2章
第34話 少し過去、同時に未来
勘のいい方は気づいていると思うが、ラドクロスバースはキャラゲーの側面を持つ。
赤嶺カズサの場合は運動系の熱血女、神薙イヨの場合は駄犬系ほんわか妹といった風に、ユーザーに愛されるためにしっかりとしたキャラ立てがされているのがこの世界だ。ある意味、萌えゲーの宿命と言えよう。
なので、この世界は基本的に一癖も二癖もある人間しか存在しない。裏ボスのシラユキがあんな感じであることからもわかる通り、ネームドキャラだろうがモブだろうがかなりピーキーな性格をしている。
まさに個性の世紀末、世はまさに大オリジナリティ時代といって差し支えないほどの魔境。
まったく、人の業というのは底知れないものだ。これが全部創作の産物っていうんだから、当事者の俺からしたら本当に嫌になってしまう。少しは現実を見ろ。
さて、そんなことはさておき。何故俺がこんな心底どうでもいい前提を説明したのかというと、それは一人の少女を完全に説明するために他ならない。
彼女の名前は嬢ヶ崎オリヒメ。俺や一之宮ハルキの一つ下、アートと自分の世界をこよなく愛する現中学三年生。
────そしてラドクロスバースに登場する最後の
彼女は「脚本担当が制作打ち合わせでボツを食らったキャラを愛でごり押し、その熱意に折れた開発陣が悪ノリで各々の欲望と好きを悪魔合体させた」という壮絶な制作秘話を経てDLCとして登場した。
通称『ラドクロスバース史上最も癖ェな女』。『公式の
まぁ、そんな奴だ。当然(?)ヤバイ。特に癖が悪魔合体していることがヤバイ。その道のプロたちが性欲に従った結果誕生した性癖破壊最終兵器なんだからヤバくないはずがない。
案の定、嬢ヶ崎オリヒメは俺を含めた多くのラドクロスバースユーザーの脳を焼いた。
彼女の話は全体的にブラックなので詳細は省くが、いい意味で最悪なグッドエンドだったよ。うん。少なくとも俺の性癖に破滅願望という新境地を切り開いたくらいには。
以上が嬢ヶ崎オリヒメについての説明だ。わかっていただけただろうか。
とりあえず、嬢ヶ崎織姫は危険な性癖破壊兵器。それだけ覚えてもらえれば話が五月の出来事を語ることができる。
……よし。じゃあ話そう。俺が体験した、嬢ヶ崎との奇妙な交流を。
あれは五月の一日。日も朗らかなゴールデンウィークの半ばから始まる。
*****
走る、走る。ただひたすらに走る。
風を切って、何もかもを追い抜いて。俺はアスファルトを踏みしめて駆けた。
音が聞こえない世界はとても自由で爽快だ。少なくとも、走っている間だけはなにも考えなくていい。
そう思うだけで、俺の足は一歩、また一歩と前に出た。
…………。
「ヤバイ! 絶対に殺される!」
すまん、『何も考えなくていい』は言い過ぎた!正確には『目の前の問題を先延ばしにできる』だ!なんにも解決しちゃいない!
どうして俺がこんなにも必死に走っているのかというと、それは俺がプーさんを餌付けしたことがシラユキと神薙家にバレてしまったからだ。
いやー、前々から独占欲が強かったのは感じていたけれど、まさか動物も適用範囲だとは思わなかった。その上ごたごたの最中、事情を把握したマリアが「はぁ!? 賢月熊を餌付けしたですって!? あなた、あのモンスターがどれだけ危険な存在か分かってるの!?」とブチギレてシラユキに加勢する始末。
おかげで神薙家に俺の居場所はなくなり、文字通り逃避行に走っている。
とはいっても、『†ラドクロスバース最強†』&『卍戦闘力学園トップ卍』を相手に逃げおおせるのはほぼ不可能。捕まるのは時間の問題だ。何か対策を打たなければならない。
(とりあえず、外にいるとばったり鉢合わせする可能性があるから屋内に逃げたい…………でも、赤嶺を頼るのはなぁ)
頼れる人物として考えられるのは、やはり赤嶺だろう。あいつならテキトーに説き伏せて家に入れて貰えば────いや、赤嶺は意外と勘が鋭い。俺がやましい事情を持っていることを感じて、協力を拒否してくる可能性がある。最悪、俺に謝罪を促してくることだろう。
謝罪をすればプーさんとの縁を手放す、すなわちストーリー序盤で貴重な体力と攻撃力の成長補正値を失うことになる。それだけは絶対、ぜっっっったいに嫌だ。
火照る体で食いしばり、俺はより遠くへと進む。
「…………ん?」
気になる物が落ちていて、俺は足を止めた。
猫。猫の死体だ。
車に轢かれたのであろう、ぱっくりと肉が切り裂かれて内臓がこぼれている。
見ることさえ躊躇われるほど無惨な姿だが、俺の視線は猫に釘付けになっていた。
「死んだ猫かぁ……」
神薙シンラという身になって、俺は死という概念に対して敏感になっていた。
本来の時間軸で俺は死んでいる。だから死は身近なもので、切っても切れない関係にあるものだ。
目を背けようにも背けられない、逃げようにも逃げられない。ずっとずっと向き合わないといけないこと。それが俺にとっての死で最大の恐怖だ。
「……こうして突然死ぬのってさ。ホント、怖いよな」
頭をくしゃくしゃと掻きながら、俺はしゃがんで猫の死体を抱きかかえる。
なんとなく、埋葬してあげようという気持ちになった。同情とか憐憫とか、そういう高尚な感情ではないけれど、徳を積んでおこうという程度には心が揺れ動いたのだ。
まぁそんなわけで、近所の空き地にでも埋めてやろうと立ち上がる。
「────そこのお兄さん。猫の死体なんて抱えて、一体何をやっているんだい?」
艶めかしくも不気味な声が耳元で囁かれ、俺は思わず飛び上がった。
「うおぁっ!?」
よくよく考えてみれば、多感なお年頃の少年が、よりにもよって猫の死体なんかを大事そうに抱えてる場面なんて事案モノの光景だ。
通報でもされれば俺は交番のお世話になってしまい、ゆくゆくは俺の身柄を引き取りに来たシラユキとマリアのお世話になって俺が埋葬されてしまう。
ミイラ盗りがミイラになる、みたいなことが発生しかねない。
慌てて猫をその場に戻して後ろを振り返る。
…………っ!?
思考がフリーズする。
声が出ない。体が硬直する。息もできない。
「ああ、からかってすまない。あまりにも変わった行動をしているものだからつい、ね?」
彼女はそう言って俺をなだめるが、それに対して俺は思考が追い付いていなかった。
いや、どうして…………それ以前にこの世界はどの時間軸だ?
上方修正は、ナーフは? バージョンは? というか、彼女がいる世界はどのラドクロスバースだ!?
常識が崩れ去る。前提が壊される。
疑問符が脳を支配して、答えのない思考が延々と繰り返される。
どうして、どうしてお前がいるんだ。
「ちゃんと身元を明かすから安心して欲しい。私の名前は────」
儚げなようで強靭で、人格者に見えて悪逆で、純粋なようで不純で、複雑なようで明快な少女は、細くしなやかな手を胸にあてて自己を表現する。
「オリヒメ。嬢ヶ崎オリヒメだよ、不審なお兄さん」
最悪の高鳴りが俺の胸で生じた。
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