第6話 ミスリード(★)
ポケットに手を突っ込み、体育館の扉をくぐる。中には既に沢山の生徒がパイプ椅子に座っており、談笑している。
(ああ……)
まさかこの入学式が、惨劇の舞台になるなんて誰も思っていないだろう。
残念ながら現実は小説よりも奇なり。人生とは山あり谷あり、希望があれば絶望もあるものだ。
指定された椅子に座って時間を潰しているうちに校長の挨拶が始まり、式は順調に進んでいく。
開会の言葉から始まり校歌斉唱────そして在校生代表の挨拶。
もうすぐだ。もうすぐ運命の時が訪れる。文字通り、俺の命運を決める出来事が。
両手を握り合わせ、自らの頭上にいる神に願う。
最も好都合なのはトラがシラユキを恐れて逃げ帰ることだ。
被害者もゼロで主人公が事件に巻き込まれることもなく、ゲームのシナリオごと運命をひっくり返したことになる。俺の将来も安泰だ。
一番起こりやすいだろう未来は敵幹部とシラユキが戦闘になること。少なからず生徒にも被害がでるだろうが、ここには主人公やヒロイン達がいる。彼らが戦闘に参加すれば、俺はどさくさに紛れてこの場から逃げ出すことができる。死ぬ可能性はぐっと低くなるだろう。
シラユキ、全てはお前にかかっているんだ。裏ボスの威厳を見せてやれ。
そう思い、目をつぶる……と
『ミシっ……』
「えっ」
自分の頭に木くずが落ちる。
違和感を感じ、俺はおそるおそる顔をあげた。
「おいおいマジかよ……」
頭上では黒い布をまとった少女が残忍な笑みを浮かべて、俺の全てを
────笑うしかない。笑わずにはいられない。
俺はここにきて重大な勘違いをおかしていた。
(しまった、ゲーム内描写の固定観念にとらわれ過ぎた!)
前提条件から違う、敵幹部は外から襲撃して来たんじゃない。元々体育館に入っていて、天井に潜んでいたのだ。
敵が侵入しているのなら今更シラユキを屋根に配置しても遅い。応援に来るまでに俺は物言わぬ肉片となっているだろう。
どうする? どうしたらこの状況を打開できる!?
敵幹部が天井の梁から飛び降り、己の体を十メートル越えのトラに変化させる。
ラドクロスバースの冒頭と同じ、神薙シンラが踏みつぶされるまでの情景と同じだ。どうすることもできない。
「バカやろぉおおお!!」
俺がそう叫んだ時にはすでに、まったく可愛くない肉球が迫っていた。
*****
私は生徒会長として、壇上に立っていた。
皆が皆、羨望の眼差しで私を見つめている。これが学校での私だ。
そんな視線を一身に受けながら、私はシンラを探す。
えーっと、あの子は……
(見事によそ見をしているわね)
シンラはあろうことか私を見ずに上を見上げていた。思わず心の中でずっこけそうになる。
どうして従姉の演説を無視できるのかしら。他人ならまだしも親族よ?まったく……。
まぁ、いいでしょう。入学式が終わったら説教をしてあげないと。泣き言を言ってもぜーったいに許しません。
(……ん?)
視界の端に何かを捉えた。それは一瞬だったけど、確かに見た。
あれは……少女?
その誰かは天井から何者かが飛び降りて、体の構造を変えていく。
猫………いや、虎。とても大きい虎だ。どんどん大きくなっていく。
その姿を見た瞬間、私の体は反射的に動いた。
「伏せなさい!」
叫ぶと同時に、そのまま舞台から身を躍らせた。
少女はトラに変わる。体長は十メートルを超える化け物、この世のものとは思えないほどおぞましかった。
そして、その目下には────シンラがいる。
シンラは目の前の状況を飲み込めていないようで、上を向いたまま呆然としていた。
避けられない。このままでは死んでしまう!
咄嵯に手を伸ばす。もちろん届くはずもない。
「シンラッ!!!」
かぎづめは無慈悲に振り下ろされ、シンラに直撃した。
予想される未来に目をつぶってしまう。
怖かった。大好きな従弟が、弟同然だった人が死んでしまうことが。
視界が揺らぐ。叔父さんと叔母さんがが死んでしまった時の事を思い出す。
あの箱の中にシンラが入ってしまうなんて、どうして。ああ、私はっ………!
驚嘆と静寂が式場を包んだ。
────────。
「────……バカ野郎!! 俺が筋トレしてなかったら死んでたぞ!」
怒りに満ちた声が空気を震わせた。
顔を上げると、私は信じられないものを目撃した。
シンラがトラの一撃を受け止めていたのだ。
自分の体重の何倍も重いであろう怪物を、まるでハエでも追い払うかのように。
トラはシンラによって投げ飛ばされ、壁に叩きつけられた。
私を含めた、その場にいる全員がシンラに注目する。
恐怖よりも畏怖に似た感情が芽生え、トラよりもシンラのほうが恐ろしい存在に見えた。
しかし、すぐさま我に返る。これは非常事態で、私たちは生徒会長として生徒を守らなければならない。安堵するのはその後だ。
飲み込み叫ぶ。あらん限りの声で。
「皆さん、直ちに校舎へ避難してください! 腕に覚えのある者は近くにいる人を守るように!」
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