第4話 狂犬王子は決意を固める
魔物の襲撃というトラブルはあったものの、馬車は無事にシュターデン城塞へと到着した。国防の最前線であると同時に領主館も兼ねている、石造りの堅牢な建物だ。
「お帰りなさ――っ!? ど、どうされたのですか!?」
城塞の入り口では、燕尾服姿の青年がミリエル達を待っていた。礼儀正しく迎え入れてくれたのだが、血の跡が残るアルフレッドを見て若干取り乱す。
「道中で魔物との戦闘があった。その場で拭いてはきたが、早く着替えてしまいたい。話はそれからだ」
「承知しました、今すぐお着替えを準備いたします。そして……」
青年はミリエルの方を向くと、丁寧に頭を下げる。
「初めまして、貴女がミリエル様ですね。私は『ジャン』と申します。アルフレッド様の執事を務めております」
「ジャンさん……わたしはミリエル・レーシュと申します。この度アルフレッド王子と婚約することになりました……」
ミリエルもスカートの裾をつまんでお辞儀をする。気を張り詰めていたのだが、猫耳がぴょこぴょこ動いてしまった。
「あうう……すみません、この耳が勝手に動いてしまって」
「お気になさらずに、ミリエル様。では早速、お部屋にまでご案内いたしますね」
「よ、よろしくお願いします」
城塞内部には、時折風が吹き込んできては一気に冷え込む。しかしミリエルが案内された部屋は、魔道具により一定の暖かさが保たれていた。
「わあ……!」
「ここが今後君が生活していく部屋だ。早急に整えたものだから、どこか不備があるかもしれない……」
「そんなことはないです……! 足りていないものなんて、何にもないです!」
実家で生活していた部屋より広く明るい。この時点でもう満足なのに、家具も綺麗な物を揃えてくれている。ミリエルは嬉しさで舞い上がりそうだった。
「ふふ……そうか。では互いに着替えを済ませてくるとしよう。チカ、任せたぞ」
「承知しましたー!」
アルフレッドはジャンと共に部屋を出ていき、再びミリエルはチカと二人きりになる。扉が閉められた瞬間、チカは胸を張る。
「さあお着替えの時間です。あと汚れてしまった手も改めて洗いませんとね。やることがいっぱいありますよ!」
「え、ええっと、よろしくお願いします……!」
「はい、それはもちろん! ミリエル様のことは麗しい神様だと思って、丁重に接しさせていただきますよ!」
やがて互いに着替えが完了し、アルフレッドとジャンはミリエルの部屋を再度訪れていた。
「ふむ……似合っているぞ。尻尾については、また穴を空けてもらったかな」
「はい、チカさんに空けてもらいました。細かい所まで気を遣っていただいて、とっても嬉しいです……」
紅茶やお菓子を嗜みながら、ミリエルはアルフレッドと話をする。スカートから出ている尻尾は、ぶんぶんと動いて上機嫌だ。
話に挙げられたチカは、軽く会釈をしてミリエルに応える。彼女はジャンと同様に口を閉じ、主人二人の会話を見守っていた。
「お菓子も紅茶も、とっても美味しいです。少しの味付けでしっかりと素材の良さが引き立っていて……」
「ふむ、素材の味が引き立っているのが好みかな」
「好みというよりは、そうじゃないと身体が受け付けないんです。これも獣人だからでしょうか……」
味付けの濃いものは元より、脂の多い肉も受け付けない。しかし貴族の料理はそのようなものばかりなので、ミリエルは結構な頻度で体調を崩していたのだった。
「食事の好みは人それぞれだ。そこに獣人であることは関係ない。俺も味の濃いものはそこまで好みではないしな」
「え、そうなんですか? それは……その……」
「君と俺は案外気が合うのかもしれないな。似たような食事を好んでいるのだから」
そう言うとアルフレッドは笑う。最初に出会った時と同じく、どこかぎこちなさが残る笑顔であった。
