第21話 白猫令嬢と財政難

「アルフレッド様、入ってもよろしいでしょうか?」

「ん……シーニャか。構わない」



 ミリエルの結界魔法も順調に進んでいるある日。今日のアルフレッドは自室にて、書類の整理を行っていた。


 その最中、エプロンに身を包んだ恰幅の良い女性が入ってくる。シーニャと呼ばれた彼女は、メイド達を束ねる長であった。



「今月の食材費が計算できましたので、ご確認お願いしますね」

「いつも助かるな。食事のことは作る者に一任させているとは言え、頭が痛いだろう」

「毎日扱うものですから、どうってことはないですよ」



 シーニャを労わりながらアルフレッドは書類に目を通す。




「……」

「……」



「……ふう。防衛費の目途が立ってきたとはいえ、依然として辛いものがあるな……」



 溜息と共に顔を上げるアルフレッド。シーニャの表情は依然として固い。



「……ご覧いただいた通りです。城塞で働いている人の給料をちょっとずつ切り詰めて、毎日お魚を調達しているのが現状となっています」

「どの程度回している?」

「お給料の二割といったところです。結構痛いですが、これで一ヶ月分のお魚がようやく購入できるんです」

「合意は取ってあるのだろうな」

「むしろ皆さん、積極的に協力してくれていますよ。ミリエル様のためならと」

「……そうか」




 『狂犬王子』の噂が災いしてか、シュターデン領には商人があまり来ない。来たとしても王家直属の商人である。相手が固定されている以上、買えるものも限られてきており、彼らは脂身の濃い肉ばかり卸してくるのだ。


 ミリエルが食べられる白身魚は皆無なので、別の領地の商人を当たって取引をしている。だがこちらも、シュターデン領を見下しているのか、揃って値段を吊り上げる者ばかりであった。




「これを見る限りだと、また魚の値段は上げられるようだな。俺の食費を……まずは月10万程度から削ってみるか」

「アルフレッド様、よろしいのですか? それでは貴方様の心身が持たれるかどうか……」

「構わない。俺は婚約者として、ミリエル嬢の幸せを保証する義務がある」



 アルフレッドはそう言うと、机の上に置いてあるかごを見つめる。中にはキャラメルが山のように入っていた。



「……豪華な食事がなくとも、キャラメルがあれば俺は十分だ。そのように手配してくれ」

「承知いたしました。ですが、アルフレッド様にも美味しい食事を提供できるように努めて参ります」



 話を終え部屋を出ようとするシーニャに、アルフレッドは呼びかける。



「シーニャ、君が心配してしまうのはわかる。シュターデン領そのものの将来について不安なのだろう」

「いえ、確かに不安には思っていますが……それはアルフレッド様のことについてです。貴方様が無茶をしてしまって、突然我々の目の前から姿を消すのではないかと……私の息子のように……」

「……」



 アルフレッドは両肘を机に置き、以降は黙ってしまう。苦しそうな彼の表情を見て、シーニャは何も言わずに立ち去るのだった。





「きゃっ!」

「あら、ミリエル様にまーちゃん様。このような場所で奇遇ですわね」



 シーニャは部屋から出た直後、ミリエルにばったり出会う。彼女はまーちゃんを抱えて、窓際から空を眺めていたようだ。



「び、びっくりしました。急に扉が開くものですから……」

「にゃあ~」


「ミリエル様がいらっしゃるとは知らず、突然開けてしまい申し訳ございません」

「いえ、扉の近くにいたわたしも悪かったです。だから大丈夫です……」



「……」

「……」



 扉の近くという発言の後、視線をわざと逸らすミリエル。シーニャもそれで全てを察したが、あえて何も言わなかった。



「ミリエル様、お身体は冷えていませんか? 廊下から外を眺めるのも風情がありますが、やはり暖かい場所で見るのが一番ですよ」

「そ、そうですよね……実はそろそろお部屋に戻ろうと思っていたんです」

「承知しました。何かありましたら私でも、もちろんチカでも構いませんから申し付けてくださいね」

「ありがとうございます……」



 ミリエルはシーニャと別れ、そそくさと走り去っていく。





 そして部屋に戻ると、ベッドにまーちゃんを下ろして話しかけるのだった。



「どうしようまーちゃん……わたしのために皆様が無茶をして……」

「にゃん……」



 ここ数日、ミリエルはシーニャと関わる機会が増えてきている。今日も彼女に、自分が作ったキャラメルの感想を尋ねようと思っていた。


 ところが彼女はアルフレッドの部屋に入っていった。それで部屋の前で待っていたのだが、中の会話が聞こえてしまったのだ。



「わたしがお肉を食べられたら、こんなことにはならなかったのに……」

「にゃーにゃー」



 気にするなとでも言いたげに、まーちゃんはミリエルの膝に手を乗せるが、それでもミリエルは焦りが止まらない。




「失礼いたします。ミリエル様……は、カーテンの向こう側ですね」

「……チカさん」



 カーテンを開き、チカが笑顔を覗かせる。ミリエルの脳裏にはすぐに、チカも給金を削っているという事実が浮かんでいく。



「あら、まーちゃん様もご一緒でしたか。この天気ですからね~。まーちゃん様はとても暖かそうです」

「にゃにゃんっ」

「おや、もふもふ自慢ですか? そんなことされたら触りたくなっちゃうじゃないですか~」



 チカはまーちゃんの誘惑を軽くいなしつつ、ミリエルにお茶やお菓子を準備していく。




「あの、チカさん……!」

「どうかされましたか、ミリエル様」



 そんな彼女を止めるように声をかけたミリエル。しかし真実を知っていると伝える気にはなれず、曖昧な表現でごまかす。



「……わたしのために無茶なんてしないでくださいね。アルフレッド様でなくとも、傷つくのを見るのはとても悲しいです……」

「ご心配ありがとうございます、ミリエル様。お気持ちはありがたく受け取っておきますね」

「……はい」



 チカは何ともなさそうな笑顔と共に答える。もしも自分が真実を伝えたら、彼女達の努力を無駄にしてしまうのではないか。ますます無茶をしてしまうのではないか。


 何よりそんなことをしても現状は変わらない。ミリエルは様々な思いを募らせ、何も言えなかったのだ。




(わたしに使ってくれているお金だもの……わたしの力で稼げるようになるのが一番だよね。でもその方法は……)


(光魔法を頑張ってみる? でも今すぐにできることじゃないし……今目の前で皆様が困っているのに……)


(……そんなことより、獣人であることを前面に出してみるべきかな? わたしを一回叩くのに1万、とか……)




「うっ……」



 考えすぎてしまい、猫耳と尻尾がしおれてしまったミリエル。思わず嗚咽おえつを漏らしてしまった彼女に、すかさずチカとまーちゃんが寄り添う。



「ミリエル様。辛いことを思い出してしまったのですね」

「えっ……は、はい、そうです……」

「ミリエル様はもう一人ではないのです。アルフレッド様に私にまーちゃん様、城塞の皆が貴女を支えます。だから大丈夫ですよ」


「……チカさん。ううっ……」

「ミリエル様が昔を思い出して辛くなってしまったら、何度でもこのことをお伝えいたします。辛くなくなるまでお側にいます。大丈夫ですからね……」

「は、はい……ありがとうございます……」



 どれだけ励まされても、真実を秘めている以上苦しみが取れることはない。ミリエルは嬉しいと思うと同時に、申し訳なさで心が悲しくなるのであった。

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