第8話 狂犬王子の禁断症状

「うっ……ううっ……あああああああっ!!!」



 城塞に帰還したアルフレッドだが、彼は苦しんでいた。頭痛や吐き気に手足のしびれが止まらず、何度も胸を押さえて過呼吸に陥る。それでも持ち前の体力と剣術を活かし、今日の魔物討伐から生還した。




「アルフレッド様……っ!! 私です、ジャンです!!」

「……ジャン……お前か……あああああっ!!」



 ジャンがアルフレッドの前に姿を見せると、大声を上げて頭を抱える。その声は本当の『狂犬』のように聞こえ、魔物よりも恐ろしさを感じさせた。


 実際、それを聞いて足が竦んでしまった騎士やメイドが複数名いた。彼らからしても、アルフレッドがここまでことは初めてだったのだ。



「アルフレッド様、お部屋までお運びいたします。今担架を持ってきますね」

「いや、いい……一人で、歩ける……!!」



 ジャンや騎士からの静止も振り切り、アルフレッドは歩き出す。一歩を踏みしめていく様は、大型の魔物がゆっくりと距離を詰めていく光景にも似ていた。



「ならばせめて、私が肩をお貸しします! このままでは部屋に到着される前に倒れてしまいます……!」

「……お前は……いつだって……そうだな……」



 ジャンの力強い言葉にアルフレッドは反抗できず、そのまま左肩を担がれる。


 歩いている最中、ジャンは一緒に討伐に出ていた騎士達から話を聞く。



「一体アルフレッド様に何があった? 気になる点はなかったか?」

「気になるも何も、朝から調子がおかしかったんです。最初は気が散ったり落ち着きがなかった様子だったんですけど、徐々に症状が出てきて……」


「あまりにも集中できなくて、魔物からの攻撃を受けることもあったんです! そちらは応急処置を済ませていますけど、内部的な症状はどうにもならなくて……!」

「鎮痛剤を服薬されてもこれなんです。ジャン殿、アルフレッド様は本当に狂ってしまわれたのでしょうか……もうシュターデン領は……」

「……」



(いや、そんなことはない……アルフレッド様をここまで露骨に狂わせられるなら、あれしか考えられない)



