8.スパイごっこ part2
アルベルトがエリーゼに電話する数分前……
エリーゼはすぐに追っ手の人数が増えた事に気づいた。アルベルトと分かれた時は確かに一人だったが、今や三つの視線が執拗に自分の背中に視線を注いでいる。
このままホテルに帰れば相手側に襲撃地点を教えるような事になる。さすがのエリーゼもそれは理解していた。
(アルベルトの指定してくれたルートは通れないわね)
しばらく歩いたエリーゼは宿泊先のホテルの前に来たが、一瞥もせずに通り過ぎた。情報を相手に与えてはいけない。何がなんでも撒かなければ。
(ところで、アイツら素人ね……。バレバレの動きで逆に悪目立ちしてるわ)
エリーゼはフッと笑ってCTにルートの変更を要請した。CTは一秒で次の帰宅ルートを算出した。
新たなルートを元に彼女は移動を開始する。まずエリーゼは観光客向けの露店が立ち並ぶエリアに入った。売られているのは勿論街の特産品であるオパールに関連する物で、惑星独自の通貨で取引されている。一応連邦が定める公定通貨であるクレジットでも取引出来るが、中央領域から遠く離れた惑星の住民は、好んで独自の通貨を利用しており、観光客は惑星に入る際にクレジットから独自通貨に両替しなければいけないケースが多かった。辺境惑星の連邦離れが可視化された一部分である。
しかし郷に入ってはなんとやら。エリーゼも意地を張らずにしっかりとクレジットを独自通貨に両替していた。偽装目的でオパールの欠片をネックレスにして売っている店に立ち寄ると、人目を引くようにわざと髪をなびかせてネックレスを手に取った。一つ着けては鏡を見て、また別の物に着けかえては鏡を見てを繰り返していると、ごく自然を装ってエリーゼの姿を見ようとする人々がにわかに集まってきていた。エリーゼは自分の美貌を自覚しており、そしてそれを謙遜せずひけらかすのが好みであった。
エリーゼの追跡者たちは露店に入った時点で彼女に接触しようと試みていたが、人が不自然に集まっているせいで行動が起こせなくなっていた。
(フフッ。これもパパとママが高いお金を払って私の遺伝子を調整してくれたおかげね……)
金髪の美少女というとそうそう居るものではない。店の主人である老人も煙草を指に挟んだまま、楽しそうに装飾品を選ぶエリーゼに見惚れていた。小さく、宝石としても中途半端なオパールがついたネックレスだが、エリーゼが着けると貴族や王族の持つ宝飾品のような優美さを放った。
五つ目のネックレスを身に着けていると、どうしたものかと立ち往生していた追跡者たちに動きが見えた。三人の追跡者たちはそれぞれ顔を見合わせると、銃を抜いて人混みに突っ込んでいった。
その様子を辛うじて確認出来たエリーゼは、個人的に気に入った三つ目のネックレスを手に取って店主の老人に声を掛けた。
「これにするわ」
「……えっ? ああ」
エリーゼを幻か何かと思い始めていた店主は途端に夢見心地な気分を切り替え、数枚のコインを受け取った。
「毎度あり」
「ありがとう。これで彼も私だけを見てくれるようになるわね」
可憐なウインクをしてエリーゼは去っていった。店主はあんな美人に懸想されている人物に年甲斐も無く嫉妬してしまうのだった。
露店街は商業地区の出入り口付近にあった。しばらく歩いたエリーゼは、いつの間にか古びた建造物ばかりが立ち並ぶ場所に居る事に気づいた。
商業地区の建物は観光客へのイメージアップの為に手入れが行き届いていたが、彼女の居る区画の建物は経年劣化や汚れが目立ち、そしてそこに居る人々にもそれらを改善しようという意思が見られなかった。
(アレ……。ちょっとアブナイ場所に来ちゃった?)
小綺麗な服の自分とは対照的に、どこかくたびれた装いの人々を見てエリーゼがここがスラム街か何かなのではと憶測を立てた。
いつの間にか追跡者たちが目と鼻の先に近付いてきていた。もはや忍ぼうという意思は全く感じられない。堂々と銃を握りしめて走っていた。
(ウソでしょ……?! もうちょっとこっそり近付くでしょ普通?!)
