2.シスコン

 その日の夕暮れ、アルベルトとエリーゼは街から十分程の距離にある統合軍官舎への帰路についていた。


「いや~。あんな簡単に応募出来ちゃうなんてね。採用通知が待ち遠しいわ」

「もう審査に合格したつもりでいるのかよ」


 アルベルトは普段の様子に戻っていた。彼はどちらかというと狂人にカテゴライズされるようなメンタリティの持ち主であったが、日常生活では『発作』が起きない限り周囲の人間と全く同じ振る舞いが出来るのだ。


「ねえ、今日貴方の家に寄って良い?」

「一週間前にも寄ったよな?」

「良いでしょ。こんな可愛い女の子を家に上げられる事をちょっとは喜んだら?」

「既にこの世界で最も可愛い女の子が家に居るからな」

「……シスコン」


 常人が言うような感覚でシスターコンプレックスを拗らせた発言をするアルベルトに、エリーゼはその人となりを分かっていながらもやはり辟易へきえきせざるを得なかった。

 しかし家にお邪魔して夕食を共にする腹積もりは微塵も変わらなかった。エリーゼはアルベルトの後を追って彼の官舎に入った。


「ただいま」


 アルベルトがそう言うと革靴が床を叩く音が聞こえた。キッチンから雪のように白い髪をした少女が顔を覗かせた。


「お帰り、お兄さん! エリーゼさんも」

「お邪魔するわね」


 エリーゼは笑顔でオリヴィアに手を振る。キッチンに入ると途端に食欲を猛烈に刺激する肉料理の香りが二人の鼻腔をくすぐった。


「今日はシュニッツェルですよ。デザートに街のパン屋さんで買ってきたシュトレンがあります。あ、ザワークラウトのキャベツは最近入ったオーガニックの物を使ってます」


 人工肉を薄く叩いて伸ばし、小麦粉、卵、パン粉の衣をつけ人工油で揚げ焼きにしたシュニッツェルと、キャベツを乳酸発酵させて作るザワークラウトが載った皿がテーブルに置かれると、エリーゼはその完成度に思わず口笛を吹いた。


「……相変わらずすごい出来よね……。完全にレストランで出るような代物だもの。ザワークラウトの盛り付け方なんてもはやプロでしょ」

「ザワークラウトはスーパーで買った物ですよ?」

「ん、いやそういう事じゃ……」

「まあオリヴィアが何やってもプロ級なのは当然だからな」

「もうっ、お兄さんったら。……シュワルツ・ローゼンのワインが有りますよ」

(ホント仲良いなこの兄妹……)


 まるで夫婦のような雰囲気を醸し出すアルベルトとオリヴィアを見てエリーゼは居心地の悪さすら感じた。


「頂きまーす」


 二人は高級料理と見紛う程の完成度を誇るオリヴィアのシュニッツェルに舌鼓を打った。黒胡椒の具合が抜群で、カットされたレモンの爽やかさが油っぽさを打ち消し、ナイフとフォークの手が止まらない。そこにシュワルツ・ローゼンのノンアルコールワインの滑らかな舌触りが食欲を増幅させる。あっという間にザワークラウトまでも食べつくし、ナッツが練り込まれたヌースシュトレンに手が伸びる。雪のように粉砂糖がまぶされたパンにかぶりつくと、ドライフルーツとナッツの香りが口一杯に広がり、満腹なはずの胃がもっともっとも菓子パンを求めるのが二人には分かった。

 美味しそうに自分の料理を食べる兄を、オリヴィアは慈母のような微笑みを浮かべながらうっとりと眺めていた。


「ごちそうさま」


 ナプキンで口を拭いたエリーゼは立ち上がり、皿を片付け始めた。


「今日は私が洗ってあげる」

「そんな……。良いですよ」

「美味しい料理を振る舞ってくれたお礼。それにアルベルトはオリヴィアに話があるものね」


 エリーゼはアルベルトにPMCの事を話すよう水を向けた。細かな気遣いが出来る乙女である。アルベルトはそれを察すると、佇まいを直し、真剣な表情でオリヴィアを見つめた。


