第30話 呆れる愚行のあと

 ヒーローは遅れてやってくる。


 ああ、まったくもって素晴らしい格言だ。誰かが助けたいと願った光景も、どこかで心から叫ばれた助けを呼ぶ悲鳴も、ヒーローはあっさりと解決してしまう。


 まるで、それまでに流れた血と涙の価値を下げるように。


 一之宮ハルキの登場で、二匹の鬼蝕種は分が悪くなったのを悟って逃げ出した。今はこうして大の字になって寝っ転がり、主人公組ヒーラー役の篠山エミ主導のもと治療を受けている。


「怪我はないか?」

「喉に空いた風穴を見てそれが言えるんなら今すぐに病院にかかった方がいい。席順は譲ってやる」


 一之宮が言い放った社交辞令に心からの皮肉で返す。

 主人公の鈍感が許されるのは恋愛とやさしい嘘をつかれた時だけだ。野郎に気を使ったって何も得しないぜ、主人公サマよ。


 一拍おいて、俺はすぐそばで治療を受けている赤嶺を見やる。

 意識はしっかりあるようで、篠山に消毒液を当てられながら苦痛に顔を歪ませている。顔がほのかに赤みがかっているのが気になるが、少し休めば戦線に復帰できるだろう。


「まぁ、冗談はさておき。俺の心配よりも赤嶺の心配をしてやってくれ。メンタルの方をかなりやられちまってるから」


 主人公の甘いマスクで煽てりゃ少しは自信を持つだろ。しなしなカズサちゃんのままでプーさん戦に挑んでは勝てるものも勝てない。


「そうだな。一理ある」


 一之宮は素直に頷くと、赤嶺の元へと歩み寄っていった。


 ふぅ。雨降って地固まったわけではないが、なんとか一之宮と赤嶺に接点を持たせることができた。これできっと、一之宮は赤嶺に気をかけるだろうし、赤嶺もモブキャラなんかに助けを求めたりはしないだろう。


 運命が軌道線上にのった今、俺がこれ以上介入する意味もなし。あとはモブらしく気配を薄くしてフェードアウトしていこう。


「……神薙シンラ」

「ん?」


 ふいに、横から声をかけられる。それは一之宮の仲間の篠山ではない方、九坂クラマだった。

 主人公の幼馴染であり、主人公に友人以上の好意を寄せつつそれを悟られないように献身するラドクロスバースの第一ヒロインだ。


 基本的に彼女は無口な性格で主人公以外の事に対して興味を持たない。なので俺に進んで声をかけるようなタイプではないはずなのだが、何の用だろうか。


「ひとつ、聞いてもいい?」

「俺に答えられることならなんでもいいぞ」


 九坂はラドクロスバースが始まる以前から主人公LOVE勢なので、特段警戒する対象でもない。俺への認識も『なんか無駄に強くて変な奴』としか思っていないはず。


 はてさて、何が出てくるのやら。


 九坂は俺の表情をうかがいながら、ゆっくり口を開いた。


「なぜ、赤嶺さんを助けたの?」

「え?」

「私は、神薙君は死ぬリスクを冒してまで人を助けようとするような人じゃないと思ってた。体育館の時だって、生徒会長に叱られて渋々私達を助けてた。……だから赤嶺さんを助けた理由が分からない。神薙君の何が、赤嶺さんを助けるまでに至った?」

「……」


 なるほど、そういう質問ね。

 九坂は俺が赤嶺に特別な感情を持っていると勘違いしているのか。恋するヒロインらしい乙女脳だ、うんうん。


 俺はモブキャラとしてなるべく物語の本筋に関わらないようにしているだけで、別に私情は挟まない。

 さっきだって、主人公が助けに来ないもどかしさに耐えかねて行動に移しただけの事。高尚な理由なんて持ち合わせていない。


「まぁ、なんだ。強いて言えば『俺のため』かな」

「神薙君のため?」

「正直、俺だってなぜ赤嶺を助けようと思ったかはよく分からない。ただ、まぁ……俺だって誰かが死ぬところは見たくねぇよ。ましてやそれが、厄ネタだらけな男のことを好ましく思ってくれる大バカだったなら、なおさらな」

「だから、助けるって……神薙君、思ったよりも考えなしで動くんだね」

「おいおい。自分でも不釣り合いなことをしたってのは分かってるんだ、言葉にされると改めて恥ずかしくなってくる」

「…………でも、少しわかる気がする。そういう人、初めてじゃないから」


 九坂は含みのある言い方をして、俺の後ろに視線を向けた。

 その視線の先を追うと、そこには赤嶺を熱い言葉で励ましている一之宮の姿が。


 ……。


「スゥッ……」


 あまりにも素晴らしい光景が見えた気がしたので、息を整え、心の中で叫ぶ準備をする。


(あ゛あ゛あ゛あ゛尊い!さりげなくかましてきた惚気話で久しぶりにエネルギーが供給された!)


 やめろクラマ、不動の正妻ポジから放たれる「きっとあの人もそうする」的な理解者ムーヴは俺に効く! 私の性癖に合っている!


 想像してみてください、この明けぼのに儚く降りた朝露のような横顔! その光景から感じ取れる憂いと呆れ、そして優しさが絶妙な塩梅で存在する究極の様式美! 筆舌のしがたさに胸が張り裂けそうになる俺の苦しみ!

 人類ならば、この一片の欠けもなく満ち足る望月のような微笑みを絶やしてはならないと必ず願うはず! むしろ、願わなくば人にあらず!感受性の無さを恥じて直ちに己の首をはねよ!


「どうして泣いてるの……?」

「神はいない……ただ、奇跡は確かに存在した……!」


 嗚呼、一か月間の苦労で荒みきった心が浄化されるのを感じる……ありがとう世界、ありがとう九坂クラマ……ありがとう、本当にありがとう!


つぅっと流れる涙をぬぐわず、拍手を送る。

このイベントの完全勝利を確信して。


「ありがと、元気でた」

「よく分からないけど……神薙君ってやっぱり変わってるね」


九坂クラマは遠い目でそう呟くと、主人公の元へと駆け寄っていった。篠山エミが咎めるような口調で止めようとするが、それも意に介さずそのまま一之宮に話しかけている。


あーあー、意地張っちゃって。主人公もやること多いんだから、あんまり爆弾抱えてるとめんどくさいと思われるぞ。そんなところも我々有識者から見ればチャームポイントなんだけれども。


(……ま、俺には関係ない話だ)


これでラドクロスバースの物語はより良い方向へと進むことだろうし、俺の役目はここまでだ。あとはモブらしく背景に沈んで終わるのを待てばいい。

俺は雲一つない青空を見上げて、目をつぶって余韻に浸る。


(やっぱ、最高に清々しい気分だ)

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