〈7-2〉

「えーと、それじゃあ次で最後よね」


「誠さんの隣の、あなた。良ければ自己紹介を…簡単で大丈夫です」



もう終わったはずなのに、葵は何を言っているのだろう?

誠は不思議そうに眉をひそめると左隣へ顔を向ける。




「…蜂ノ瀬誠の母、蛍でございます」


全身が粟立ち、頭の中が真っ白になった。


――――は?


「え!まさかの~」


「親子!?」


周りはもちろんざわついた、どういう境遇でこのような場所に親子揃って馳せ参じたのかと。一方で狸寝入りの呉井は顔を持ち上げると誠の顔色を窺う、そこから何か違和感を感じ取ったようで隣の蛍へ訝しげに視線をずらした。


置いてきたはずの母の姿がそこにある、どうして。いつから紛れていた?


誠は狼狽えながらも蛍へ視線を移す、そこには禍々しさはない。穏やかに微笑したごく普通の40代女性、長い黒髪を後ろで一つに結い纏めてブラウンのベルテッドワンピースを着用し何事もなかったかの様に会釈していた。


保護者会じゃねえんだよ!

誠の心は吠えた。


背中がじわりと湿っていた、魂が恐怖に打ち震え汗をかいている。目を見開いて、その様子をただただ眺めていた。


どこまで逃げても追ってくるこのドス黒い執念はもはや呪いのように感じていて、どうして…どうして―――僕を、自由にしてくれない!この瞬間に誠の中でプッツリ、何かがついに切れてしまい長い長い溜息が吐き出されていく。


「また、僕を…殺しにでも来た?」


誠の中に残っていたはずの母への同情心、それは度重なる理不尽により干上がった川となり完全に消滅してしまった。言い放つ声には温もりはもう乗らず、まるで汚物でも見るかのような目つきをしている。


「包丁じゃもう芸がないよね…今度は金槌?毒殺かな」


饒舌に口早に、黙ったまま微笑みかけてくる不気味な蛍へ問いかける。一同は目を大きく見開き見守った、そしてオーバーリアクションガールなミクがそれについて悲鳴を上げると車内床にずり落ちて腰を抜かす。


「…こ、殺されたって…どういう事」

「て、いう冗談っしょ!ね、誠くん」


葵と司はしどろもどろ動揺しながら嘘であって欲しいと願う。

が、誠は虚ろな面持ちで2人へと笑いかけた。


「なにも違わない…事実なんです」


その途端、黙り込んでいた呉井がスッと腰を持ちあげ蛍の隣へドカッと足を投げ出して座る。誠と呉井で、蛍を挟むような形となった。


「なあ奥さん、あんたの息子が言っていることは本当なのか?」


彼は生前の職業柄もあり蛍の異常性を見抜いていた、探るようにしかし相手を刺激しないよう宥めるような口調で語りかける――この女無視か…まったく、クセぇ臭いしかしねぇよ。それに本当に親子なのか?


この問いかけには蛍は無反応で微動だにしない、誠しか見ていないのだ。周囲の人間がまるで空気のようにただその場を漂っている、とでも思ってるのかもしれない。


「まこと」


髪を撫でようかと手が伸ばされるがそれを誠が力強く叩き落とす、ゆるぎない拒絶。そのやり取りが幾度となく皆の前で繰り返される、我々は一体何を見守っているのであろうかという困惑混じりの緊張感に他の者達は支配され沈黙した。それに耐えかねたのは司で、恐る恐る声をかけた。


「ちょ、ちょっと落ち着こうよ」


「冷静ですよ、ずっと我慢してたんですから…ずっと」


これだけでは寧ろ足りないレベルだ。言葉を返しながら鬱陶しい手に対し振り下ろす手を止めないでいた、やがて蛍の手が赤く腫れ上がった頃そのやり取りもおさまる。痛がるそぶりもなく蛍は腕を静かにおろす。が、ほんの少しの隙を見出しスピアーの如く誠の胴を腕毎巻き込むと力強くホールドした。


