第35話 愉悦のカタチ
ラドクロスバースにおいて、嬢ヶ崎オリヒメというキャラは二年生編で登場するするヒロインだ。
つまり、俺の目の前にいる嬢ヶ崎オリヒメはまだゲームに出てくる前の嬢ヶ崎オリヒメということになる。まだ一之宮ハルキと知り合う前の、何の情報も開示されていない嬢ヶ崎オリヒメだ。
「んで、お兄さん。猫の死体なんて持って、何をしているの?」
「……………」
深みにはまってしまいそうな笑みを浮かべ、嬢ヶ崎が問う。
あくまでも質問という形を嬢ヶ崎は装っているが、実態は尋問だ。彼女が手を突っ込んでいるポケットには携帯が入っており、俺との会話を録音している。
嬢ヶ崎オリヒメとはそういう人間だ。自分も他人も信じない、全てを疑い続ける破綻の姫。
かといって、小心者というわけでもなく、外面を良く見せるだけの胆力を持ち合わせている。興味を持たれた側からすれば厄介な性格だ。
ごくりと唾を飲み込み、慎重に質問に答える。
「別に。ただ可哀そうだと思って」
できるだけ動揺を隠し、口に出す情報は最小限にとどめる。
ラドクロスバースの作中において、嬢ヶ崎オリヒメは言葉や行動を先回りして主人公等をからかう描写がしばしば見られる。
これは彼女が持つ悪癖であり、ある程度の情報を得られると彼女は他人の思考をトレースしてしまうのだ。
(多分、彼女はまだ俺という人間を把握しようとしている段階。問答を通して俺の思考を引き出そうとしている最中だ。………不用意に発言すると足下をすくわれる)
一旦手玉にとられると二度と勝てないのが嬢ヶ崎オリヒメという少女。言葉は慎重に選ばないと。
「優しいんだね」
「普通でしょ」
「そーでもないよ。普通の人なら見て見ぬふりをする。だってほら、『ばっちぃ』からね」
嬢ヶ崎が死体を指差す。
ばっちぃ。確かにばっちぃ。可愛らしい表現でも隠しきれない穢れがそこにある。
「まぁ、普通ではない、かも」
「じゃあ、なんで?」
「…………」
言葉に詰まってしまう。
怪しまれるのはごめんだ。けれど、猫を埋葬しようと思ったのは衝動的な行動なのでうまく説明できない。
「死からは、目をそらしたくないから」
そんな陳腐な語彙力で感情を表現してみたものの、答えとは言えない答えを言うので精一杯だった。
は、恥ずかしい。羞恥で頭が真っ白だ。
「死から目をそらしてはいけない?」
「わ、忘れてくれ。やめる、やめるから」
「どうしてさ。やめる必要はないのに」
「俺がやめたいからやめるんだ!大体、お前には関係のないことだろ!」
声を荒げた俺に、嬢ヶ崎は身を強ばらせた。
あっ、言っちゃった……。街中で怒鳴り声をあげるなんて、それこそ普通じゃない。通報されて当然だ。
「ご、ごめん。言いすぎた」
すぐに冷静になり、頭をさげる。
まるで判決を待つ被告人のように、ただ結果を身をゆだねるしかない。
「…………そうだね。正直、びっくりした。けれど────」
しばらくの間の後、嬢ヶ崎はポケットの録音を切って猫の死体を抱きかかえた。
「え?」
「私にも手伝わせてよ。そっちの方が面白そうだから」
「ほら、行こう」と、嬢ヶ崎は先ほどよりも積極的に促す。
俺の何が彼女の琴線に触れたのかがわからず、ぼーっとしてしまった。
確かに掴みどころのない性格をしている彼女だけれど、自らの姿勢を崩すことは滅多にないはず。少なくともゲーム内ではそのような場面は見られなかった。
でも、悪い気持ちはしない。
「あ、ああ……」
わけもわからないまま、俺は彼女について行った。
*****
死体を空き地に埋め、二人並んで手のひらを合わせる。
本当なら墓標でも建ててあげたいところだけれど、あいにく俺達にはそのためだけに手を汚す度胸はなかった。(土で汚れたくないから近場のホームセンターで二人分の軍手とスコップを買ったくらいだ。『ばっちぃ』ものは『ばっちぃ』んだよ)
「天国に行けるといいね」
何を考えているのか分からない、もしかしたら何も考えていないのかもしれない抑揚で嬢ヶ崎が言う。
「そうだな」
そんな嬢ヶ崎を警戒しながら、俺は適当に相づちをうった。
猫の死体を拾って埋めるまでの様子を一通り観察してみたものの、意外と彼女は一般的な感性を持っていた。怪しい行動や言動は見られず、ごく普通の少女のように振る舞っている。
警戒する要素は一切ない。むしろ、ビクビクしている俺の方が不思議に思えるくらいだ。
(…………俺の杞憂だったかな)
思えば、この世界はゲームの世界だ。創作物である以上、多少の誇張表現もあっただろう。
解釈違いとはいかないまでも、俺がキャラ造形を見誤っていた。そう片付けても納得できる。
彼女は、嬢ヶ崎オリヒメは俺が思うほど悪辣ではないのかもしれない。
「…………そういや、君の名前を聞いてなかったよね。教えてもらっていい?」
「ん、ああ。神薙シンラだ」
「そう。じゃあ神薙クン」
そう言って彼女は立ち上がる。
「自覚が無いようだから教えてあげる。君、いい性格してるよ。いろんな意味で」
「? なんのことだ?」
「さぁ? どうだろうね」
軍手が投げられる。
自分が買ったんだから処分しろ、ということだろう。まぁ、いいけれど。
「私はもう帰るよ。おじいちゃんが心配してそうだ」
「お、おう」
「じゃあね。案外楽しめたよ」
小悪魔じみた笑みを向け、嬢ヶ崎は手をプラプラとさせて帰っていった。
残ったのは俺と、埋められた猫と、スコップと軍手。もちろん周りには誰もいない。
…………。
「…………二人に謝るか」
電線でカラスが鳴く頃には、家出の理由なんてどうでもよくなっていた。
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