〈6-2〉
『おーい、おーいって』
「ああ、聞こえてるよ。今ゴキブリが出て」
空人はリビングに戻り椅子に座り直すと、平然と苦しい言い訳をした。どうせ戸締りの確認をしていたのだろうとしのぶはわかっていたが、茶化さずに話を続ける。
『女が、自分の両親襲った後にドスで息子ぶっ殺したらしい。本人は自ら首を裂いてそのままだってよ』
「うわ」
『また、その息子ってのが俺らと同じ歳でさ。なんか感情移入しちまって…名前出てたんだけど、あった。蜂ノ瀬 誠。狭い世間だし、昔どこかであってたりしてな』
しのぶは片手でスマホ、もう片方でノートパソコンのキーボードとマウスを操り事件記事についての詳細を確認していた。
「はちのせ…まこと…」
『どうした?』
「いや、なんでもない。さすがに眠くなってきた」
『りょ。じゃあ今から撮り貯めた美味い坊将軍観るから』
凄いタイトルの時代劇だ、しかし今ツッコミを入れるのはよそう。そのまま二人の通話は終了した。もうすぐ冬が来るというのにスマホを握る空人の手は汗で湿っている、何か嫌なものが背筋に悪寒を走らせた。
開かれたままの日記帳に視線を落とすと自然と手が伸びていて、めくりたいという衝動が抑えられないでいる。しかしページは泥のような何かが付着していてうまく開けない。しょうがないのでその次をめくった、日付が記入されていないようだ。ゆっくり内容を読み進めるうちに空人は戦慄するのであった。
年 月 日
―――――――――――――――――――――――――――――――――
今タクシーの中で書き留めています。
誠の情報を教えたがらない両親に今日天罰を下した。
父を縄で締め落とした後に母を拘束して拷問した、ペンチでゆびを一本ねじ切ったらすぐ白状してくれて無事住所もゲット!誠の勤め先に確認の連絡をいれたから間違いない。ついにつきとめた。警察が追ってきたら面倒なので、母をそのまま父と一緒に地下室に閉じ込める。父は死んだと思ったけどまだ生きてた、気絶してるだけ。でも体はすごく重い。
そんなことより誠に久々にあえるんだ、お化粧しよう。早くあの子を抱きしめたい。この日記を拾った方は警察に届けてください、私の苦しみを知る必要が彼らにはあるのだから。けっきょく清治が忘れられずに誠からも逃げられ感情がぐちゃぐちゃになってしまった、お前らのせいで。
今日、誰も邪魔できないところまで誠と逃げる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
少しの間、呼吸を忘れていた。全身から汗が噴き出すのがわかった。胸の動悸が収まらずただひたすらそれを凝視する空人は酷く後悔していた、今日に限って血迷ったのだ。何故拾って、持ち帰ってしまったのだろうと。
(これは、もしかしてさっきノブが言ってた事件の…)
空人は指先が変色している事にも気付く、それは錆のような赤褐色で手汗により日記帳から染み出したものであった。嗅いでみると鉄の臭いがした、革製のボルドー色カバーだった為に違和感がなかった。
やばいやばいやばい、遠慮なく触りまくって指紋ベタベタだし、今更警察に届けたら俺は何かの罪で捕まるんじゃないのか?洗面所で両手を泡立てながら鏡に映る無造作ショートヘアを眺めるが何も解決しなかった。ベランダに出て煙草を一服する、そして部屋に戻り逆立ちをしてみる。どうすれば良いか結局わからない。昼になったらしのぶに相談しよう、そうしよう。
しかしどのみち直ぐは眠れそうにない、徹夜を覚悟すると何やら押入れを漁りだし〈ソラト・ゲームズ〉と油性ペンで書かれた段ボールを引っ張り出す。その中に入っているのは最新ゲーム機とそれで遊ぶためのソフト。RPG、ホラー、格闘ゲーム、色んなジャンルが揃っている。
「久々にやりますかね」
昔からゲームで遊ぶのは好きだった、そんな空人は一旦これで現実逃避をすると決め込んだ。箱の中を物色していると何やら怪獣のデフォルメプリントを施した紙袋が一番底から顔を覗かせる。
(なんだっけこれ…実家の私物混ざったか?)