エリーゼは明確な危険を察知して走り出した。それを見た追跡者たちは銃弾が確実に当たる距離にまで近付こうと更に足を速めた。
細い身体を駆使して巧妙に人の間を行くエリーゼに対し、追跡者たちは老若男女関係無く押し退けて彼女を追った。その強引さにエリーゼは既にオルジャーニが裏切った事が組織に知られているのではと勘繰った。
(内部情報が漏れてなきゃもっと慎重に来るはず。私を消す気ね……!)
エリーゼは大通りから狭い路地に入った。物陰に隠れ、腰のホルスターに納められている拳銃を抜き、チャンバーチェックを行う。エネルギー兵器の小型化は未だに成功しておらず、西暦四三世紀の時代でも人間が使う銃火器と言えば火薬を使う物が主流であった。
コンクリートの地面を勢いよく踏みつける音が連続して聞こえてくる。路地に入った追跡者たちは物陰から飛び出したエリーゼを見つけると、周囲も気にせず遂に発砲した。
「チッ!」
エリーゼは舌打ちをして戦闘インターフェースを起動した。一瞬でゲーム画面のように手に持っている銃の残弾数や周囲の地図が網膜に投影された。
振り返って二発撃ち返すと、追跡者たちは一斉に近くの遮蔽物に隠れた。路地にいた人々は悲鳴を上げて駆け出す。エリーゼもそれに紛れて追跡者たちから離れていった。
路地を更に折れて建物と建物の隙間に出来た小さな通路を通り、水の流れる水道を飛び越え、エリーゼは先ほどの露店街よりもはるかに雑多な通りに出た。
エリーゼの足下には見るからに有害そうな青色の煙を吸い込んでトリップ状態になっている男がいた。よだれを垂らして水をかくように両手を動かしている。
(ブルージェリー……。麻薬をやってるヤツが普通に居るって事は……ここは闇市か何かかしら?)
今にも脚に抱きつきそうな薬物中毒の男の顔面に蹴りを食らわせると、エリーゼは人混みに入った。明らかに柄の悪い男たちが、通り過ぎるエリーゼを睨みつけた。反対側ではどこにでもいそうなスーツを着たどこかの会社員──恐らく鉱山関係者──が老婆に紙幣と青いジェル状の液体が入った小瓶を交換している。少し進むとしゃちこばった字で『官給品』と書かれたダンボールの板を手に持ちながら小さな子どもが医療品を販売し、その隣の露店では痩せこけた人々が長い行列を作っていた。かなり古い合成食品製造機で作った不味いブロック食品を求めているのだ。店主は金銭ではなく小さな魚とブロック食品を交換していた。エリーゼはその合成食品製造機に突っ込む原料なのではないかと推測しながら露店の前を通り過ぎた。
突如として悲鳴が響き渡った。追跡者たちが追いつき、空中に向かって銃を撃っていたのだ。人々を退けてエリーゼだけを狙う魂胆だったようだが、何分人が多すぎるせいでその試みは失敗していると言わざるを得なかった。
一人がエリーゼを姿を捉えた。
「ヤバッ!」
見つかった事を察したエリーゼは人の波を何とか横切って錆びたポップコーン製造機のカートの陰に隠れる事が出来た。
「あそこだ!」
追跡者の一人が叫び、一瞬頭を上げたエリーゼに照準を捉えた。その射線上にはけばけばしい色のシャツを着た男がいたが、追跡者は構わずに引き金を引いたのだった。
(嘘?!)
