〈5-2〉
パンパンッ
「はいはーい!」
不意に頭上で打ち鳴らされる柏手、空を仰いだままでいると黒ずくめの駅員が仁王立ちで覗き込んできた。顔はよく見えないままだ、声や見た目はサイズ通り幼い。小さな子供が一生懸命虚勢を張っているような雰囲気が漂う。
「お兄さん悪いんだけど、早く改札まできてくんないかな」
しまった、待たせていたんだった。
なんだか魂だけになってから誠は、普段より頭がぼんやりしていた。そして溜息まじりのルファに体を強制的に起こされると立ち上がった。
「すみません、ゆっくりし過ぎちゃって」
「変なとこで寝ないでよ、バッチぃじゃん」
チッ。強めの舌打ちが聞こえた。
改札まで駅員は背中をつついて急かしながら、神経質に粘着クリーナーを誠の全身にコロコロ這わすからくすぐったい。身を捩る。
「そこ。貰ったでしょ切符」
「はいっ」
切符を取り出して自動改札機の中に吸わせると仕切り扉が観音式に開く、何の変哲も無いこの光景に誠はノスタルジーを感じながらも背後に迫る圧に負け足早でゲートを通り抜けた。
「て、あの…切符出てこないですけど」
「あれはこの改札にだけ必要なもの、使い捨ての永久滞在証明みたいな」
だから、と駅員は言葉を続けた。
「これでもうお兄さんはあっち側の人間、二度と帰れない」
言い方が怖い。しかし、既に肉体を失っているわけで―――。
もう現世で自身の死を悼む人間も祖父母ぐらいだろう。しかし、二人とも高齢だから会いに来ない孫の顔なんて忘れてしまってるかもしれない。最後まで迷惑かけちゃったな、ごめんなさい、有り難う。そんな届くかどうかわからない感謝の想いを、誠は静かに胸へしまった。
後ろを振り返るとルファが一人、改札の向こう側でこちらを眺めている。
「ルファ…元気で、ふうちゃんにも宜しく。食事する機会がもしあれば今度は僕が二人におごります」
また会えるかなんて定かではないが、もし可能であるならそうであって欲しい。誠から言われた言葉に、ルファは目を細めた。なんだか猫みたいで、あれはおそらく笑っているんだろう。
『えー…ゴホンッ!それではお待たせしました最終便、異世界行きの電車が発車致します。お乗り間違えのないように、また二度と帰れませんのでご注意下さい』
駅員の声がスピーカーを通したように鼓膜へ反響する、景色が一度グニャリと歪んだ気がして瞬きをした。
「あれ―――。」
呆気にとられる、誠はもう電車の中だった。
ザワッ
座席には見知らぬ男女4人の姿があり、それぞれ警戒するように突然現れたであろう誠を注視している。車窓からは見事なグラデーションの夕焼けが車内にこぼれていた、この人達は誰だろう。彼らもまた僕と同じ世界から?
雰囲気は誠と同じで、みんな日本人のようだった。
異世界だなんてファンタジーな展開に見舞われた皆は不安でいっぱい、こうしてガタンゴトンと心地よい車体の振動で時折体を揺らされながら見知らぬ世界へと運ばれるのであった。
―――その頃ファミレスでは
風神はリーゼントを整え荒れ果てた店内の清掃に励んでいる、鬼神MODEも解除されていた。風のオーブを器用に使い、瓦礫や割れた食器を床から回収する。オーブに吸い込まれた残骸は高速で回転する風の刃に粉砕され塵となり、一杯になればそれは広げてあるゴミ袋にきれいに納められていく。そしてまた吸いこんでは刻んでが自動化されている、超ハイスペックな浮遊型ルンバとでもいうべきか。
「やれやれだなあ。はあ…これ気に入ってたのに」
ポチ、ポチ。ボタンをゴツい指で押しながら今はもう機能しないドリンクバーに虚しい独り言を吐き出した。それから「そういや」と、思い出したかのように通路沿いへ向かう。放置したままの大きなオーブの前、そこには蛍が変わらぬ様子で内部で発生した気流に煽られ未だに回転を続けていた。
「お前さんの境遇に対しては可哀そうとしかいいようがねぇ…だが、息子の命まで奪っちまうのは大きな間違いだった。だろ?」
風神が抱いていたのは哀れみの念、何故なら彼は理由を知っている。
誠の、蜂ノ瀬家崩壊の本当の理由を。それにしてもオーブの中身は何も語らない、呻きもしない、そして気付いても既に遅い事実に気付いた頃に風神は慌てて指をパチンと打ち鳴らす。
ドサッ
解除されたオーブは消えると無機質な中身を床にぶちまけた、長い手足はもみくちゃに絡まったまま髪の毛も所々ダマになっている。長時間の風流効果により妙な液体も完全に乾ききっていた。ス、と屈んで顔を近づけてみる。そして風神の鋭い目が大きく開ききった。
「お前、中身どこ行った?」
視界に捉えたのは、厚手の皮を脱ぎ捨てたかのような―――。
命のこもっていない抜け殻であった。
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