第32話 狂犬王子と魔物との交渉

 ミクシリアはチャコをそのまま大人にしたような風貌で、猫が二足歩行している印象は変わらないままである。人間の傭兵と比べても謙遜ない鎧を着ており、堂々とした態度からも高い戦闘力をうかがわせた。




「……戦闘を止めてくれて感謝するよ。今は襲撃の意思はないのでね……」

「魔物に手加減という考えがあるとは驚いた。それに感謝しよう」


「おや、話のよくわかる人間じゃないか。あの野郎とは大違いだ」

「……」



 アルフレッドは城塞を出て、雪原の上でミクシリアの部隊と対峙する。ミリエルはチャコを抑える形で、一緒に外に出ていた。



「うおおおおおかーちゃーん! 迎えに来てくれたんだよねー! ありがとー!」

「うるさいね!! 私達がどれだけ心配したと思ってるんだ!! ちょっと近所に家出でもしたのかと思ったら、まさか人間の土地に行っているなんて……!!」


「だってだってだってさ! ザシュー将軍の人間の話、気になったんだもん! キャラメルっていう美味しいお菓子があるって!」

「キャラメル……?」



 チャコにキャラメルのことを教えてあげたいミリエルだったが、場をわきまえてぐっとこらえる。


 しかしそれで気が緩んでしまい、拘束する力が弱くなってしまう。その隙をチャコが突いてしまった。



「あっ、待ってチャコちゃん!!」

「うおおおおおかーちゃーん!! うわあああああ!!」



 ミクシリアの所まで駆け出していこうとするチャコだったが、すぐにジャンが追いつき確保する。抵抗するが大人と子どもでは力に差があり、身体を丸ごと担ぎ上げられた。



「何すんだ! お前はいじわるだから、やっぱり黒男だー!!」

「よくやったジャン。今はまだ目を離さないように」

「承知いたしました、アルフレッド様」


「うがー!! こいつ噛みついてんのに何ともねえぞー!?」

「ジャン君、後ろに騎士達も待機しているから。辛くなったら言ってね」

「ありがとうチカ。アルフレッド様に長年お仕えしてきた身、この程度で音を上げる程ヤワではない」

「……」



 アルフレッドはこのシュターデン領で、四年も魔物と戦ってきた。だから魔物に対する不信感も人一倍だろうと、ミリエルは考え直す。


 数週間前にやってきたばかりの自分が口を挟めることではない――はやる気持ちを抑え込みながら、ミリエルは交渉の様子を見守る。




「……私達の目的はチャコだけだ。彼女を返してくれるのなら他に何もいらないが、タダではいかなさそうだね」

「この大荒野において、人間と魔物は長年争ってきた。おかげで信頼関係は壊滅的だ。貴女が自分の娘をも利用し、シュターデン領に攻め込もうとする可能性も捨てきれない」

「なっ……!! かーちゃんはそんなことしないぞ!! あたしのことを大切に思ってくれている!!」


「チャコは黙ってな!! これは大人の争いなんだ――子どものする喧嘩とは違うんだよ! 下手な行動をすれば私も、あんただって命がないんだ!」

「かーちゃん……」



 ミクシリアの言葉に思うところがあったのか、チャコは暴れるのを一旦やめた。



 アルフレッドは何が起ころうとも冷静で、堂々とした態度を貫いている。『狂犬』の二つ名を知っている魔物達の中には、少し腰が引けている者もいた。



「さて、一つ聞いておきたいことがある。チャコ殿からは、貴女は最強の戦士だと聞いた。ならば力に物を言わせ、人間を殲滅し殴り込むこともできたはずでは?」

「それだと、皆疲れが溜まってしまうだけだ。戦闘は疲れるだけで何も生まない……だからそれ以外の方法で解決を模索したい」



 苦々しく呟くミクシリア。アルフレッドにとっては意外に思える返答だったが、それを顔に出さずに続ける。



「……そうか。しかし戦闘を避けるとなると、その条件はより熾烈になるが」

「ああ……それは覚悟の上だ。チャコが助かるってんなら、私の命だって差し出してやるよ」


「いや、チャコ殿と交換するのは貴女の命ではない。そちらにシアンという名の人間がいるはずだ。彼と身柄を交換するのなら、魔物達に一切の危害を加えることなく、チャコ殿を引き渡そう」

