第3話 狂犬王子はとても臭い
ガーディン王国第一王子アルフレッドは、王国南東にある地域『シュターデン』を治めている。以前は別の貴族の領地だったのが、当主含め一族が全滅してしまったため、王国が土地を回収していた。
その理由は魔物との戦闘である。シュターデン領は、魔物が徘徊する荒野と平地で面していた。他の国境線が山や谷といった険しい地形なので、魔物は必然的に攻め込みやすいシュターデン領に侵入しようとする。
故にシュターデン領は国防の主要地域とされてきた。そして国王マッカーソンは、アルフレッドが武術に秀いでていることに着目し、彼が18歳の時にシュターデン領の統治を任命した。そこから4年の歳月が流れて今に至る。
「興味深いかな、ミリエル嬢」
「はい……王都とは全然違う風景で、初めてこの目で見るものばかりで、そわそわします」
「東の大荒野に続いている以上、王都近郊よりは植物が少ないからな。その分だけつまらないとも言える」
「い、いえっ! 全然そんなことはありません!」
ミリエルは馬車に乗った後、アルフレッドをじっと見つめて会話をしていた。時々視線が彼の後ろにある風景に向かい、尻尾がそわそわと動いている。
「はは……つまらないと思っていないのは、どうやら本当のようだ。尻尾に出ているよ」
「うう~……ごめんなさい……」
俯いた後、ミリエルはアルフレッドとの距離を少しだけ開けようとした。
だが直前で思い留まり、正面に座っているチカに話しかける。
「あの……少し寒くなっちゃいますけど、窓を開けてもらえませんか? ほんのちょっとでいいんです」
「かしこまりました。私は寒いのはへっちゃらなので、ミリエル様とアルフレッド様のお好きなようにいたします」
「ありがとうございます……」
チカに感謝した後、ミリエルはアルフレッドとの距離を詰める。身体が接触しないギリギリの所まで来た。
(……アルフレッド様、わたしにとっても親切にしてくれている。婚約者として対等に接してくれている。なのにこんなことを言うのは……)
(でも、おそばにいると息が苦しくなっちゃう……アルフレッド様、く、臭い……)
人間にとって害であるものを、濃厚に混ぜ合わせたもの。アルフレッドの身体から滲み出るそんな臭いで、ミリエルは鼻が曲がりそうになっていた。
本人は臭いの自覚があるかどうかもわからず、涼しげな表情を崩さない。果たして事実を伝えるべきかどうか、ミリエルは笑顔を張りつけながら考える――
「……あれっ? 馬車が止まりますよ? もう到着したんですか?」
「いや、まだ距離はある。厄介な時に来てくれたな……」
アルフレッドがぼやく間に、馬車は完全に速度を落とし止まってしまった。それから彼は剣を抜きながら馬車を降りる。
「一体何が……っ!」
人間の耳と猫の耳。ミリエルの二つの耳が捉えたのは、汚い雄叫びであった。
「げははははは!!! おい人間共っ、今すぐ食料や財宝を置いてけー!!」
「そうしたら見逃してやってもいいぜぇ!? 別の人間から集ればいいだけだしな!!」
「だが抵抗するならどうなるかわかってんだろうなァ~~~!?」
窓から周囲を確認すると、コボルトやオークといった魔物の群れが馬車を取り囲んでいる。空にはワイバーンがいて、どうやら運んできてもらう形でやってきたようだ。
ミリエルは生きている魔物を初めて見たので、醜悪さと凶暴さを肌身で感じてしまい、恐怖で身動きが取れなくなってしまった。そんな彼女をチカが励ます。
「大丈夫ですよ、ミリエル様。私達にはアルフレッド様がついていらっしゃいます」
「アルフレッド様が……?」
「そうです……あ、今始まりました。じっくりと見ていてください、これがアルフレッド様です」
「え……」
「ひいっ!!! て、てめえまさか、『狂犬』か……!?」
「うわあああああ逃げろおおおおおっ!!! ぎゃあああああっ!!!」
「ちくしょう、ちくしょおおおおお!!! 何でよりにもよって『狂犬』にぶち当たったんだよおおおおお!!!」
「……『狂犬』。今はその名を呼ばないでほしかったが、もう遅いな」