 騎士達から情報を得たことで、ジャンは結論に辿り着く。そして黙々とアルフレッドを部屋まで運ぶのであった。





 アルフレッドが叫び悶える様を、ミリエルは二階から広間を見下ろす形で見ていた。彼が姿を消した途端、ミリエルは緊張が解けたのか、膝から倒れ込んでしまう。



「あっ、ああっ、ドレスが床に……」

「いいですよ、ミリエル様。あれは仕方ないです……」

「私も正直恐ろしかったもの……あんなアルフレッド様は初めて見た」



 上半身をチカに寄りかからせるようにして、ミリエルは立ち上がる。アメリも状況を確認しに、研究棟を出てミリエルと行動を共にしていたのだった。



「今日は王都から役人が来ていなくてよかった……今のを見られたらどんな風に噂が広まるか。国王陛下もいい顔はなさらないでしょう」

「そうかしら……本当に殿下のことをお思いになられているのなら、『狂犬王子』なんて噂は叩き潰すと思うのだけど」

「……」



 ミリエルの脳裏に国王マッカーソンの顔が思い浮かぶ。彼はミリエルと対面している最中、常に猫耳を引っ張って弄んでいた。


 あんな傷つけるような扱いを、実の息子であるアルフレッド王子にもしているのだろうか――チカとアメリの会話を聞いて、そんな突拍子もない考えが過っていく。




「……わたし、アルフレッド様があんなに苦しまれているのに、見ているだけなんて嫌です」



 頬を叩いて切り替え、ミリエルは決意を表明する。



「快くわたしを受け入れてくれたのに、アルフレッド様があんなに苦しんでいることを、わたしは知らなかった……婚約者として失格ですね」

「無理もないですよ、ミリエル様。シュターデン領から王都に情報はあまり届きませんし、ミリエル様は獣人という理由で情報を仕入れることすら困難だったはずです」

「ですがミリエル様、たった今知ることができたじゃないですか。これまでは覆せなくても、これからは自由に変えられます」



 アメリのフォローやチカの励ましを受けて、ミリエルはにっこりと笑う。



「ありがとうございます……! あの、わたしアルフレッド様にしてあげたいことがあるんです! 付き合ってもらってもいいですか……?」

「はい、喜んで! チカはミリエル様の専属メイドですから、何だってやりますよ!」

「私も最後までお付き合いさせてもらいますよ、ミリエル様」





 一方、アルフレッドはジャンと共に自室に到着した。彼をベッドに休ませると、ジャンは部屋から騎士達を締め出す。



「悪いな……お前には、いつだって迷惑を……」

「ぼくの命はアルフレッド様と共にありますから。どうということはありません」


「薬も処方してもらったし、ベッドで寝れば、落ち着くだろう……」

「……いいえ。それは眠ったとしても決して治りません」

「何を……っ!!!」



 ジャンが持ってきた物を見て、アルフレッドは過剰に嫌悪感を示す。


 それは煙を吐き出しているたばこと、グラスに並々と注がれた酒であった。



「そ、それは……やめろ!! それはもうやめたんだ!!」

「やはりそうでしたか……殿下、今貴方を襲っているのは『禁断症状』と呼ばれるものです」



 淡々と説明しながら、ジャンはスプーンを使ってアルフレッドの口に酒を流し込む。それから口の端にたばこを突っ込んだ。


 するとアルフレッドの呼吸が安定し、顔に血色が戻っていく。一方で彼の瞳からは静かに涙が流れた。



「……ううっ、くそっ、くそっ……!! 俺は、やっぱり俺は何も変えられないのか……!!」

「変えられますよ。ただ変え方が間違っていただけです。酒やたばこの中毒性は、人間の心持ち一つで断ち切れるものではないのです」



 ジャンはアルフレッドの隣に座り、穏やかな口調で話を進める。



「ミリエル様でしょう? あの方に臭いを嗅がせたくないと思って、禁酒禁煙を決意された。ぼくがどれだけ言っても聞く耳を持たなかったのに……愛の力は素晴らしいですね」


「……血の臭いは取り除けなくとも、酒や煙草ならどうにかできる。少しでも彼女に不快な思いをさせたくなかった……ただでさえ辛い日々を送ってきたのに……」



 アルフレッドの告白を、ジャンは否定することなく受け止めていく。




「アルフレッド様。十あるものを突然ゼロにしたところで、今日のようになるだけです。魔物の攻撃の当たり所が悪ければ、死んでいたかもしれないんですよ?」

「……それは身に染みて学んだよ。だがどうすれば……」


「先程も仰いましたが、禁酒禁煙には方法があるのです。十あるのなら、最初は九に減らしていきましょう。慣れてきたら八に七に、そうして徐々にゼロにするのです」

「……俺は一刻も早くゼロにしたいんだ。減らしていくにしても、結局やることには変わりないじゃないか」


「アルフレッド様は王国で最強の戦士であります。ですがその一歩は、剣の素振りから始まったはずです。それと同じことで、何事も積み重ねなければ成就しません。歯痒いでしょうが、それは世界の真理なのです」

「……逆に言えば、積み重ねれば確実にできるということか?」



「その通りです。貴方は一人ではありません。ぼくが徹底的に管理して支えますし、何より貴方には自発的な目標がある。ミリエル様の為に何かしてやりたいと――」




 その時、部屋の扉がそっと開かれる。そしてチカやアメリに続いて、小さな編み籠を持ったミリエルが入ってきた。




「ミリエル様! アルフレッド様は今休んでおいでです。今日の所は……」

「待ってジャン君、話を聞いてあげて」



 チカに誘導され、ミリエルはアルフレッドの隣にやってくる。



「ミリエル……嬢。まさかとは思うが、先程の騒ぎを……」

「はい、しっかりと見ていました。アルフレッド様、とても苦しまれていたんですね……」

「……言いたくなかったし、見せたくなかった。だがあれが俺の全てだ。幻滅したか?」


「いいえ。誰だってそういう時はありますよ。元気が出なくて、どうしても頑張れないって状況は。でも……」

「ミリエル……?」



「そういう時は、キャラメルを食べれば大丈夫です。いっぱい作ってきたので、どうぞ召し上がってください!」



 ミリエルがアルフレッドに差し出した籠には、紙に包まれたキャラメルが山のように入っていたのだった。

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