9.スパイごっこ part3
惑星ベッファの軌道上に存在する小惑星帯。そこに潜むように一隻の戦艦が佇んでいた。
灰色に公安局のマークがついた艦の中では、戦闘服に身を包んだ特殊部隊が戦闘準備を整えていた。
「大尉」
部屋に入ってきた連絡員が筋骨隆々で浅黒い肌の男に声をかけた。
「どうした?」
「ベッファの軌道ステーションからオルジャーニの部下が乗ったシャトルが出航しました」
「へえ。それはどっちのオルジャーニだい?」
「兄の方です」
「なるほど。弟とは違うらしい」
大尉と呼ばれた男は人当たりの良い笑顔を浮かべてボトルに入った水を口に流し込んだ。
「で、なんだい? 少佐が対応しろって?」
「あ、いや、いつでも行動開始出来るようにと……」
男は軽く笑って片手をぶらぶらさせた。
「アイアイ。いつでもオーケーだと伝えてくれ」
連絡員が辞去すると一人の隊員が大尉と呼ばれた男に近づいてきた。
「我らが姫は妙に張り切っていますね」
「まあな。義体製造プラントでの失敗で焦ってるんだろう」
「そうでしょうか? 個人的には中佐に褒めて欲しいだけのように思えますが……」
隊員の言葉に大尉は一瞬面食らったような表情を浮かべたが、すぐに快活な笑いを漏らした。
「ハハハッ! そうかもな。いや、多分それが合ってるんだろう」
「我らが姫は中佐が大好きですからね」
「だな。すぐにも出撃を命じられる可能性が高い訳だ」
「ですね」
金髪の好青年は微笑して肩をすくめた。
「どうせ素人相手の虐殺になるだろうが、久しぶりの大規模な作戦だ。少しは心づもりしておかないとな」
「心づもりと言えば、あの二人は今回の仕事が奇妙である事に気づいているんでしょうか?」
「当たり前だ。誰だって変だと思うさ。今頃は姫への猜疑心でいっぱいになってるだろうな」
男はまた快活に笑った。
「そんじゃ、命令まで気長に待つとしますか」
男は水を飲むと、ベンチに座りロッカーを背もたれにしてうたた寝を始めた。
目を覚ましたアルベルトは、外がまだ暗い事に違和感を覚えた。
「む……」
時計を確認して、時間表示がいつもと違う事に気づいたアルベルトは、自分がいる場所と任務をすぐさま思い出した。
「!! 集合時間が……! おい、エリーゼ──」
そう言って横を振り向いたアルベルトの目に入ってきたのは、裸体画と見紛う程に美しいエリーゼの白く細い身体だった。
「あ……」
彼の脳内に天使のように愛らしい矯声でよがり狂うエリーゼの姿が去来した。汗ばんだ事でむしろ艶容な雰囲気が溢れるエリーゼの身体を抱きしめ、一心不乱に肉欲をぶつけた自分の事も。アルベルトの胸中に羞恥心とこらえようの無い欲情が一斉に襲いかかった。生まれたままの姿で心地良さそうに眠るパートナーに手が伸びるが、理性がそれをせき止めた。抱くならいつでも抱けるだろう、と。
結局、アルベルトは自身の理性と折り合いをつけ、トイレに駆け込んだ。五分程立ってトイレから出た時には、普段の冷静さを取り戻していた。
「エリーゼ、起きろ。服を着るんだ」
「んん……」
エリーゼはわずかに瞼を開き、空に星が瞬いているのを見るとすぐさまシーツを被ってうめいた。
「まだ夜じゃない……」
「しっかりしろ。ベッファの自転周期は地球の約二倍だ。見ろ、街の人たちは時間通りに出勤してるぞ」
その時間帯は地球時間で言うと朝の七時頃であった。空は黒い
「オルジャーニと合流する時間まであと二時間しかない。あいつよりも先に合流地点に居ないと」
「う…………。じゃあ先に行ってて……」
「バカ言え。あいつを引き渡したらそのまま帰るんだぞ。置いてきぼりになって良いのか?」
「……」
エリーゼはゆっくりとシーツをめくり、一瞬起き上がろうとしたが、再び身体をベッドに戻し、静かな吐息を立て始めた。
「……っ。いい加減にしろ!」
こらえきれなくなったアルベルトはエリーゼを抱え上げた。
「ん~! イヤ! 寒い!」
「さっさと服を着ろ。あと、棚の上の銃を忘れるなよ」
「む~。アルベルトの意地悪」
