第32話 死角からの刺客
ひとしきり怒り、疲れ────俺は息絶え絶えで木を殴る。
怒るだけなら容易い。そんなことは分かっている。だからこうして木を殴っている。
手に響く衝撃は、いわば気持ちのスイッチだ。こうして無理やりにでも切り替えさせないと、心が壊れてしまいそうになる。俺なりの対処療法みたいなものだ。
………よし、これでおしまい。気持ちを切り替えて前向きに考えよう。生き残った、それでいいじゃねぇか、うん。
ジンジンと痛む拳をそっとポケットに入れ、シラユキに視線を向ける。
「シラユキ、帰るぞ。残る理由もない」
「お、おう」
「……どうした。何か言いたいことがあるのなら言ってみろ」
よそよそしい反応だな。もう別に怒ってないってのに、ポケットに入った俺の手を見てやがる。
そりゃあ聞いた時には殺してやろうかと思ったさ。でも────
「いや、そういうことじゃなくてだな。ほら、これ。ここ」
「ん?」
「腕、腕の
シラユキが自分の手首を指でトントンと叩く。
ん? 腕時計がどうしたんだ。
結構いい奴だから時間の狂いはないと思う。だって今もきっちりと四時をさして……さして?
短針が4で、長針が12。デジタルでは4:00表記。
────そしてダンジョン学の門限も四時。
……………やばっ。
「遅刻だぁあああああ!!!」
*******
えー、はい。完全にやらかしました。前世の記憶を持つ異端児という前に、神薙シンラは社会的にはまだ学生であることを完全に失念しておりました。
「シンラ君、一時間の遅刻は流石に看過できない!先生やダンジョンの管理者各位にどれだけ迷惑をかけたと思っているんだ!」
「はいっ、はいっ! すみません! 本当に申し訳ございませんッ! まったくもってその通りだと思います!」
コワモテなダンジョン学の教師のつばが飛ぶ。
学生の本分は勉強である。そんなぐうの音も出ないド正論を前に、俺は頭を下げ倒すことしかできない。
あまりにも自分の目的を優先し過ぎたせいで授業を忘れていました、なんて正気を疑う失態。
しかも座学ではなく実技で。冗談抜きで笑えない。
「しかも課題である『ハネウサギ5匹の討伐』も達成していない、それも一匹しか獲っていないなんて、君は本当に進級する気があるのか! 留年だぞ!」
「あります、あります! ですのでどうかお願いします!」
俺も入学して初めて気づいたが、この高校、巷ではそこそこ名の知れた名門私立高校だから落ちこぼれはちゃんと留年させる。
なんでファンタジーな世界なのにそこは
三つ指ついての土下座に、クラスメイトの視線が収束する。
「先生も教え子が留年だなんて嫌ですよねぇ!? ダンジョン学の実技には生徒によって個人差がありますし、なにか留年を回避できる抜け道があるはずですよねぇ、ねぇ!?」
「まぁ、あることにはあるが……」
先生が引き気味で後退する。
あるんですね!? 補講か何かがあるんですね!?
よかった~、怒られずに済む!大体、ラドクロスバースのシナリオが絡んでなければツノウサギ5匹なんて余裕なんだよ。焦らせやがって。
額に滲んだ汗をぬぐい、安堵のため息が出た。
「それで、その抜け道はどういうヤツですか?」
「同じ班の仲間に成果を分けてもらうんだよ」
「……はい?」
「このダンジョン学の授業は班単位で成績がつく。一人なら5匹、二人組なら10匹狩って来たらいいってことだ。……教師という立場上あんまり声に出して言いたくはないが、自分が3匹しか狩れなくても仲間が7匹狩ってくれていれば合格だ」
「へぇ……ん?でも先生、俺ってソロですよ? 分けてくれる人なんていませんよ?」
「だから、留年すると言っている。学校が班行動を推奨しているのはそれが理由だ」
…………マジすか。
ふと周囲を見ると、一連のやり取りを見ていた野次馬たちが一斉に眼をそらす。
あれだ、いじめの現場を見てもなお傍観者を決め込む「可哀想だけど、自業自得。自分は関係ない」という無関心だ。
もしかして────いや、もしかしなくても
「詰みって、コトぉ?」
嘘でしょ。こんなつまらない理由で俺の人生が終わっちゃうの?