そのまま倒れて動かなくなったシャツの男を見て、エリーゼは銃を握っていない方の手で口を抑えた。自分のせいで他人が死んだ事にショックを受けたのである。
しかし次の瞬間にはエリーゼの心は平静に戻っていた。リズベットから渡されたソフトが生体ナノマシンに感情の高ぶりを抑える脳内物質を生成するよう働きかけたのである。
目の前の死体が一瞬で気にならなくなったエリーゼは追跡者たちの銃撃が途切れたタイミングを見計らって射撃を開始した。射撃管制ソフトが腕の動きを微調整してくれる為、顔を出さずとも正確に相手に圧力を与える事が出来る。追跡者たちは適当にエリーゼのいる方向に銃弾を放つのに対し、エリーゼは効率よく応射していた。
その時、エリーゼの服の胸ポケットに収納していた携帯端末が鳴った。
端末の画面に表示された名前を見てエリーゼは顔を輝かせる。
「あっ、もしもし? どうしたの?」
「追っ手がしつこい。時間通りに帰るのはちょっと無理かもしれない」
アルベルトだった。エリーゼは途端に安心感と多幸感に包まれる。好きな男の声というのはどうしてこんなにも耳心地良いのだろう。エリーゼはそんな事をボーッと考えながら応答した。
「ホント? そういう事ならちょっとこっちも──」
エリーゼからの銃撃が無いのを良いことに追跡者たちはここぞとばかりに銃弾を放った。
「おい」
アルベルトの声が冷たいものに変わる。騒ぎを起こした事に怒っているのだ。エリーゼは焦燥感に襲われ、すぐに言い訳を口にする。
「わ、私じゃないもん! 向こうが先に撃ってきたのよ!」
嘘ではない。先に撃ってきたのは相手だ。エリーゼはそれをなんとしてもアルベルトに伝えたかった。
必死の弁明を口にするエリーゼに対し、アルベルトは軽く溜め息をついた。
「今どこにいる?」
すぐにいつもの口調に戻ったのを聞いたエリーゼはほっと胸を撫で下ろし、甘えるような声で状況を説明した。
「こういうのって何て言うの……スラム街? 明らかに違法建築な鉄骨の建物ばっかり建ってる所よ」
「お前まさか……旧市街の方面に居るのか?!」
数秒もせずに自分の居場所の見当をつけたアルベルトにエリーゼは胸がときめいた。やっぱり私を助けてくれるのはアルベルトだけだわ!
「やっぱり? ここ古い建物ばっかで──」
「何でそんな所に居る?! あそこは鉱山地区とは反対側だぞ!」
「あ、何? 助けに行けないとか?」
すっかり気分が良くなったエリーゼはアルベルトに言葉を遮られても全く不快感を感じなかった。
「ああ、かなり時間がかかる。なんとか一人で切り抜けてそこから脱出しろ」
「え~?」
「じゃあな。こっちも結構ヤバくなってきた」
電話が切れた。別れの挨拶も無く切った事には不満を覚えたが、今晩は一晩中夜伽をするのだと考えるとエリーゼは俄然やる気が出てきた。
(こんな奴らさっさとぶっ殺してアルベルトの所に行かなきゃ……!)
エリーゼは隙を見て物陰を飛び出した。ナノマシンで強化された身体能力を十全に発揮し、追跡者たちが反応出来ない速度で建物の上に登った。
「クソッ! 追いかけろ!」
「フフッ。捕まえてごらんなさーい!」
エリーゼは舌を出して追っ手を煽りながらパイプに手をかけた一人に銃撃した。反応出来なかったその男は額と肩に弾を受け落下した。
「よくも!」
残った二人は銃撃でエリーゼを牽制し、エリーゼは三発応射して駆け出した。
エリーゼは斜めの屋根を走り、追跡者たちはその下を走って追いかける。
(何よ、私の真下にピッタリついて……私のスカートの裏でも覗く気?)
