第19話 保健室の絶戦

「シラ……ユキ……」


 呆然とするしかない。この場で一番驚いていたのは俺だと断言できる。


 シラユキの存在は、あくまで俺だけの力ではどうにもなりそうにないときの保険。無理やり力で解決するための切り札だ。本人もその立場をよく理解しており、俺が泣き言を言っても静観に徹していたはず。


 なのに、なぜ出てきた……?


 あっという間に赤嶺の背後を取ったシラユキは俺を一瞥すると、赤嶺の首に爪を食い込ませる。


「妾がそこにいる甲斐性無しに代わって答えてやる。妾がシラユキ、シンラの隣におる者だ」


 低い声での威圧。高位の神格なだけあって、シラユキのは人間を根幹から恐怖させるには十分過ぎるものだった。


 びりびりと震える空気に、俺でさえごくりと唾を飲み込んでしまう。


「それで小娘。妾が、何だ。発言を許す」


 答えさせる気など毛頭ない、とでも言いたげにシラユキは赤嶺の瞳を覗く。


「へへっ、神霊サマ、か。九坂クラマの評価もあながち間違ってなかったってことか」


 赤嶺は挑発するように笑うが、誰がどう見ても強がりだ。

 蛇に睨まれた蛙のように動けず、ただ頬に冷や汗が流れる感覚を味わうしかない。口を開けるだけでも賞賛すべきものだ。


「いやぁ。シンラが精霊使いだと聞いたもので、その精霊を一目見たかったんだよ。一年生にして精霊使いだなんて、誰だって興味を持つのものだと思うんだが」

「それだけの理由で妾を呼び出すか。人の子らしい愚かさ、呆れるわ」

「呆れてるのはこっちのセリフだ。私はシンラは良くも悪くも『生徒会長の親戚』相応の実力だと思っていたよ。だが、蓋を開けてみれば会長以上の化け物、それも居るだけで災害みたいなオーラを出す奴が出てくるときた。誰が予想できるかってんだ」


 そう言って、赤嶺は自身の足元を見る。

 震えている。怖がっているのだ、心が恐怖に歪んでいるのだ。


 おそらく、赤嶺はこれまで自分に強い存在に出会ってこなかった。ゲーム序盤のセリフでも「いやー、負けた負けた。初めて負けた!」なんて言葉を主人公に言っていたし、今の彼女の辞書に敗北という言葉はない。


 それが、シラユキを前にして初めて敗北を意識した。その衝動は俺ごときに計り知れるものではないだろう。


「恐れ入ったよ。興味本位でちょっかいかけてみるもんじゃないな」

「怖気づいたか。ならば二度とシンラに近づくな。貴様とシンラでは住んでいる世界が違う、格が違うのだ」


 反抗する意思がないと判断したシラユキが手を放す。


 …………が


「やだね。負けっぱなしは性に合わない」


 赤嶺の瞳に再び興味の炎が灯った。

 不敵に笑い、彼女はシラユキに指を突き付ける。


「あんた、怖いんだろ。私にシンラを取られるのが」

「…………」

「カミサマの癖に心の狭いことだな。傲慢で偏屈、それでいて弱虫。そんな匂いがお前からプンプン匂う。……ああ、もったいないな。シンラはなんでこんなと契約したんだろ」

「ッ!」


 刹那。シラユキは赤嶺の頭を掴むと、思い切り投げた。


 医薬棚に叩きつけられた赤嶺が頭から血を流してなだれ落ちる。ガラス瓶の破片がいくつか刺さり、俺よりも酷いケガになっていた。


 ちょっと、何やってんの!? 養護教諭がいないからって!


「妾が……なんだと?」

「雑魚だって言ってんだよ。シンラとお前じゃ不釣り合いって話だ。な、シンラ」

「えっ」

「こんな神様、見限っちまえよ。シンラはこんな奴に縛られていいタマじゃない」


 何故話を振ってきた!? シラユキの意識がこっちに向いちゃうじゃん!


「シンラ、聞くな。戯言だ」

「お、おう! もちろんだ! 俺とシラユキはツーカーの関係だからね!」


 時々パシリに使ったりソファを奪ってきたり勝手に俺のアイスを食べやがったりするけど、シラユキ以外に友達はいない! 俺が断言できる数少ない事実だ!


 涙を浮かべながら親指を立てる。


「シンラが妾を見限ることなどありえない。小娘、知ったような口を利くなよ」

「…………」

「仮にシンラを縛るものがあるとするなら、それは貴様のお節介に他ならない。善意や悪意関係なく貴様は迷惑だ。反吐が出る」


 俺が肯定したことで溜飲が下がったようで、シラユキはそれだけ言って消えた。

 残されたのはベッドの上で縮こまっている俺と、医療棚の残骸の中でくたばっている赤嶺。


 気まずい雰囲気が部屋に流れる。


「……なぁ、赤嶺」

「……………」

「シラユキがあんな調子だからよ、もう俺に関わらないでくれ。あいつ、なだめるの大変なんだ」


 なんとか絞り出した言葉はとても歯切れが悪かった。

 恨みもない、敵意もない。

 ただ、お前が側にいるだけで俺は運命に殺されるんだ。


 赤嶺カズサはラドクロスバースのメインヒロインで、一之宮ハルキの取り巻きで、チームのメインアタッカーじゃないと世界が救えないんだ。わかってくれ。


「あー、怖かった」


 ぽつりと返事が聞こえる。

 どこか吹っ切れたような、赤嶺らしい張りのあるの声だ。


 どうやら俺のことを諦めてくれたらしい。

 シラユキが聞いたらきっと大喜びするだろう。しばらく縁ほどきの作業に追われていたから、今日はぐっすりと眠れるはずだ。


 もっと深く聞きたいという興味を押し殺し、赤嶺は続ける。


「色々大変なんだな。私だけ突っ走ってごめん。今後、関わらないって約束する」


 むくりと起き上がり、赤嶺は俺を安心させるために笑った。

 ────────泣きながら、笑った。


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