐かせて、その後は殺して」


 リズベットとの通話が終わったオットーは会議の会場となっているホテルの出入り口の階段を降りていた。迎えの車が停まっているのを見てオットーは僅かに微笑んだ。


(こんな風に迎えの車が来るなんて。俺も出世したな……)


 オットーが車に乗り込もうとすると、記者である事を示す緑色の腕章を着けた人間が複数人近づいてきた。


「会議の警備状況はどうなんでしょうか?」

「はっ?」


 思わずオットーは間の抜けた声で返事をしてしまう。が、すぐに記者たちが自分の灰色の腕章をちらちらと見ている事に気づく。


(警備担当者と勘違いしたのか……)

「済まない。私は会場の警備担当ではないのだ。ちょっと確認する事があってね……」

「先ほどハイドリヒ公安局長官と話をしていたようですが」


 記者の一人の言葉にオットーは眉をひそめた。こいつら、ネタがないか俺たちみたいな軍人や警察官に張り込んでいやがったのか?


「……ああ、宇宙港で武器を持った者が検挙されたと長官に報告しに行っていたんだ」

「なるほど……」


 数人の記者が公用車とオットーの階級章を交互に見る。そんな事の為にわざわざ佐官を寄越すのかという疑惑の視線である。


「急いでいるんだ。では私はこれで」

「この会議を狙うテロリストは、宇宙港で検挙された者以外にいるんでしょうか?!」

「いたとしてもすぐに捕まる」


 吐き捨てるように言ってオットーは後部座席の扉を閉める。門までしつこくついてくる記者たちの商魂に内心感心しながらも、オットーは絶対に目を合わせないように真正面のシートを凝視していた。




 その頃、限定イチゴパフェを食べ終わったアルベルトは近くの自動販売機で買った水を流し込みながらエリーゼを待っていた。化粧直しだと言ってトイレに入ってから十分程が経っており、アルベルトは胃のある辺りをさすりながら先ほど食べたパフェについて考えていた。


(大粒のイチゴにイチゴアイス、イチゴゼリーにイチゴ味のクリーム……。しばらくイチゴは食べなくていいな。……全く理解出来ない。あんな甘ったるい物の何が──)


 そこでアルベルトは脚に何かが衝突する感覚を覚えた。


「わっ」


 それは小さな女の子だった。初等学校(小学校に相当)の一年生か二年生程度ではとアルベルトは目算をつけた。


「大丈夫か?」


 尻もちをついてしまった女の子の手を取りながらアルベルトは声を掛けた。


「うん。……あっ」


 女の子はアルベルトの制服と腕章を見て目を丸くした。


「こうあん! こうあんのひと!」

「ユリーカ!」


 母親とおぼしき女性が駆け寄ってくる。女の子を抱き抱え、アルベルトに頭を下げた。


「すいません、お転婆で……」

「いえ、ケガが無さそうで良かったです」

「こうあん! こうあん!」


 女の子はアルベルトを指さして同じフレーズを繰り返す。


「こら! 大きな声を出して──」

「パパいってた! こうあんのひとってなの!」


 和やかかと思われていた空気が一気に冷え、アルベルトと母親の笑顔が崩れる。


「ユリーカ!」

「ぱぱが~、こうあんのひとはおーぼーなんだって! はいいろのわっかつけていばってるの!」

「黙りなさい、ユリーカ! 本当にすいません! ええと、これは冗談でして、決して反体制的な思想とか、そういうものでは──」

「いや、分かっていますよ。だから──」

「あー! こんな所に居たー!」


 聞き馴染みのあるトーンよりも一段階は高い声でエリーゼがアルベルトに声を掛けた。


「もう~、ちゃんと待ち合わせ場所に居なきゃダメじゃないですか~」

「え……。…………。──ああ、済まない」


 エリーゼの意図を察し、アルベルトはすぐに調子を合わせた。


「じゃあ、少尉は私がもらって行きますから。ごきげんよう~」


 エリーゼがアルベルトを無理やり引っ張る。母親は未だに顔面蒼白のままアルベルトに向かって叫ぶ。


「あの! 決して思想犯という訳では──!」

「分かっていますよ」


 アルベルトは人当たりの良いビジネススマイルを作り、優しい声音で続けた。


「報告はしません。私も、少し羽を休める為に来たので。……じゃあね」

「うん! こうあんのひとじゃあねー!」


 二人は人目がつかない場所に移り、ほっと息をついた。


「どう? 私のアドリブ」

「助かったが、周囲の視線がかなり冷たかったな」

「しょうがないでしょう?」

「何がしょうがないでしょうだ。お前がそんなひらひらした服を着ているからだろうが」

「オシャレよ。煌びやかな宝石には綺麗な貴金属で作った指輪をはめ込むのがお似合いでしょ?」

「ナルシストめ」

「古い言葉。──ところで、あの母娘どうするの?」

「言っただろ。報告はしないって」

「あの二人はともかく、父親は要注意ね。顔の記録は取った?」

「どうせこのコンタクトが勝手に情報を収集してるよ」


 アルベルトは瞼に軽く触れる。アルベルトは公安局から支給されている情報収集機能付きコンタクトレンズを着用していた。


「じゃあ何かあっても大丈夫ね」

「まあな。……で、もう満足したか? 時間的にそろそろ帰らないと」

「分かってる。そこは弁えてるから。久しぶりにデート出来て楽しかったわ」

「それなら良かった」

「じゃあ、帰りましょうか。次は貴方の行きたい場所に連れていって」

「行きたい場所があればな。見つけたら、今度は私服で行くよ。男避けだと言われてわざわざ着込んだ制服だが、おかげで市民の視線が痛かった」

「ふふっ。私は結構面白かったわ」


 エリーゼはそう言ってアルベルトの手を握る。アルベルトも優しく握り返し、二人は仲良く宿泊先のホテルに戻ったのだった。


 


 



 


 


 





 

 


 




 




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