威圧してきた魔物達は、アルフレッドの姿を見ると全員が震え上がってしまった。あれだけ攻撃に出ようとしていたのに、我先にと逃げ出そうとしている。
そんな魔物達に向かって、アルフレッドは躊躇なく剣を振り下ろす。逃げられないように足を斬り落とし、攻撃できないように腕を断つ。馬車の中から見せていた、涼しげな表情は崩さないままで。
淡々と魔物を斬り捨て、半殺しにして戦闘不能に持ち込む。一連の動作はあまりにも無機質で、同じ人間とは思えない。こんな姿を見てしまったら、『狂犬王子』の噂を流したくなるのも納得できると、ミリエルは考えた。
そして魔物から飛び散る血が、アルフレッドの鎧に降りかかっていくのを見て、はっと我に返る。
「チカさん……この魔物達は、わたし達を襲おうとしていました」
「そうですね……まさか空から攻め込んでくるのは想定外でしたが。いやーやっぱり魔物達も日々したたかになってますね……」
「アルフレッド様が、そんな魔物からわたし達を守ってくれたんですね」
「……それがアルフレッド様のお務めですから。国境付近では、もっと激しい戦闘が繰り広げられています。臭いだって今の比にならないぐらい……」
「やっぱり、チカさんも臭いって思っていたんですね。でも、もう大丈夫です」
やがて魔物達は全員戦闘不能になり、辺りには呻き声と悲鳴が響き渡る。灰色の物寂しい平野は、血の赤で染め上げられていった。
「近くに駐屯している騎士を呼んでくれ。周囲を掃除させる。加えて空への警戒も強めるように通達しないとな」
「承知しました……アルフレッド様、また手を抜いたんですかい。心臓を一刺しすりゃあ一発なのに、手足だけで済ませちゃって」
「これだけ血を流していれば、後は勝手に息絶える。実際今も動かなくなっているのがいるぞ」
「速やかに殺すよりも酷かもしれませんね。ま、ちょっと足止めになってしまいますが。少々お待ちくださいな」
御者と会話を終えたアルフレッドは、ミリエルとチカの所まで戻ってくる。
「お帰りなさいませ。先程の戦闘、魔物達に有無を言わせぬ圧勝。お見事でございました。馬車に乗る前にできる限りのことはさせていただきますね」
チカはアルフレッドを褒め讃えた後、乾いた布で鎧に付いた血や体液を拭き取っていく。
「……まあ、いつものことだ。とはいえ、ミリエル嬢には刺激が強かったか――」
アルフレッドは心配しかけたのだが、次の瞬間驚き目を見開く。
何故ならミリエルは、チカから布を一枚強引に取っていき、彼女の隣で一緒に鎧を拭き始めたからである。
「……何をしている?」
「ちょっ、ミリエル様!? このような汚い仕事は、私がやりますから大丈夫ですって! 貴女様の綺麗な手が汚れてしまいます!」
チカの静止も聞かず、アルフレッドからの視線も気に留めず、ミリエルは鎧を拭き続ける。案の定手はたちまち汚れてしまったが、それでも止める気配はない。
「大丈夫です……わたし、獣人なので。獣人は汚らわしいって、色んな人から言われてきました……」
「だから今さら汚れることぐらい、どうってことはないです。それよりもアルフレッド様に……わたしを獣人として見下さず、婚約者としてしっかり受け入れてくれた、アルフレッド様に。何もしてあげられないことの方が辛いんです」
「……俺は臭いぞ。先程血を浴びたばかりだし、馬車にいた時から気づいていただろう。もはや身体に染みついてしまって、取れない臭いだ」
まるで相手を遠ざけるかのように、嫌々しく吐き捨てるアルフレッド。だがミリエルは一切逃げることはなく、笑顔を見せる。
「わたしも獣臭いって言われてきました。でもアルフレッド様は……わたしを臭がることなく、抱きかかえてくれました。とってもお優しいアルフレッド様を、身体の臭いだけで遠ざけることなんて、わたしにはできません」
「そうか――」
その後もミリエルに対して言葉をかけようとしたが、心に溢れた温かいものが邪魔をして、上手く伝えられないアルフレッドであった。
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