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。だってまだ何もやっていない…………まぁ、何もやってなかったから困っているんだけれども、まだ出し尽くしていない。
そんなことって、ないよぉ………。
動揺で視界が暗くなり、膝から崩れ落ちる。
「兎にも角にも、今回のシンラ君の点数はつけようがない。班員の誰かからツノウサギを貰わない限り、君は0点だ。……もっとも、君以外の生徒が持っている点数はそれぞれの努力の証、そうやすやすと渡してくれるとは思わないように」
強めの口調で締めくくり、先生は無慈悲に背を向ける。
そうだよな。どうしても進級しないといけない俺と同じように、先生にも教師としての立場がある。留年がかかっているとはいえ、俺だけを特別扱いするわけにはいかない。
世界はそんなに都合よくいかない。そんなことは最初から分かっていたはずなのに、なんで俺は甘く見ちゃうのかなぁ────
「────センセー! つまり、私がシンラと班を組んで獲物を渡せば、万事解決ってことですよね!」
そんな時だった。野次馬の中から一本の手が上がったのは。
少しのどよめきの後、人混みの中から声の主がはじき出される。
「君は……」
「出席番号1番、赤嶺カズサ! そこにいる神薙シンラの友達です!」
つい数時間前まで死にかけていた癖に元気印の自己紹介をして、赤嶺が俺の前に立つ。
「赤嶺さん、怪我は大丈夫なのか? 君は賢月熊と交戦をして医療テントで治療中じゃ……」
「死ぬほど頭が痛いですけど大丈夫です、多分!」
「えぇ……」
ダンジョンで別れた時より傷が増えているところを見るに、ミヒャルド戦でもかなりの無茶をしたらしい。だが、鬼蝕種に殺されかけていた時に比べれば誤差と言っていい程度だ。
ちゃんとシナリオ通りに行動してくれたことに安堵…………と、同時に危機感を覚える。
おい、赤嶺。さっきなん
「で、そんなことはどうでもよくて。先生、シンラが留年するかもしれないって本当ですか!?」
「お、おう。得点が足りていないからな、班も組んでいないし」
「はいはい!なら、アタシがシンラと組みます! 11匹獲ってるんで、5匹ぐらいなんともないです!それで解決しますよね!?」
それは俺にとって、最も都合が良過ぎて都合が悪い提案であった。
そもそも、赤嶺は主人公の班に所属するヒロインだ。だから俺は無理やり彼女を突き放して、主人公の班に入るように仕向けた。
ダンジョンにて主人公達に赤嶺を預けたのも、一時でも主人公達と行動すればおのずと一之宮ハルキという人間の魅力に気づくと思ったから。ルートによっては恋仲になるくらいには気が合う二人なのだから、一度体験させてしまえばおのずと一之宮ハルキに好意を寄せるはず。そう踏んだのだ。
だが、思惑は見事に失敗したようで、赤嶺には主人公班に入るつもりなんて毛頭ない。それどころか、己の成績を犠牲にしてまで俺と班を組もうとしている始末。
しかも、何が
あ、悪魔の選択だ……。どちらを選んでも見るのは地獄、デッドオアデッドが確定している。
「本当にいいのか? 全体で10位以内に入る成績だぞ? はっきり言ってもったいない」
「心配は無用です、失った分は仲間と一緒に取り返しますので。……なぁ、シンラ?」
粋なことを言いつつ、赤嶺は照れくさそうに頬をかく。
ゲーム内の微笑み
「ええと……」
恐る恐る、人混みの端で静観していたシラユキを見る。
案の定、もんのすごい顔になっていた。周囲に人がいるのでことを荒立てないよう心掛けているものの、口パクで「くびり殺すぞ」と怨恨を放っている。俺と赤嶺のどちらを狙っているのかは不明だが、呪いをかける気満々だ。
深呼吸して雑念を取り払い、あくまでも冷静に思案する。
問い自体は非常に簡単。二つに一つ、先をとるか今をとるかだ。
………………。
「はぁ……」
熟考に熟考を重ね、俺はため息をつく。
────まぁ、どちらにせよ。まずは土下座からだよな。
「
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