第5話 白猫令嬢とマヌルネコ

 アルフレッドと別れた後、ミリエルはチカに世話されながら、ゆっくりと身体を休める。お腹を壊さない程度に食事を取り、お風呂で温まったりして、この上なくゆったりとした時間を過ごしていた。




「ううーん……どうしてもそわそわしちゃいます」

「落ち着きませんか?」

「はい……こんな広い部屋にいるのは久しぶりなので」



 ソファーに座りながら、ミリエルは猫耳と尻尾をふわふわ動かす。チカは隣に座って、ミリエルの話に耳を傾けてくれていた。



「今までは狭い部屋で過ごしていることが多かったので……ちょっとドキドキしちゃいます」

「ふーむ……ならこういうのはどうでしょう。視界に入る分だけでも狭くするんです。あちらにあるベッドの周囲みたいに」



 チカは部屋の隅に置かれているベッドを手で示す。そこにはカーテンが引かれていて、同じ部屋内でもしっかり隔離されていた。



「あっ、あれぐらいなら大丈夫です。こう、何と言うんでしょうか……両側を何かに圧迫されていると、落ち着くと思います」

「圧迫となると本当に極小空間になりますね……そうなると部屋の設計から見直す必要がありますけども」



「設計からだなんてそんな……わたしのために色んなことをしてくれて、本当に頭が上がらないです……」

「メイドとして当然の務めですから! よーし、善は急げと言いますし、早速手頃なカーテンを――」



 チカは部屋を出ていこうとし、扉を開く。



 するとそのわずかな隙間を縫って、生物が部屋に入り込んできた。




「えっ? ええっ!?」

「うわーっ!! 何ですかこれはぁー!!」



 それは四足歩行で、丸い顔から耳が生えていて、全身がやや多めの体毛に覆われた、むっちりかつもこもことした生物である。


 その生物は真っ先にソファーに飛び乗り、ミリエルの隣にちょこんと座るのであった。




「何事だ。悲鳴が聞こえてきたが、ミリエル嬢は……っ!」



 チカの叫びを聞きつけて、アルフレッドが顔を見せる。そして生物の姿を見ると目を丸くし、部屋に入って距離を縮めてきた。



「これは……何ということだ。野生動物がいる時点で珍しいのに、よりにもよって『マヌルネコ』じゃないか」

「マヌルネコ……?」

「ネコ? ネコって言いましたかアルフレッド様?」



 ミリエルは生物――マヌルネコを慎重に抱え、膝の上に乗せた。するとマヌルネコはあくびをし、かなりリラックスしている様子を見せる。


 一方のチカは興奮を隠せない様子で、恐る恐るマヌルネコを見ている。ミリエルの背後でこそこそと様子をうかがっていた。



「ミリエル様の耳と尻尾も、猫のものなんですよね。このもこもこさんとミリエル様が同じ……!?」

「チカ……その反応から察するに、君は初めて見るのか。本物の『猫』を」

「そうなんですよぉ~……! アルフレッド様みたいに裕福な家庭ではなかったので、図鑑もないし外国に旅行にも行けず……」




 王侯貴族に蔓延る獣人差別は、やがて本物の獣にも波及していき、いつしか彼らは野生動物を毛嫌いし排斥するようになる。


 無論、猫もその中に含まれていた。野生の猫は見つかり次第殺され、愛玩動物なんてもってのほか。


 そういう事情があり、ガーディン王国民のほとんどが、猫とは無縁な日々を送っている。チカのような反応は、実は珍しいことではないのだ。




「……いやもう、本当に素晴らしい。猫の獣人であるミリエル様と出会えたかと思ったら、本物の猫に会えるなんて」

「でも、人間であるわたし達に見つかった以上、この子も殺されちゃうんですよね……」

「そうだな。猫がいたとそうなるだろう」



 アルフレッドは極めて自然な流れで、マヌルネコに手を伸ばし撫でた。マヌルネコは真顔を貫きそれを受け入れる。



「えっと、マヌルネコさん。わたしはミリエルと言います。こちらの男性はアルフレッド様。とってもお優しい方なんです」



 ミリエルはマヌルネコの背中を撫でる。するととてもご機嫌になり、ごろごろと喉を鳴らした。心なしか口角も上がっているように見える。



「ミリエル嬢に懐いているようだな……」

「確かに部屋に入った直後、真っ先にミリエル様の所に行きましたからね!」

「同じ猫だから、お友達に会えた気分だったのかも。えへへ……」



 嬉しくなったミリエルは、マヌルネコの身体をどんどん撫でていく。友達に会えたような気分というのは、他でもないミリエルが思っていたことだった。




「アルフレッド様……わたし、この子と一緒に過ごしたいです。厚かましいお願いですけれど……」

「君に頼まれなくとも、この子は保護しようと思っていた。猫同士共感できる所もあるだろう。緊張も少しは解けてくるはずだ」

「ありがとうございます……! えへへ、これからよろしくお願いしますね、マヌルネコさん!」



「……それにマヌルネコだからな。見つかったら殺されるより酷い目に遭う可能性が高い」

「え、そこまで凄い猫なんですか?」



 チカがきょとんとする隣で、アルフレッドは溜息をついてから続ける。



「……王国内では一番最初に絶滅した猫だ。毛皮は加工しやすく肉は美味、加えて魔力も結構蓄えている。図鑑にはそう書いてあった」

「貴族の獣嫌いに加えて、獲物としての有用性も高いと……その中で生き残ってここまで来たの、本当に奇跡的じゃないですか!」



 ようやく警戒心が薄れたのか、チカはマヌルネコに触る。もこもこの体毛に指が埋もれていき、全方位から体毛特有の温かみが迫ってきた。



「魔力があるってことは、この子も魔法が使えるんでしょうか?」

「どうだろうな。野生動物が魔法を使うなんて話は聞いたことがない。使った時点で魔物と区分されるからな」

「そうですよね……」



 絶滅したと言われた生物が、今こうして自分の膝に乗っている。ミリエルは不思議な気持ちになりながら、マヌルネコを撫でるのであった。

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