第21話 小さくとも、それは確かに幸福で(★)
注意というか前置きというか、はたまた弁明というべきか。一つ確認しておきたいことがある。
今から俺がやることは、半ば人力TASみたいなものだ。
想定された事柄を最適解の方法で対処していく。予想されたモノを、規定された手段で突破する。
だからバグ染みた想定外が起きやすい
主人公達と敵モンスターを完全にコントロールするなんて、元死にモブとして非常に不本意だ。
正直逃げ出したい。誰も何も口出ししない平和な場所に行きたい。ゲーム転生モノならではのセリフ、「ゲームの世界なんて知るか! 俺は好き勝手生きてやるんだァ!」と叫んで高飛びしたい。(というか、それがゲーム転生モノの醍醐味ってものだろ。実際はそうあるべきなんだよ。なんだよ、俺が生き残ったことで運命が俺を消しにかかってくるって。ふざけんな)
閑話休題。ともかく、俺は最善を尽くすつもりだ。
運命の修正力に徹底的に抗って、ラドクロスバースのハッピーエンドをリアタイで拝む。俺なりにエンディングに向かって邁進することをここに誓おう。
…………だがしかし、やはりどこまで突き詰めても人力なものは人力だ。ガバも沼プレイもある。うまくいく確証もない。
故にだ。俺は失敗を前提として動く。
そもそも、俺は無理を通して存在しているのだ。うまくいく方がおかしいということを念頭に置いておきたい。
……わかったな、俺。これは失敗を積み重ねる作戦だ。
いくら負けてもいい、最終的に生き残ればいい戦いだ。
期待するな、うぬぼれるな。されど諦めるな。
俺が俺に言いたいのは、それだけだ。
「────よし。覚悟は決まった」
朝風呂上がり。
洗面所の鏡台の前で、俺は頬を叩いて気を引き締める。
今日は例の日。つまり一年生が初めて『木漏れ日山』に潜る日。
今頃、同級生はうっきうきでダンジョンに必要な道具を最終確認しているはずだ。憂鬱そうな顔をしている生徒なんて俺ぐらいのものだろう。
まったく、知らないって素敵だな。必要以上の責任を負わずに済む。
…………で、だ。
「マリアさん。こそこそして何の用ですか」
「っ!?」
扉前のかげでのぞき見していたマリアが体をこわばらせる。
本人は気づかれていないと思っていたようだが、思いっきり鏡に映っている。どうして気づかれないと思ったのか。
出鼻をくじかれ、マリアは微妙な顔をしながら姿を現した。
「シンラが浮かれてないか確認しに来たのよ。初めて授業でダンジョンに潜るんだから、興奮してるかなぁと。ささやかな姉心よ」
どうやらマリアは俺に喝を入れるためにこっそり様子を伺っていたらしい。ラドクロスバースでは終盤まで冷徹キャラを通していた人間とは思えないお茶目さだ。
これも神薙シンラが死んでいないことによるシナリオの変化というものだろう。彼女がずっと冷たい性格だった理由の大半は『自身の不甲斐なさで弟同然の従弟を死なせてしまった』ことへの罪悪感によるものだ。俺が生きている以上、マリアが冷徹でいる理由がない。
だからゲーム内よりも多少明るい性格で振る舞いも軽いんだな。
……なんというか、うまく言葉に表せないがほっこりした。元気そうで何より。
「でも、杞憂だったようね。むしろ緊張し過ぎなくらい」
そう言って、マリアさんは顔をほころばせる。
緊張している、そりゃそうだ。今から一世一代の大勝負に向かうのだから当然だ。
「まぁ、そうですね」
「もっと肩の力を抜いて、リラックスして。確かに最初は不安が付きまとうかもしれないけれど、入ってみればあっけないものよ」
「はぁ……」
俺が心配しているのはそんなことじゃないんだけどなぁ、なんてことは口が裂けても言えないので適当に相槌をうつ。
一応、俺はシラユキをぶっ倒して世界最難関ダンジョンを単独制覇した人間なんですけどねぇ。『木漏れ日山』なんてお茶の子さいさい、心配なんて最初からしていない。
だが、マリアさんなりの善意は伝わる。
「シンラならできるわ、きっと」
「ありがとうございます。できる範囲で頑張ってみますよ」
シャツのボタンを止めて腕時計を拾い、俺はマリアさんの隣を通り過ぎる。
「そういえば、白蛇様はなんて言ってるのかしら」
「一応ついて行ってやる、とは言ってますよ。『木漏れ日山』にはシラユキより強いモンスターはいないようですし、余程のことが無ければ大丈夫だと思います」
余程のことが無ければ、な。
いくら聡明なマリアさんでも、これからダンジョン学の授業が大惨事になるとは微塵も思うまい。きっと昼ぐらいにモンスターの凶暴化の知らせを聞いて青ざめるはずだ。かわいそうだが、少し早めのクールビズと称して肝を冷やしてもらおう。
大丈夫、絶対帰ってくるから。原作みたいに曇らせやしない。
「頑張って」
