〈9-4〉

「違う!俺はただ…同じ神だった者として、放っておけなかっただけだ。ルファも含めてガキのおもりという感情しか持ち合わせてねぇんだよ」


沈黙。有線のジャズが今度はピアノを奏でた。水神とヘルメスは興ざめだと溜息を吐き、そして気さくな雷神が用意してくれたハイボールをそれぞれのグラスで飲み干した。


「ぷはっ。色気の無いこと言うなよ風神、しらけるだろ」


「このアホぅめ。リエルを見ろ…物悲しい顔になってるじゃないか」


リエルは先程から風神の横顔をずっと眺めていた、そして不安そうに呟く。


「一緒にいちゃダメなの?」


風神は正面を見据えたまま、それをけっして視界にいれなかった。ただ、返事だけ。


「それはお前が勝手に決める事だ」


「風神といたい!」


「…変な言い方すんなよ。こいつらがまた勘違いする」

「いい、ボクは勘違いじゃないから。一緒にいたい」


「はぁ…大体なんだよその一人称」


引かぬリエルの様子に溜息がこぼれる。


「その、可愛いかなって…暇だからここに持ち込まれた本で色々読んでた。でも、私の方がいいなら戻す」


「あざといからやめろ。いや、それも自分の好きにしたらいい、俺に聞くな」


二人を静かに見守る神達は、この遣り取りにこう思った…――これが、もしや人の言う甘酸っぱいという感覚なのでは?


風神は、平然を装い悩んだ。自然に系統する神の場合、人間の感情を深くまで理解するのは中々難しい。一方的にお仕置きしたり叱ったりするのは簡単なのに。反対に全てを奪われ人となったリエルはいつの間にか特別な感情を抱くようになっていた。幼い神だったとはいえ通常の生物より倍長い時間を生きていたのだから、精神は充分に大人なのだ。その事に動揺を隠しきれない、嫁もとる気はないし、そんな気持ちはよくわからない。


だから、あまり顔を合わさぬように駅に置いていた。いままで問題はなかったが、しかしそれは大きな間違いであったとも気付いて後悔している。


「どこへいく」


突然席を立つ風神を水神が呼び止める。


「しばらく、リエルを預かっててくれ。色々と整理したい、異世界についても」


そう、異世界に関してはもう少し冷静に考え直す必要がある。対等な立場で敬えるのならまだしも、いつまでも支配され続けるわけにはいかない。そんなのは自由に暴れ回っていた風神からしたら地獄で、神でありながら閻魔に舌を引き抜かれるような気分だろう。


「いやぁ私も行く」


水神から慌てて飛び降りたリエルは、風神にタックルしながら抱きついた。そもそもこれはそういう特別な感情ではなく、依存しているだけなのではと風神は思っている。親身にしてくれる者は、ここにいる者以外にはいない。そっぽを向かれたら一人ぼっちだ。


「雷神頼む、俺は暫く駅にいるよ」

「わかった」


なんだったら、もう、善人の夫婦でも探してきて、リエルを自分達の子供だと思い込ませる。神の力を行使すれば人の記憶なんて簡単に操作出来る、そうした方がきっと確実に幸せになれる。これ以上もし、何かここで起こるならそうするしか手段がない。嫌がられたとしても。


「また来るわ」


雷神はカウンターから出てくるとリエルを捕まえて小脇に抱えた、ジタバタと手足を動かすもただの小娘が屈強な筋肉、しかも神にかなうはずがない。風神は言い残すと店を後にした。


「やれやれ、一番あいつが面倒臭いよ。ありのまま受け入れりゃいいのさ」


へルメスが呆れた声で足元の可哀想なカンカン帽を拾い上げてはたいた、そして長い髪の毛を器用に収納していく。


「まったくじゃ、くだけたフリしおって。中身はガチガチの堅物じゃ」


水神がお手上げポーズをすると、愉快そうに笑う。


「しょうがねぇのさ、風神の兄貴は繊細なんだ」


風神と兄弟のように長年過ごしてきた雷神は、そうフォローしておいた。


「それにしても…ああ異世界、どうにか手に入らないかなあ」


「おぬしは反省しろ。今度は顔が吹き飛ばされるぞ」


懲りないヘルメスに、一同は溜息をついた。残された者達は酒をあおりながらダラダラ過ごす。リエルはカウンターの奥にあるプライベートルームへ入るとそこに畳まれた布団を引っ張りだして包まった。