「何か……?」

「実はね……お兄ちゃんPMCの活動をしようと思うんだ」

「P……?」

「民間軍事会社。要は傭兵活動だな」

「それは……。違法では無いんですか?」

「連邦軍と業務提携しているPMCに出向するという形になる。形式上は向こうPMCからの要請を受けて行くという事だからな」

「つまり……場合によっては戦ったりするんですか?」

「まあ、場合というか大抵そうなるかも──」

「そんなのダメです!」


 オリヴィアは両手でテーブルを叩いて椅子から立ち上がった。


「もしお兄さんに何かあったら、私……」

「待って。話を聞いてくれ」


 アルベルトは困難な局面に入った事を自覚し、言葉を選びながら話を続けた。


「これは仕方のない事でもあるんだ……。軍の上層部のお達しで、俺やエリーゼみたいなパイロットがどれだけ出撃しているか報告しなきゃいけなくなったんだ」

「お兄さんは……」

「オリヴィアの事があるから出撃していない。けどある程度パイロットとしての職務を果たしていると報告しないと、最悪クビを宣告されるかもしれないんだ」

「そんな……!」

「こればっかりはどうしようも出来ない。俺とエリーゼの上司の人も何とかするとは言ってるけど、多分無理だ」

「じゃあ……お兄さんはパイロットとして戦場に出ないといけなくなるんですか?」

「そうなるね。どれくらい出撃すれば良いのか指定されていない以上、何回でも行かなきゃいけなくなる」


 オリヴィアはアルベルトに近づき、彼の手を握った。オリヴィアが不安になっている証拠であった。アルベルトは優しく妹の手を握り返し、静かに囁いた。


「ごめんよ。でもオリヴィアを総合養育センターには送りたくないんだ。あんな監獄みたいな場所に行かせたくない。……それに、PMCでは給料が出るから、オリヴィアに好きな物を買ってあげられるかもしれないな」

「……私は、お兄さんと一緒に居られれば……」

「その為にもパイロットとしての職務をこなさなきゃ。別に罪も無い人を殺すような仕事じゃない。俺も、オリヴィアとずっと一緒に居たいから」

「お兄さん……」




「上手く行って良かった。まあ実際はまだPMCに入ると確定した訳じゃ無いんだけどね」


 オリヴィアはしばしの逡巡しゅんじゅんを経て、アルベルトのPMC活動を受け入れた。オリヴィアを寝かしつけた後、アルベルトとエリーゼは寝室で残ったシュワルツ・ローゼンのノンアルコールワインを飲みながら雑談していた。


「なあ、ここまで来て聞くのは良くないって分かってるんだが、ホントに大丈夫なんだよな?」

「応募したPMCがって事? 心配性ね。業務体制も営業実績も申し分無い優良企業よ。ちゃんと調べたもの」

「ふむ……」


 その時、アルベルトとエリーゼの携帯端末がほぼ同時に音を発した。見ると、ランツクネヒトからのメールだった。


「……採用ですって!」

「早っ?! 一週間以内に惑星プロレギアの本社ビルへお越し下さい……か。まさかこんな簡単に決まってしまうとは……」

「シミュレータ頑張った甲斐があったわね!」


 嬉しさのあまりエリーゼはアルベルトの肩をバシバシと叩いた。


「痛いから止めろ。それより惑星プロレギアへ行くためのルートを調べないと」

「もうリサーチ済みよ」

「不採用になる可能性を考えなかったのか?」

「やっぱりネガティブ思考よりもポジティブ思考でしょ」

「人生楽しそうだな……」

「これで直属の上司である保安部長にPMCへの『出向』が決まったと報告すれば、私たちは晴れて傭兵って訳ね!」

「テンション高そうに言うけどな、グレーな事してるんだぞ?」

「理不尽な命令してくる方が悪いもの。大好きな出撃回数とやらを稼いで見せましょう。ついでにお金も」

「ノリが軽いなあ……」


 軽やかなに踊り出したエリーゼを横にアルベルトは天上モニターに映し出された夜空を眺めた。


(こんなトントン拍子に決まるとは……。けど、パイロットを干されてオリヴィアと離れ離れになる訳にはいかない! 戦わなければ……!)