そんな文句を言いつつも、エリーゼは律儀に服を着始めた。それを確認したアルベルトはベッド横にある棚の引き出しを開けて自分の拳銃を取り出した。スライドを引いて安全装置を解除すると、腰のホルスターに納め、コートで見えなくなるようにした。
「はい。準備完了よ」
声のする方を見ると、黒いブラウスを着たエリーゼが立っていた。首にはオパールのネックレスが掛けられている。
「それ、まさか昨日買ったのか?」
「このネックレスの事? そうよ。市場に行った時にね」
「大胆な奴だな」
「それはどうも。個人的には、「似合っているよ」って言って欲しかったんだけどね」
部屋を出かけたアルベルトは思わず立ち止まって振り返った。不機嫌そうな顔で髪をいじるエリーゼは、今か今かとその言葉を待っているかのようだった。
「……。あー、…………似合っているぞ……」
「……あっそ」
あまりにも淡白な反応にアルベルトはずっこけそうになる。
「おい! お前の求めてる言葉を言ってやっただろ!」
「こういうのは男が先に言うものよ。女に指摘されてからじゃ遅いわ」
「何ぃ?」
「全く……ベッドの上以外じゃヘタレ同然じゃない。私を抱いてる時は人が変わったみたいに歯の浮くような事ばっかり耳元で囁いてくるクセに……」
「とにかく! この話はおしまいにして早く行くぞ」
無理やりに話を切り上げて部屋を出ていくアルベルトの背中を見てエリーゼは小悪魔のような笑みを浮かべた。
「……可愛い。絶対に妹ちゃんには渡さないから」
星空が輝いているにも関わらず、各々の職場や学校に向かっている人々の姿は二人にとってかなり違和感のある光景であった。二人の乗った車は街の東側にある金属スクラップ集積所の中に入り、廃車が積み重ねられたエリアに停まった。
「予定の時間まで少し余裕はあるな。朝食を食べておけ」
アルベルトはエリーゼにレーションを渡した。加熱式の弁当箱で、紐を引くと一瞬で丁度良い温度にまで食材が加熱される。蓋を開けたエリーゼは思わず顔をしかめた。
「……フードプリント技術があるんだから少しは食欲の湧く見た目にしなさいよね」
それぞれ分けられて入っている白色、灰色、そしてくすんだ赤色のペーストをスプーンで指しながらエリーゼは不平を漏らす。
「養成学校の訓練で食べたよな?」
「同級生の男どもに押し付けたわ。取り合ってたわよ?」
ニヤッと笑うエリーゼにアルベルトは呆れたように息を吐いた。
朝食を食べ終わってからおよそ一時間後、予定時間通りにオルジャーニがやって来た。
「時間通りで何より」
「待っている間に襲撃とかされなかった?」
「それは無かったが……安全の為に信用出来る連中を先に逃がしておいた」
エリーゼはオルジャーニの同胞愛をせせら笑った。アルベルトはたしなめるように睨み付けた後、車を発進させた。
目的地は街から二百キロ程離れた場所にある森林である。そこにオルジャーニを引き取る為の部隊が待機しているはずだった。
「……ヒマね~」
高速道路に入って数分後、突然エリーゼが呟いた。
「何か映画とか見れないの? このカーナビ」
「おい。ルートが分からなくなるだろうが」
「高速に乗ってる間は大丈夫でしょ? それに音声案内してくれるんだからカーナビなんか見なくても良いでしょ?」
「少しは緊張感ってものを持った方が良いぞ。俺たちはテロ組織の首領を移送してるんだ。腑抜けてるにも程があるって」
「それなら映画みたいに車で追っかけてきてほしいわね~。その方が身が引き締まるっていうか……」
「言っとくが、俺たちのナノマシンは多少の怪我だったら簡単に治してくれるが、銃創なんかはアウトなんだからな」
「官給品のナノマシンをインプットした私たちと、銃の撃ち方を知ってるってだけでいきがってるテロリストじゃ単純な性能が違うわ」
「そうやって縁起でもない事をまくしたてるな。俺としてはこのまま何事も起こらないように――」
後方から車がスリップするような音が響いた。ミラーには猛スピードで車を追い抜きながら近づいて来るバンが写っていた。
「あら」
バンの助手席から人が乗り出した。アルベルトたちの乗った車を指さし、何かを叫んでいる。
「あいつら、マッセンの部下だ!」