「最低」


呟く、自分に対して、誰かに対して。自身もまた罪深いのだと理解していた、巻き込んでしまった人間達に謝罪する機会も、もうない。そのまま暫く泣いていたが、いつの間にか疲れ果て眠りに落ちていた。


場面は切り替わり異世界。

ウェインの寝室だ。時間は少し、進んでいる。


「風神、たしかにそうですね。私に加護をくれた…そして蜂ノ瀬…誠…ウェイン様じゃないのか。しかも同じ世界から来た転生者だと」


シノノメは打ち明けられた事実に戸惑いながらも冷静であった、そして誠は全て吐き出せた事を清々しく思っていた。椅子に座ったまま、足をバタつかせ目を輝かせて。これは彼の中で蓄積され続けたストレスが、このような無謀な行動を引き起こしたのかもしれない。全裸で高々と持ち上げられたり、突然貞操を奪われかけたり、心身共に限界だった。


今この場に居るのは、昔勇者として連れて来られた転移者と本来行くべき場所より的を外して現れた転生者。なのかはわからないが、誠はその部分については項垂れた。


「…なるほど」


低い声で腕を組んだシノノメはどうすべきか考えていた、これをギャラガー家全体に知らせるべきか。黙っておくべきなのか。


「やっぱり、これは皆さんにも知らせた方が」

「いや、だめだ」


シノノメは先程のように雰囲気を変えて、誠の声を遮った。そして声を潜める。


「まだ様子をみた方がいい、ここの使用人達は坊ちゃんへの思い入れが半端ない」


「シノノメさんもやっぱりウェイン君については残念に思ってますよね」


「…俺は別に。元々サイラスさんに命を拾われてここにいるようなもんだから、そんなわけで他と違ってウェイン様にそこまで肩入れはしていない。よくしてもらってはいるがな…サイラスさんの息子だから全力で守り抜く、それだけの関係だよ」


「シノノメさん、元々どんな仕事してましたか」


少し意地悪な質問をする。


「あんた、なんとなくわかって聞いてんだろ?」


少し笑いながらも黒縁眼鏡の奥の目は鋭く光る、誠はそれに臆する事はなくイタズラ小僧のようにニタッと笑った。どんな生い立ちでも、身近に理解者を得れた事はこの異世界で生きていく上でとても大きな収穫に違いない。希望だ。


それに、あの蛍より怖いものなんてもうこの世に存在しないのではとも思っていた。


「ひとまず、まだ秘密にしよう。あんたも極力ウェイン様っぽくを心がけろ。特にその敬語はクソ過ぎる、その顔でっ…やめてくれ。笑い堪えるのに必死だったんだ。あと一人称だが…まあ、いいかそれで」


「わ、わかった…じゃあこれからはシノノメって呼ぶことにする」


思い出し笑いをシノノメは噛み殺す、そして左手を腹部に、右手を後ろにして執事としてかしこまる。表情も穏やかに取り繕うと昨晩通りの姿がそこに完成した、切替が早い。


「それではウェイン様、午後から街の方へ行ってみませんか?色々勉強になるかもしれません、もちろん一緒に。あと会わせたい者もいますので」


「…うん、いいね。宜しく頼むよ」


「かしこまりました。まもなく朝食の準備も整うかと思いますので、このまま食堂までご案内します」


シノノメはきっと信頼出来る男だ、そうでなければいちいち忠告等してこなかっただろう。よく考えてみれば、通常世界でも中身がいきなり変わっているなんて身内に話したら、気が触れた扱いをされ病院送りかもしれない。病院、異世界にもあるのだろうか。そうこうしながら、誠はシノノメに連れられ食堂を目指すのであった。


しかし、2人の会話はすでに聞かれていた、1人の使用人に。


「何、今の会話」


二人の背中を見送りながら背の低いメイドが階段の影で囁いた、扉の前を通りすがる時に思わず聞き耳を立ててしまったのだ。ウェインの声がどうしても聞きたくて、聞いてしまった。途切れ途切れの情報であり聞き間違いかもしれない、しかし心は騒がしくざわついていた。


「あいつ、ウェイン様じゃないの?」


寄りかかった壁に爪が立てられ、ガリガリガリッ、壁紙ごと木製の壁が一部深く削れてしまった。

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