西暦四二〇〇年代の現在では、全ての拡張戦闘機EFMにワープ機能が標準装備されている。アルベルトとエリーゼの乗機である『アベレージ・ベフェール』には最新式のワープ機能が備わっており、最長二百光年、連続十回までのワープが可能だった。


「三回目のワープに成功。……ちゃんと生きてる?」

「通常空間への影響無し。生きてるよ」


 パイロットスーツに身を包んだアルベルトがホログラムコンソールを操作しながら言った。


「虫と同化して頭がハエとかになってない?」

「はあ?」

「もう。古代の映画よ。ワープの実験中に虫が入って頭がハエになっちゃった研究者が主人公なの」

「訳分かんない映画だな。面白いの?」

「さあ、昔パパが一緒に見ようって誘ってきたけど、気持ち悪かったから見てないの」

「そんなところだと思った」

「──あ、言い忘れてた。惑星プロレギアは地球基準のノイエ・ベルリンと違って二時間早く陽が落ちるから気をつけてね」


 相も変わらず眠そうな表情を浮かべながら保安部長がホログラムモニターの向こうで呟いた。


「しかしPMC活動で出撃回数を稼ぐとは……。確かに明確な違法行為ではないけど明確に合法であるとも言えないかなりグレーな方法だって分かってるよね?」

「分かってます。でもあの実績証明書が出てからPMC活動に参加するパイロットがにわかに増えたそうじゃないですか」

「まあ、そうだね。お偉方の方にも止めようとする気配は無いし、ホントどうなってんだか……。どうもランツクネヒトは新しく入った人間をテストするらしい。入社試験みたいなものだね。くれぐれも死なないようにね~」


 やる気が無さそうに手を振って保安部長は通信を切った。入れ替わるように惑星プロレギアの通信が入る。


「そこのEFM。スキャンを開始する。現在の航路を維持せよ」


 個人情報を含めた様々な情報が瞬発的にホログラムとして現れては消えていく。『AUTHORIZE』の表示が緑色で表示された。


「統合軍所属アルベルト・ハルトヴィヒ少尉とエリーゼ・ブライトクロイツのID情報を確認。直属の上司による外出許可も確認。禁制品の類いも無し。ようこそプロレギアへ」


 西暦三〇一二年に銀河連邦が成立して以降、人類は可住惑星を発見しては開拓し、都市を築いて自治政府を立てて連邦の版図に加えていった。プロレギアは開拓惑星の中でも比較的新しい方だったが、それでも三つの大陸にはそれぞれ余す所無く巨大建造物が立てられ、青い海に灰色のコントラストを投影していた。

 二人はそのうちの一つに降り立ち、指示に従って最上層にある宇宙港EFMデッキに機体を着地させた。


「灰色? これって統合軍のアベレージだろ? 白色なんじゃないの?」

「灰色は国家公安局所属の証だ」

「ええ? じゃあ捜査か何か?!」


 整備員たちが自分たちのアベレージ・ベフェールを指差してあれこれと喋っているのを尻目に二人はパイロットスーツから軍の制服に着替え、機体から降り立った。


「ここって最上層なのよね。ランツクネヒト本社は……ここから四ブロック下だわ」

「ギリギリ陽の光が届く位か」

「私たち普段は人工の陽に照らされてるのよ?」

「せっかく惑星ほしに降りたんだ。ちょっとは本物の太陽の光を浴びたいよ」

「っていうか、あの整備員たち私たちの事公安局の人間だって勘違いしてない?」

「うちの保安部は公安局の枝分かれした部署から更に枝分かれしたうちの一つだから、あながち間違いでも無いんだけどね。一応捜査権はあるよ。勝手に捜査は出来ないけど」


 二人はその日の午前を都市の探索に費やした。巨大なホログラムによる広告が乱立している下では、数えきれない程の人間とアンドロイドが行き来していた。そこに並ぶ店も千差万別で、飲食店だけに限っても別の惑星に本社があるチェーン店の支店があれば、プロレギアでしか展開していない店もあった。エリーゼは初めて都会を見た深窓の令嬢のように目を輝かせ、アルベルトをあっちこっちに引っ張った。