「…っわぁ!」


咄嗟の奇行に誠は思わず悲鳴をあげた――ああ、怖い、気持ち悪い!そしてこのやり取りをもうこれ以上は見ていられない呉井がついに動き出す。


「おい!あんた何しようとしてるんだ!」


蛍に背後から掴みかかり引き剥がそうと奮闘するも、長身で体つきまでゴツい大の男の力でもそれは叶わなかった。そしてそこで呉井が見たものは人の顔ではなく、瞳を窪ませ空洞のような目をした異形の顔であった。


「 邪魔 」


「な」


たった一言で背広姿が宙へ浮かんだ。その異能は念動力のようで、そのまま何度も何度も床と天井を呉井がバウンドしていく。生肉を振り回し壁を叩くような鈍い音が車内に留まり続ける、そして状況をようやく理解した頃に残りの者達は直ぐさま阿鼻叫喚するのであった。


「 い、いやああああ っ」


葵とミクはそこから這いずって逃げようとしていて、司は声にならない声を発し座席から転がり落ちると顔面を強打した。一方吹っ切れたかのように思えた誠であるが、今度は圧倒的な力を目の当たりにし絶望していた。


誰も、助けてくれる者などいない。


体が小刻みに震え始めると過去の自分が再度手招きをしているかのようにも思えた。そろそろ飽きたのであろう、既に意識のない呉井は青やら紫やらの痣を作り出し白目を剥いたまま再度宙を舞い通路へ投げ出され仰向けで滑走すると操縦席へ続く扉へと激突して停止した。その向こうに続く操縦席には人など存在しない。


この電車は異世界へ向け、真っすぐにただ走り続けている。


「もう、もう…っ勘弁してくれよ」


「まこと」


「…うるさい!」


「まこと」


抗えぬ力に支配され動けないでいる体、かろうじて首だけは真横に何度も振りながら蛍の声をかき消そうとしたがそれでもハッキリと耳まで届いた。



「お父さんね、異世界にいるかもしれないの」


「 え 」



―――ブォンブォン!ブォオオン!



刹那響き渡る排気音、線路上を暴風纏いしバイクが疾走する。ルファ達がついに追いついたのだ、後続を捉えニヤリと風神は笑みを浮かべる。


「じゃ、とっておきをご馳走しねぇとなぁ」


右肩上位で風が掌に集まり圧縮される、徐々にそれは形成され最終的には空気100%の透明なロケットランチャーとなった。神は多彩だ、そしてその中でも風神は風さえあればどんなものでも生み出せる。ルファは振り落とされないように必死にしがみついている。発射筒にセットされたロケットの中には光の粒子が風と渦巻いている、そして…それがついに解き放たれた。


爆風と衝撃が電車後部で一気に爆ぜた、風が残骸を乗せ波のように左右にわかれ流れていく、これで大きな穴が車両のケツに空いた。風神がそこへ追い風を味方にそのまま飛び込む、ギュリギュリギュリッ前輪を浮かせ後輪が床と摩擦する。焼けるゴムの臭いがした。


「爆発したあ」「ひいいっ」


皆は驚き、床に伏せている。風神は煙を巻きながら勢いをなんとか殺し、静止する事に成功した。するとそれはもう一同の目の前であった。


「え?」


「リーゼントの人っ」


「たったすけてぇ神様ぁ」


重症者一名、軽傷者一名。ルファは風神の後ろから飛び降りると床に転がっている三人を立ち上がらせ、もっとそこから距離を取るように促す。完全に失神している呉井の元へ素早く駆け寄るとすぐに傷を癒し始めた。風神は腕時計を確認しながら思考する、この電車が到着するまで恐らく5分もない。タイムリミットは今から精々3分、その間に蛍の存在を完全に消し去るしかこの最悪の事態は回避できない。苦肉の策。風神は、真の鬼となる為の決意を強固なものにする。


車窓の景色がいつの間にか変わっていた、それは美しい景色等ではない。真っ白い空間には何もなく、さらに赤くて黒いヘビのような煙が車両全体に悍ましく巻き付いていた。鉄の掟が破られそうになっている今、まさに罰を与えようと異世界が牙をむいていた。


ゲームオーバーまで、あとわずか。

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