エリーゼは華麗に屋根から飛び出し、トラックの荷台の上に着地した。目を丸くしている通行人を他所に、エリーゼは追跡者の二人に弾倉が空になるまで銃撃を加えた。
銃撃により追跡者の一人が腕に弾を受けて倒れた。最後に残った一人がそれに気を取られた隙にエリーゼはまた猛スピードで走り去った。
「逃がすかァ!」
頭に血が上った最後の追跡者は鬼の形相でエリーゼの後を追った。
馬鹿にしているかのような笑みを浮かべて逃げ続けるエリーゼを追い、追跡者は幾つもの道を曲がり、幾つもの障害物と人を押し退けた。気がつくと道は途切れており、壁にはもはや何が書かれているか分からないくらいに古びたポスターが風になびいていた。
「?!」
追跡者は生意気な小娘の姿が見えない事に驚愕し、周囲を見渡す。
「お馬鹿さん」
透き通った声の煽り文句が聞こえた瞬間、追跡者は首に銃弾を受けた。
「な……?!」
追跡者は建物の上にいるエリーゼを見て、自分の無能さを痛感した。意識が遠のいていく中、追跡者は自分のボスの名前を口にした。
「すまねえ、マッセン……」
「……マッセンハ『ベッファ独立派』ノ幹部ノ一人、マッセン・オルジャーニト推定サレマス」
「あのオルジャーニの弟って事ね」
「敵性反応ハアリマセン。早急ノ帰還ヲ推奨シマス」
「分かってるわ」
エリーゼは再びルートを策定し、人々が騒ぎを聞きつけやってくる前にその場を立ち去った。
「何?! 公安のエージェントが襲われた?!」
数時間後、オルジャーニは信頼出来る部下と共に驚愕の知らせを受けていた。
「片方は振り切って、もう片方は追っ手を全員倒して逃げ切ったそうですが……」
オルジャーニは咄嗟に近くの部下たちを睨み付けた。
「お、俺じゃないですよ!」
「俺も! 公安を敵に回す訳無いじゃないですか……!」
「……」
冷や汗をかいて狼狽える部下たちを見てオルジャーニは深い溜め息をついた。
「いや、済まん。お前たちには逃げる時間が与えられているからな……」
「いえ……」
「ですが、これは確実に向こうに情報が漏れてるって事ですよ……!」
「言われなくても分かってる! ちょっと考える時間をくれ」
オルジャーニは顎に手を当て思案する。実のところ、組織の解体は数年前から計画されていた事だった。あまりにも急進的な武装化と過激化により、オルジャーニの立ち上げた『ベッファ独立派』の支持は急落していた。構成員の質にも著しい問題が生じており、ベッファの独立ではなく犯罪やテロ行為に興味を持つ破綻者が組織の理念とは全く反するような過激な活動に参加し、無関係な市民に危害を加えていたのである。合法的な活動によってベッファの生活が向上する事を理想としていたオルジャーニが作った組織は、そこらの犯罪組織と何ら変わりの無い無法者たちの集まりになってしまっていた。
しかもオルジャーニの弟であるマッセンが指導的立場になってからは、ひたすらに暴力を振り撒くような活動が主体となり、デモ活動やポスター張りなどの活動は少数の穏健派のみがやっていた。
惑星自治政府にテロ組織認定されてからは、当局の治安部隊との闘争すらも常態化していた。もはや行きつく所まで行ってしまった組織に、オルジャーニが介入する余地は無くなっていた。
オルジャーニは不安な面持ちの部下たちを見る。彼らはオルジャーニの考えに共鳴した最初期のメンバーで、オルジャーニと同じように組織が過激化してからは活動を控えていた。
(こいつらを先に……)
オルジャーニは段取りを練り直す。公安局の部隊による作戦開始まではまだ時間があった。だが、先に組織の人間に襲撃される可能性が高い現状、彼は計画の変更を迫られていた。
「先に……」
わずかな
「先にお前たちは荷物をまとめてこの
オルジャーニの言葉に部下たちは動揺する。
「待ってください」
「公安の連中が作戦を始めるにはまだ時間がある。……今がそのチャンスだ。次の夜までにお前たちは俺が用意したチケットで隣の星系に行け」
「ですが……!」
「今しか無いんだ!」
理解が追い付いていない部下たちをオルジャーニは叱咤した。
「今しか無い。このタイミングでなきゃ、お前たちは作戦に巻き込まれる。死にたくなきゃ、空が暗くならないうちに出ていくんだ」
惑星ベッファの自転周期はおおよそ四十八時間である。オルジャーニは腕時計を確認し、あと六時間ほどで長い夜が訪れようとしている事を部下に伝えた。
「急げ。家族も連れて早く行け」
「ですが、エルナンさんは……」
オルジャーニはかぶりを振った。
「駄目だ。俺は公安の所に行かなきゃならん。そういう取引だからな」
「なっ?! エルナンさん一人で全部の責任を負うつもりですか?!」
「大丈夫だって。どうせ終身刑でどこかの収容衛星行きだ。連邦で死刑になるのは軍人だけだからな」
「そんなの駄目です! 俺たちも──」
「頼む、分かってくれ。せめてお前たちだけは生き延びて欲しいんだ」
部下の言葉を遮りオルジャーニは必死に訴えた。
「…………」
部下たちはオルジャーニの気迫に圧され、困惑の体で互いの顔を見合わせた。
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