第24話 白猫令嬢と猫好き画家
それから数日後。遂に約束の日がやってきた。
「おお、ミリエル様……! お初にお目にかかります、私は画家のフォルスと申します! しながい画家をやらせていただいております!」
「よ、よろしくお願いします……?」
ミリエルの前には、スコルとよく似た褐色肌の青年が姿を見せていた。彼はミリエルに出会って早々握手を求めそうになるが、寸での所で手を引き思い留まる。
「はっ、いかんいかん! 猫好きが暴走してアルフレッド様の婚約者様に気安く触れてしまうところだった……!!」
「アルフレッド様、こんなこと言ってますけど。本当に大丈夫なんですかこの方」
「にゃあ゛~……」
まーちゃんはフォルスを警戒し、チカは訝しげに尋ねる。アルフレッドは答えかねたので、フォルスの後ろにいたスコルに目配せをした。
「ご心配なく、彼は私の弟にして一流の画家なのです。ガーディン王国においても、王侯貴族より引っ張りだこで、順番待ちが発生する程の実力があるのですよ」
「貴族諸侯……では本当に、あのフォルス殿で間違いないのですね」
感心しきりのジャンから名前が出たのを受けて、チカは警戒を解く。一方でアルフレッドは腕を組み考えた。
「王侯貴族……なら俺と面識が合ってもおかしくないはずだが」
「たまたまご縁がなかっただけのことです。今それも解消されました」
「そういうことにしておこうか」
「ジャン君が認める程の人物なら間違いないのでしょう……ですが獣人差別をしないのは正直驚きました」
「ガーディンに召し抱えられているからと言って、思考まで寄っているわけではないのですよ。心はいつでもバスティリアです」
フォルスはうずうずしており、一刻も早く絵を描きたい様子で周囲を見回している。
「さて、では早速お部屋に案内してもらってもいいですか? 僕は一足先に準備しておりますので。始めるタイミングは皆様に合わせます」
「いかがかなミリエル嬢。先に歓談でもするか?」
「いえ、もうすぐに取りかかりましょう。きっと何をしても緊張は止まらないと思うので……」
「承知いたしました。よろしくお願いしますね!」
というわけでミリエル達は応接室へやってきた。スコルの頼み通りに整頓しており、テーブルは片付けられソファーが一つだけ置かれてある、また奥の方には着替え用のカーテンが引かれていた。
「ふう……やっぱり慣れませんね。すーすーして変な感じがします」
「やはり理解できん。これがバスティリア人の好みなのか」
ミリエルは着替えを終わらせて姿を見せていた。薄い生地のロングドレスで、生足が見えるギリギリ。それ以上に尻尾が強調され、布地が少ないので猫耳にも目が行く。
これまで見たこともないような露出度の服を見て、アルフレッドは内なる呆れを滾らせている。今すぐにでも食ってかかりそうな視線をスコルに向けた。
「バスティリアは砂漠が大半を占めていますからねー。生地は薄い方が好まれるんです」
「そうかそれは納得……してやるがあの服をミリエル嬢に着させる理由にはならんぞ」
「アルフレッド様にも何度か見てもらったではないですか! その上でこれなら構わないと!」
「……まあそう言ったのは事実だが、改めて見るとだな。改めて見ると……」
アルフレッドはミリエルの姿をまじまじと見る。服を変え、新たなる魅力が引き出されている婚約者の姿を。
猫耳と尻尾が強調されている――だからこそ愛らしい仕草が強調され、必然的に可愛らしさも増す。
今までは隣にいても動じなかったが、今は駄目だと確信が持てた。
「……くっ」
「アルフレッド様、お辛いのであれば退避いたしますか?」
「いや、耐えてみせる。戦闘を一切していないのに倒れてたまるか」
「どうしてミリエル様よりアルフレッド様の方が苦しそうなんですか」
「逆に聞くがチカ、君は何も思わないのか。今のミリエルを見て、普段以上に可愛らしさが増していると思わないのか」
「本音が出ましたね。確かにそう思いますけど、多分同性だから平気なんだと思います」
「同性……それならもうどうしようもないじゃないか……!」
アルフレッドが悶絶しているのを横に、ミリエルはソファーの背もたれに向き直りもたれかかる。尻尾が強調される姿勢となる。
フォルスも画材を準備し終え、早速仕事に取りかかる。ミリエルと会話をしながら下絵を描いていく。