半分に折りたたまれ色も褪せてしまっていて、一体いつのものなのか。手に取ると軽い、中を調べると年代物のゲームソフトが出てきた。今家にあるハードでは遊べそうにない。
「おお!こ、これドラクエやん!!」
テンションがぶち上がり思わず声が大きくなってしまう、小学生の頃に勉強をストライキするほどやりこんだゲーム〈ドラゴンクエスト〉。現在もシリーズ化され続けている大人気の老舗タイトルだ。もはやファンタジーの神ではなかろうかと空人は脳内で豪語するほど脳を焼かれていた。そして紙袋の中でそれとは別の何かが指先に触れる。
「なんだ、画用紙?」
四つに折りたたまれていた。その場で胡坐をかいて広げると子供が色鉛筆で描いた拙い絵が露わになる、多分だがこれは勇者とその相棒の賢者だ。だが空人に描いた記憶は一切なかった、そもそも絵心がまったくないものだから首を傾げて暫く眺めた。するとキャラクターの下にひらがなで文字が書かれていることに気付く。
―――――ゆうしゃまこと けんじゃそらと
「あ」
その裏側には【ゲームかしてくれてありがとう】とも書いてある。
瞬間、小学生の夏が駆け抜ける。この絵を描いてくれた人物の事を思い出していく、夏休みの最後にケンカ別れしてそのままになってしまった事も。俺は、小学生の頃…蜂ノ瀬 誠とは同級生で―――。背中から畳に倒れこむと、改めて旧友の死を知ったという事実に体が脱力していく。頭の中はただ混乱しており、ひたすら友である人物との記憶が脳内を交錯した。
蛍の日記を拾ったのがなぜ偶然にも空人だったのか。
何故こんなにも引き込まれるように読んでしまったのか。
――――いつかこんな世界を一緒に。
でも、その時は僕が勇者だ――――
約束。
あれは子供同士のただの約束だったはずで、それがいつの間にか深い因果を結ぶと少しずつ、空人を手繰り寄せているという事に気付くのはまだずっと先の話。
放心状態で転がったまま、いつのまにか朝を迎えていた。空人は飛び起き、日記帳と車のキーを持ち出すとアパートの階段をかけ降り駐車場へと向かった。
近場の港まで車を走らせると辺りはまだ薄暗い、エンジンを切り誰もいない事を静かに確認した。途端に車から飛び出し勢いをつけてダッシュする。そして右手に持った日記帳を振りかぶると海に向かって剛速球をイメージしながら投げ込んだ、それは狂気の沙汰を記すページをチラつかせながら回転し最後は張り付くように着水した。水面に遊ばれながら波に飲み込まれ消えていく姿をただ見守る、これは不法投棄であり立派な隠蔽かもしれない。
「…バッカじゃねえの」
しかしそんな常識さえ考えられないほどに心が乱されていた、これを届けたところで悲劇の上書きはもうできない。被害者も犯人も、死んでしまっているのだから。
それに人目に触れれば、メディアは面白おかしく報じるだろう。挙げ句に、元友人として引っ張り出されインタビューに応える空人。吐き気がした。自分自身にも。友人より、その母親からの「嫌われてる」を真に受けてしまった事にも。信じてしまったというより、その頃はまだ愚直な子供だった。仲の良い友達が本当は自分を拒絶していたのだと知りショックで悲しくなったからだ。
俺がもしゲームじゃなくて推理小説が大好きな子供だったら、あの時あの母親を怪しんで、誠を助け出して…この未来は変えられたのだろうか。
いや、小学生の子供が一人騒いだところで難しい。きっと人の家に首を突っ込むんじゃないと怒られて終わるかもしれない。
どうしようもない情けなさに空人の目から涙が溢れた、あの時の記憶がまるで昨日の出来事かのようにいつの間にか大人になってしまっていた自身の心に強く揺さぶりをかけていた―――。
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