過保護な従姉の応援を背に受けつつ、俺は自分のカバンを手にとった。
*****
シンラが出かけて行ったあと、私は学校に行く準備をするためにリビングへ戻った。
そこには相変わらず目をこすっているだらしない
「お兄ちゃんもう行ったぁ?」
「行ったわよ」
「ふーん」
イヨがあおむけになり、とろんとした目を向ける。
「どうだった?変なテンションになったりしてなかった?」
「少し緊張していたけれど、普通どおりだったわよ。……っていうか、そんなに気になるなら自分で確認すればよかったのに。きっとシンラも嬉しがったと思うわ」
「わざわざ出迎えるほどのことでもないでしょ。私が出て来ないのはお兄ちゃんへの信頼の裏返し。どーせ夕方には顔を合わせるんだから」
そんな軽いことをイヨは手をひらひらとさせて言った。
どうせ夕方には顔を合わせる、なんてイヨは本気で思っている。それが日常で、必然の事だと信じきっている。
信頼の裏返しという言葉は他意も裏もない、そのままの意味なのだろう。
でも、私にはずっとシンラが儚く見えて仕方がないのだ。
別にイヨを否定するわけじゃない。それは平和であることの証明で、とっても喜ばしいことだ。私もそうあるべきだと常日頃願っている。
しかし、私は入学式の時のシンラを見た。
学校を守るために勇気を出して立ち上がったシンラはすごくかっこよくて、従姉として誇りに思うくらい凛々しくて……………ふとした瞬間に壊れてしまいそうなほどに脆くて恐ろしかった。
呪いに侵されて保健室に運ばれたシンラを見て、私はシンラがいなくなった場合の未来について考えてしまった。
あの騒がしい声が聞こえない朝が来るなんて、正直考えられない。けれど、あの時には十分にあり得た未来なのだ。
……多分きっと、私は後悔する。すぐそばにいたのに助けてあげられなかった、不甲斐ない従姉でごめんって。
「どうしたのお姉ちゃん。顔が怖いよ?」
「あ……ごめんなさい」
イヨに指摘されハッとする。
らしくないわね、私が妄想に躍起になるなんて久しぶり。
羞恥を感じながらも咳払いをして無理やり話を進める。
「と・も・か・く、親しき中にも礼儀ありってこと。もしかしたらシンラが怪我をして、今日一日帰れないなんてこともあるかもしれないのよ。そうなったらイヨはどう思う?」
「お兄ちゃんが? ありえないありえない。だってお兄ちゃんめちゃくちゃ強いじゃん」
「…………」
「お姉ちゃんの方が心配し過ぎ。見たでしょ? あのバッキバキに割れた腹筋。シラユキさんに尻を叩かれながら作り上げた肉体美がそう簡単に沈むものですか」
「ま、まぁ……」
風呂上がりのシンラを想起して、少し赤面する。
本人は気づいていないのかもしれないけれど、シンラの肉付きははっきり言って異常だ。
私の同級生にも体を鍛えている人はいる。シンラよりも筋肉量は多い人もたくさんいるし、シンラが特別目立つほど体格がいいというわけでもない。
しかし、それでも私達がシンラが異常だと思うのは、シンラの筋肉は服を着るとほとんど隠れるという点である。
一言で言い表すなら『洗練された体』。無駄がなく、過剰な力を削ぎ落した体だ。
「彫刻みたいできれいだよねー。しかも着やせするタイプのマッチョっていう点が超ベリーグッド、能ある鷹って感じで好きだなー。お姉ちゃんもそう思うでしょ?」
「そ、そうなのかしら?」
「うん、絶対にそうだって!『俺、脱ぐと結構凄いんだぜ?』ってお兄ちゃんに迫られたら私、クラってきちゃう。ああもう駄目~」
どうやらイヨは筋肉フェチらしい。人の性癖をとやかく言う気はないが、少なくとも朝からする話ではないと思う。多分。
「だから、お姉ちゃんの思い過ごしだよ。お兄ちゃんは大丈夫…………だいたい授業は教育のプロの人が組んだカリキュラムなんだから怪我人なんて滅多に出ない。それこそ、入学式の時にお姉ちゃんが見たって言うテロリストでも現れない限りね」
妹がニコリと柔和な笑みを見せる。
……それもそうね。そんなことは万が一にもあり得ない。
あってたまるか。
「ごめんなさい。やっぱり考え過ぎだったようね」
「そうそう、いつも通りのお姉ちゃんでいればいいの。よっ、学園の看板を背負いし名物生徒会長! 立てば百合、座れば牡丹、歩く姿は薔薇のよう!一生ついて行きます!」
「まったく、調子いいんだから……」
わざとらしく太鼓持ちになるイヨにため息。
あなたは気楽に構え過ぎよ。お姉ちゃんは将来が心配です。
でも、ふっと出た笑いで、さっきまでの悩みはどうでもよくなった。
そう。イヨの言う通り、きっと私の考え過ぎなのだ。
シンラは無事に帰ってくる。絶対に。
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