「楽な態勢ですけど、じっとしているのは大変ですね。特に尻尾が……」
「尻尾に関してはこちらで調整します。ミリエル様は身体の方と……あとは笑顔を心がけていただければ」
「笑顔……」
肖像画を描いてもらうのは貴族の常識なのだが、ミリエルは初体験である。獣人にはそんなものは不要と言われてきたのだ。それに加えて、今は自分のコンプレックスであった尻尾を強調している。
よってかなり緊張しており、普段のような笑顔ができない。何度やっても口角が不自然に上がってしまう。
「ふうー……笑顔ができません。どうしたらいいんでしょう……」
「でしたら好きな物を思い浮かべてみてください。絵を描いてもらっているという事実から、ある程度逃避してみましょう」
「好きな物……」
早速ミリエルはキャラメルの味や見た目を想像してみる。だがその直後、フォルスの後ろで待機しているアルフレッドが目に入った。
「……アルフレッド様っ。えへへ」
「っ……!?」
ミリエルはアルフレッドに向かって微笑みかけた。すると今度は、自然に笑うことができたのである。
「おおっこれはとてもいい表情!! 相手を心の底から愛しているからこそ見せられる微笑み!! いいですよミリエル様その表情を保っていきましょう!!」
「フォルス殿、あとどれ程の時間で絵は完成する……?」
「少なく見積もっても一時間は必要ですね! その間アルフレッド様はそこにいてください!」
「まあそうなるだろうな……!!」
ミリエルの微笑みに心を乱され、正気を失ってしまいそうになっているアルフレッド。幸いにも彼女はそれに気づいていないが、あと一時間視線を合わせるのに耐えなければならない。
「えへへ……アルフレッド様を見ていると、とても元気が出ます。頑張れそうです」
「俺もだミリエル……ぐっ」
「アルフレッド様、どうかご無理だけはなさらないでくださいね?」
宣言通り一時間後に、フォルスはミリエルの絵を完成させた。評判が納得できる程の、生き生きとした出来栄えである。
「写しでも構わないから一枚貰いたいのだが」
「アルフレッド様早すぎます」
「もちろんお渡ししますのでご安心ください! いずれにしても、一旦この絵はバスティリアに持ち帰らせていただきますね!」
「そこで加工して商品にするんですよね。わ、わたしが美術品に……」
ミリエルは完成した絵を何度も眺めているが、そこに描かれているのが自分自身だと言う実感が沸かない。
しかし一方で、獣人である自分が絵を描かれているという事実を、嬉しく思う。実家にいた頃は決してできなかった体験だ。
「これはですね、確実に売れますよ。私が言うのだから間違いありません」
「僕も保証いたします。なんてったって猫ですからね猫! バスティリア人にとって猫は友であり生命線ですから!」
「何度聞いても信じられません……まるで別の世界の話みたいです」
かつてミリエルが出会った牧場の人々のように、バスティリア人も獣と触れ合う機会が多いので、獣人に対する偏見はないのだと言う。
むしろ獣を友として大切にする風習があり、とりわけ猫については人間以上に崇め奉っているのだとか。それがミリエルの絵を描いて売り出すという商談につながった。
「俺がこれまで出会ってきた商人達は、一切そのようなことは話さなかったのだがな……」
「言おうものなら取引に悪い影響が及びますからね。だから誰もが自分を隠して取り繕う。でもこちらとしてもガーディンとはよろしくやっていきたいので、とっても息苦しくなりながら励んでおります」
スコルは時々真剣な態度を織り交ぜながら話す。フォルスも画材を片付けながら話を聞いていた。
「流石にどうにかならないものかという話が持ち上がっておりまして、それが私が今回シュターデン領を訪ねた理由になります!」
「成程な。するとミリエル嬢がいる以上、シュターデンはバスティリア人にとって居心地がいいわけか。ガーディンでは忌み嫌われているのに、わからないものだ」
「えへへ……世界って広いんですね」
意識を変えようと努力するのではなく、そもそもそのような認識がない人の存在を初めて知ったミリエル。案外自分という存在は受け入れられるかもしれないと、心が楽になるのだった。
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