ミリエルはアルフレッドが笑顔を向けてくれることが嬉しくなり、もっと彼と会話をしたいと思っていたが――
「……はっ。し、失礼しました。お部屋がとっても暖かくて……」
意識が遠のいてしまい、瞼が落ちてきてしまうのだった。目を擦るミリエルを見て、アルフレッドはチカに命ずる。
「ミリエル嬢はかなり疲れているようだ。少し休ませてやってくれないか」
「かしこまりました。それでは……お茶会は一旦お開きということでよろしいです?」
「そのようにしてくれ。俺がいたのでは、どうしても気を張り詰めてしまうからな……そう落ち込まないでも大丈夫だ」
ミリエルは表情こそ微笑みを絶やさないでいたが、猫耳と尻尾は元気をなくしうなだれていた。
「えっ、わたし落ち込んでなんかいません……?」
「先程も言ったが、耳と尻尾に出ている。ふふ……獣人というのは、嘘をつけない体質なのだな」
「うう……はい、その通りです。わたし、もっとアルフレッド様とお話していたいです。お別れなんて寂しいです……」
「……寂しいのは俺も同じだ、ミリエル嬢。でも話を続けて倒れてしまったら、元も子もないだろう。まずは自分の身体を労わるといい」
「そ、そうですよね……ごめんなさい、わたしはなんてわがままを……」
「それだけ俺の傍にいたいということだろう。気に病むことはない」
「では、これ以上寂しくなる前に失礼しようか。ジャン、戻るぞ」
「承知いたしました。ミリエル様、ゆっくりとお休みくださいね」
アルフレッドは名残惜しそうに立ち上がり、ジャンと共に部屋を出ていくのだった。
アルフレッドの婚約は全て、国王マッカーソンが勝手に決めたもの。その理由は王族と繋がれば家の権威が増すとか、かわいそうだから慰めてやるとか、一方的で上から目線なものばかり。
そのような令嬢達は、アルフレッドの姿を見た瞬間逃げていく。臭いがきつくて駄々をこね、結局帰っていく。シュターデン城塞での貧相な生活に耐えられなくて、一方的に婚約破棄を宣言し文句を垂れていく。
もはや女という存在そのものに疲れてきた頃に、ミリエルはやってきたのだった。
「……ジャン。これまで父上はたくさんの婚約者を送りつけてきたが。あそこまで俺に心を開いてくれているのは、初めてだった」
「ぼくも感動しております。あの方はアルフレッド様の本当の優しさに気づいておられる」
自室に戻るまでの道のりで、アルフレッドはジャンに話をする。彼はミリエルに出会えた感動を抑えて話すのに必死だった。
「今回の婚約、恐らく父上は当て付けのつもりなのだろう。貴族に蔓延る獣人差別は甚だしいからな」
「アルフレッド様も同じように、獣人を差別するとお考えだったのでしょうか。そういった連中も、皆一度はシュターデン領で生活してみるといいのですよ」
「……」
返す言葉を失い、思わずアルフレッドは窓から外を眺める。かなり冷え込んできたのか、空には雪が舞っていた。
この地は王都より寒い――そう考えた途端、ミリエルが風邪をひかないようにしなければと、彼はすぐに思い至った。
「ミリエル嬢は……きっと王都で苦しい日々を送ってきたのだろう。その分だけ素直で優しいんだ。俺のことを臭いと認めた上で、それでも俺の傍にいたいと言ってくれたよ」
「臭くないとごまかさなかったのですね。変に嘘をつかれるより、余程いいではありませんか。貴族達はミリエル様の優しさにも気づかず、獣人というだけで虐げてきたのでしょうね……」
「……嘆かわしいことだ。その苦痛をどれだけ癒せるかわからないが、できることはしていこうと思っている」
アルフレッドは拳を握り、決意を新たにするのであった。
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