「エリーゼ! 一応制服を着ているって事を忘れるなよ!」


 人の目を気にするアルベルトとは対照的に、エリーゼは自分の身分など意にも介していなかった。


「見て! あれアオシマ・メディカルのケミカル・コーラよ!」

「何だって?」

「うちのギャラクシー・パシフィック・グループの子会社の一つ、アオシマ・メディカルって医薬品メーカーなの。最近ジュース業界にも手を出したのね。ほら、薬効成分の入ったコーラなの!」

「薬効成分って、大丈夫なのか?」

「ちゃーんと薬品規制法に基づいた量よ。健康飲料なんだから。これ二本ちょうだい!」

「二本ですと合計二四〇クレジットです」


 エリーゼは出店のアンドロイド店員が差し出した認証機の上に携帯端末をかざした。ピッという音と共に決済が完了し二人はケミカル・コーラなる飲み物を手に入れる事が出来た。


「どう?」

「……普通のコーラとそこまで違いは無いかな。これって他にフレーバーあるの?」

「チェリーとオレンジ、そしてライムがあったはずよ」

「帰る時はそのどれかを買う事にするよ。オリヴィアの分も」


 その後二人は街の様子を眺めながら階層を降りていった。下に降りるにつれて段々と薄汚くなっていくのが分かった。ランツクネヒト本社があるという階層に降りると、人相の悪い人々が目立ち始めた。

 別段の悪意も無く歩いていた二人だったが、自分たちに注がれる視線の中に敵意のこもったものもある事に気がついた。


「ここら辺になるとガラの悪い人が多くなるわね」

「俺たちが綺麗過ぎるっていう可能性もあるね」

「よォ、あんたらァ。気分がグンと良くなるクスリ売ってるぜ~!」

「間に合ってるよ」


 声を掛けられた事への動揺を押し殺しながらアルベルトは何でもないようにあしらった。よくよく観察してみると子供までもがこちらを睨み付けている。二人は足を早めて目的地へ向かった。

 ランツクネヒト本社は他の建物と同じように薄汚い五階建てのビルだった。インターホンのような物は無く、立ち入りを禁じる札も無い。


「これって入って良いのかな?」

「良いに決まってるでしょ。呼んだのは向こうじゃない」


 エリーゼは臆する事無く入り口のドアを開けた。するとどこからともなく羽虫のような音を立てて小型ドローンが飛んできた。

 ドローンはアルベルトとエリーゼをスキャンすると、正面に取り付けられたモニターに二人の情報を映し出した。


「CEOノアポイントメントヲ確認。コチラヘドウゾ」


 ドローンは平坦な声で後についてくるよう二人に促した。


「CEOってどんな人なのかしら」

「ホームページに顔写真とか無かったの?」

「近影しか無かったわ。猫の」

「猫……?」

「そう、猫。──あっ、あれ! あの猫よ!」


 良い物を与えられているのが一目で分かるくらいに太った猫が通路を塞ぐように寝転がっていた。猫は「にゃあ」とだらしなく鳴くだけで、二人が目の前に来ても動こうとしなかった。


「可愛い~。ブサカワなぶち猫ちゃんね~」

「悪いがどいてもらうぞ。──っ、重っ。ダイエットさせた方が良いって」

「一応散歩はさせてるんだけどね」


 明朗な少女の声が通路に響き渡った。二人が猫から正面に視線を移すと、所々にゴミが放置されている汚い場所には不釣り合いなゴシックロリータのドレスに身を包んだ銀髪の美少女が二人を見つめていた。


(ロリータファッション? 随分と懐古趣味な……)

(美人……?! 私と同等か、それ以上じゃない!)

「来るのが遅いからこっちから来てやったわ。感謝なさい」


 少女の声を聞いた猫がアルベルトの抱えていた腕から飛び出した。意外にも軽快な動きで少女の胸に飛び込む。少女は一瞬慈しむような表情で猫の頭を撫でると、すぐにクールな無表情に戻った。


「自己紹介がまだだったわね。私はリズベット・マレーネ・クロンティリス。……民間軍事会社ランツクネヒトのCEOよ」



 


 

 

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