「マッセンていうと、あんたの弟の名前だったな。……お前の望み通りの展開だぞ」
「ちょっとしたアクション映画が出来そうね」
待ってましたと言わんばかりにエリーゼは後部座席に掛けていたガンケースを手に取り、中に収納していたアサルトライフルを取り出した。
「ねえ。一応聞いておくんだけど、あいつら殺っても大丈夫よね?」
武闘派のエリーゼではあるが、それなりの気づかいは出来る。確認を迫られたオルジャーニは拳を握りしめると、絞り出すように声を出した。
「う……覚悟は出来てる。……俺はもう奴らを裏切ってる!」
「オッケー」
オルジャーニの許可を得たエリーゼは助手席から身を乗り出すと、既に後方にまで急接近していたバンに躊躇無く銃撃を開始した。
「撃ってきた!」
バンの運転手は一瞬動揺しつつも、すぐにジグザグ走行でエリーゼの銃撃を避け始めた。
「チッ。以外に冷静ね」
エリーゼは運転席を狙うのを止め、助手席に座る男に銃弾を叩き込んだ。男は顔面に銃弾が直撃し、そのまま絶命した。
「やられた!」
「バンをあいつらの前に!」
バンが突然スピードを上げ、アルベルトたちの乗る車を追い抜いた。ピッタリ縦列になるようにバンが前に塞がり、後部ドアが開いてアサルトライフルを装備したマッセンの部下たちが射撃を開始した。
「ちょっと!」
「死ねえ! 裏切り者!」
マッセンの部下たちはオルジャーニへの殺意を叫びながらアルベルトたちの車に乱射する。周囲の関係無い車両にも弾が当たるが、全く気にしていない。
「過激すぎでしょ! 民間人も巻き込むなんて……!」
「さっさと排除しろ!」
そんなアルベルト一行のカーチェイスは、軌道上の公安局の戦艦によって完全にモニターされていた。
「少佐、例の二人とオルジャーニが攻撃を受けています」
艦橋のオペレータは副指揮官席に座っている人物に報告した。
「そう。まあ惑星全土に広まってる組織だものね。バレてもしょうがないか」
軍艦の乗組員に全く似つかわしくないゴシックロリータのドレスを着た『少佐』は脚を組み直して思案した。
(予定より早いけど、まあうちも
そして人形のような副指揮官は右手を振り下ろして命令を発した。
「──作戦開始! 惑星ベッファに蔓延る
命令から数秒後、艦から兵士やEFMを満載した輸送機が次々と飛び立った。一方、ベッファの自治政府軍総司令部でもベッファ独立派を標榜する武装組織の拠点への攻撃命令が発令されていた。
自治政府軍の基地からミサイルが発射され、それが数百キロ離れた武装組織の拠点に降り注ぎ、降下したEFMが容赦無くその跡地を蹂躙していく。その間に憲兵隊によるベッファ独立派のシンパや協力的な政治家の検挙も行われていた。アルベルトとエリーゼのオルジャーニ確保はベッファ独立派殲滅作戦の一環に過ぎず、二人は良いように使われていただけなのであった。
一方、各地で軍が殲滅作戦を行っているとは知らないアルベルトとエリーゼは、アクション映画さながらのカーチェイスを続けていた。
「車体硬い! あのバン防弾仕様よ!」
「不愉快なまでに用意周到だな!」
エリーゼの銃撃が通らないのを見たアルベルトは銃弾が効かない事を悟り、ある決心をした。エリーゼにシートベルトを締めるよう言うと、アクセルペダルを勢いよく踏み込んで前を走り続けるバンに突進した。
「勘弁してくれ!」
縦に横に揺られながらオルジャーニは叫んだ。車体をぶつけられたバンも揺れ、乗っていたマッセンの部下たちは体勢を崩した事で銃撃を止めざるを得なかった。
「今だ!」
アルベルトは拳銃を掴んで片手でハンドル操作をしながら乱射した。フロントガラスが砕け、数発がマッセンの部下に直撃した。
「うわっ!」
「連中は怯んでるぞ!」
「分かってる!」
エリーゼはシートベルトを外して再び乗り出した。今度はアサルトライフルに取り付けていたアタッチメントであるグレネードランチャーから擲弾を発射した。擲弾はバンの後部に命中し、バランスを崩したバンはそのまま対向車線に突っ込んでいった。
「これで死になさい!」