「シアン……そういえばあいつは、元々シュターデン領の人間だったな」



「人間は人間の国に、魔物は魔物の国に。あるべき場所に戻すだけのことだ、悪い条件ではないと思うが」

「……」



 黙り込むミクシリアに、サーベルマンの一人が耳打ちをする。



「ミクシリア隊長! シアンがいなくなったら、人間の調査ができなくなり我々が不利になってしまいます!」

「優秀な手駒を失うことを、ザシュー将軍がお認めになるかどうか……」


「……チャコが人間の国に行ったかもしれないと言われた時点で、予想できたことだ。将軍にも話したら了承してくれた……あとは我々の手で何とかしていくだけだと」

「将軍がそのようなこと……」



 ある程度会話が終わったところで、ミクシリアは再び前を向く。




「いいだろう、その条件で引き受けた。チャコとシアンの身柄交換に同意しよう」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 交換ってつまりさ、あたしが村に帰ったらシアンはいなくなっちゃうんでしょ!?」



 再び暴れ始めるチャコ。それは抵抗というより、だだをこねている暴れ方であった。



「いやだいやだいやだー!! シアンは貴重な遊び相手なんだぞ!! シアンがいなくなったらさみしいー!!」

「だったら私かあんたのどちらかが死ぬ!! 好きな方を選べ!!」

「ひっ……!」



 ミクシリアに怒鳴られたことで、ようやくチャコは事の重大さを理解する。



「もう一度言うが、私達はとっても心配したんだ!! 飯が喉を通らない奴もいれば、熱出して寝込む奴もいた!! 苦しんでいる奴がいるのに、事態を引き起こしたあんただけのこのこと帰れるわけがないだろ!!」

「うっ……うううっ……!!」


「行き先も告げずに危険な行動をするとどうなるか――遊び相手を失うのはその勉強代だ!! 重く受け止めろ!!」

「うえええええっ、ごめん、ごめんよう……!!」



 チャコは大声で泣き出す。それを見たミリエルは、ジャンに声をかけ彼女を下ろしてもらった。


 そして視線を合わせると、ぎゅっと彼女を抱きしめる。逃げ出さないように拘束するというよりは、包み込む優しさも与えるように。



「み、ミリエル……?」

「チャコちゃん。ミクシリアさんは、あなたが悪いことしたから怒ったわけじゃないからね。もしも次に同じようなことになってしまって、本当にチャコちゃんがいなくなったらどうしようって、心配なの」


「チャコがいなくなる……ううっ……!」

「今回迷い込んだのがシュターデン領で、わたしがいたからよかったんだよ。これが別の領地とか王都だったら、チャコちゃんはひどい目に遭っていた。たまたま運がよくて、神様に救われただけなんだよ」

「……うわあああああん、わーーーーん……!!!」




 ミリエルがチャコにかけた言葉を聞き、アルフレッドは自分を省みる。



(……確かにミリエルの言う通りだ。俺もミリエルがいなかったら彼女に何をしていたかわからない)


(下手するとこのサーベルマン達と戦闘になっていたかもしれない。先日でも苦労したのだから、甚大な被害が出ていただろう……)



「……ではミクシリア殿。詳しい日取りや場所を決めていきたいのだが、この場で構わないか」

「そうだね、城塞の中に魔物を入れるわけにはいかないからな。私達は毛皮があるからいいものの、人間は寒さに耐性がないだろう。逆にいいのか?」


「俺の心配をしてくれるのか……生憎だが、厳しい環境には慣れている。お気持ちだけ受け取っておこう」

「はは、悪くないねえ。あいつもこれぐらい真面目で礼儀正しい奴ならよかったのにねえ」


「……先程も言っているが、あいつとは?」

「こっちの話さ。どれ、さっさと進めようじゃないか」

「……そうだな」

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