さっきまでのお返しと言わんばかりにエリーゼは横転したバンに向かって再び擲弾を発射した。これがとどめの一撃となり、煙が出ていたバンは這い出そうとしていたマッセンの部下ごと爆発炎上した。
「これでよし」
爆発音を聞いたアルベルトは心ここにあらずといった様子で呟いた。
「次の追っ手は無いようね」
「もう来ないでほしいがな」
「大丈夫?」
エリーゼは黒煙の柱を見て唖然としていたオルジャーニに声を掛けた。
「え、ああ……」
「次が来ないうちに早く行ってしまおう」
アルベルトはペダルを踏んで更にスピードを上げ、目的地に急行するのだった。
惑星中央都市旧市街の一角にあるベッファ独立派の本部。そこではオルジャーニの弟であるマッセンが実兄の殺害報告を待っていた。
「失敗した?! ふざけてるのか?!」
報告にやって来た部下に向かってマッセンは怒鳴り散らした。テーブルの上にあったコップを投げ捨て、椅子を蹴飛ばす。
「も、申し訳ありません。向こうもそれなりの備えをしていたようで……」
「言い訳のつもりか?! アイツは一人で公安の連中と合流すると言ってただろうが!」
「じょ、情報が間違っていたようで……」
マッセンは部下を殴りつける。鬼の形相のマッセンに周囲の者たちは恐怖を覚え後ずさった。
「組織を売った裏切り者のゴミクズの死体をさっさと持ってこい! でないと、お前を電灯に吊るすぞ!」
殴られた部下は慌てて部屋を出ていった。マッセンは蹴飛ばした椅子を戻してそれに座り込んだ。
仲間やシンパが各地で軍部隊の襲撃を受けているのという報せが届いたのは三十分程前の事。以来連絡を取り合っていた拠点への通信は次々と途絶えており、マッセンは近隣住民を追い出して本部周辺を要塞化するよう指示を出していた。
(あの裏切り者……絶対に許さねえ……)
マッセンは既に兄であるリーバスの事を敵としか思っていなかった。自分の妻子を巻き込んだ連邦に対する復讐心から組織に入ったマッセンは、手ぬるい施策しか取らないリーバスに不満を持ち、同じような境遇の同志を集めて組織の武装化を一挙に推し進めた。連邦に対するルサンチマンを発散する為にリーバスの組織に入った者が多かった影響で、組織の乗っ取りは比較的簡単に達成された。それからマッセンは復讐心に取りつかれたように親連邦的な政治家の暗殺、政府施設に対する爆破テロなどを実行した。マッセンはベッファ独立派という組織を、復讐の道具として振るっていたのである。
突然、地震にも似た大きな揺れが本部を襲った。
「何だ?!」
「大変です! 軍がすぐそこに!」
窓の近くに居たマッセンの部下が叫んだ。駆け寄ると、灰色の機体色に塗装されたアベレージが旧市街に降下し、マッセンの部下たちが築いたバリケードを破壊していた。
「公安局?!」
「公安の執行部隊だ!」
「嫌だぁ! 全員殺される!」
相手が公安局と知り、マッセンの部下たちはうろたえ、絶望を顔に浮かべた。公安局の擁する執行部隊の評判は誰でも知っていたからである。
「あのクソ野郎……!」
兄が組織を売った事による結果を目の当たりにしたマッセンは歯を食いしばり、指が貫通しそうなまでに拳を握りしめた。
公安局のアベレージたちは容赦無い攻撃を開始した。装甲車を踏み潰し、必死に銃撃するテロリストを二十ミリ腕部バルカン砲で赤い霧へと変える。無関係な市民への影響を考慮しない公安局の攻撃によってベッファ独立派の本部は数分で壊滅状態に陥った。
崩壊寸前の建物の中で、ベッファ独立派の構成員たちは何とか生き延びようと逃走し始めていた。一方マッセンは圧倒的な力に恐怖し、その場に立ち尽くしてしまっていた。
「マッセンさん何やってるんですか! 早く逃げましょう!」
部下の一人が立ち尽くしているマッセンに気づいて肩を揺らす。
「マッセンさん!」
「……」
何とかマッセンを動かそうとしていた部下の額を、銃弾が貫いた。
「?!」
ようやく我に帰ったマッセンは、窓の外に特殊部隊の乗ったヘリがホバリングしているのが目に入った。
「マッセン・オルジャーニだ! 撃て!」
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