〈9-2〉

―――――同時刻、異世界の手前。何故か倒壊しているファミレス、そしてその正面に〈黒稲妻〉と墨字で書かれた大きな赤提灯に明かりを灯したBARのような建物。ハックショイ!と巨大なクシャミが屋内から聞こえた。


「なんじゃ…風邪か?風神のクセに、間抜けめ」


天井には煌びやかなミラーボール、その下に5人がけの大理石のカウンターがあった。


見目麗しい女性が声をかける、大きな胸の谷間を大胆にさらけ出した白いドレスを着ているのは水神だ。その右には諸事情で散々暴れたまわったのであろう風神が突っ伏すように腰掛けている、水神は頭の高い位置で纏めた白銀の長いポニーテールを星屑のように煌めかせ、カウンターに寄りかかりながらその情けない面を拝んだ。


「…俺が悪いんだ、全部さ。異世界に関わって、くそやろうに罵倒されて、こんな情けなくって、追いかける事すら出来ねんだわ。ルファも、バイクも取られた。俺は屑だ。もうそよ風すら吹かせねえ」


風神は相当酔っ払っていた。グシャグシャになったままの緑の髪には、お子様ランチの旗が刺さっていた。水神が冷ややかな目をしてそれを摘まみ上げる。カウンターの奥から大柄なマッチョ属性のバーテンダーが現れた、金髪ツーブロックの短髪、瞳は暗雲のように黒く中で時折稲妻が走っている。そんな強面が制服を着こなし気の知れた客人をもてなしている最中であった。


「兄貴、あまり自分を責めるもんじゃねえ。皆で冷静に考えようや…それにもう飲み過ぎだ」


「雷神…」


このマッチョは雷神、頷くと床に大量に並べられた酒瓶にチラリと視線を寄越した。それからカウンター上に水の入ったグラスを滑らせる。カランと氷が中で踊った。


「…ぐっ…おめっおめえっマジでいいやつだぁ」


顔を伏せたままひたすら鼻を啜っている最中さなか、有線のジャズは素知らぬ顔で流れ続けた。すると、風神の右隣からスーッと大理石を滑るティッシュの箱がやってくる。


「それ、俺からです」


「いつからそこに…珍しい奴が来たものじゃ」


水神が透けるような青い瞳を見開く、穏やかなその男性の声のする方を注視する。風神がそれに反応し素早く顔を上げた、目が腫れて涙と鼻水でグチャグチャだった。ティッシュ箱から乱暴に何枚も引っ張りだすと豪快に鼻をかみ、グラスの水を一気に飲み干してからがんくれる。


「ヘルメス、何しに来やがった…異世界に振り回されてる俺を笑いにでもきたんかよ」


「まあまあ、そんな怒らないで。酒の席じゃない、ね?楽しく過ごそう」


ヘルメスは麦わらのカンカン帽と群青色の浴衣に白い帯を締めていた、足元は裸足である。控えめに手を上げながらソルティードックを注文している。


「なんじゃその格好」


怪訝そうに水神がツッコむ。


「ここにいる神ってなんとなく和じゃない、だから合わせたんだよ。人間で言うTPOってやつ。でもその必要なかったかな」


キャバ嬢、特攻服、マッチョバーテンダー。


ヘルメスは三人を一瞥すると備え付けの丸い回転椅子でくるっと一周してみせた、賢い神ではあるがかなりの曲者だ。異世界椅子取りゲームも最終的に彼が焚き付けた、なのに本人は参加するようにみせて結局不参加だったのだから。底の知れない緑がかったヘーゼルの瞳が笑うと一層細くなり、それから到着した白い粒でザラついたグラスのふちを舐める。うん、しょっぱい。


「それよりも、天使ちゃん…大丈夫かなあ?異世界は彼女にとって過酷だから」


風神がハッとする、そして枯れかけたはずの涙が溢れ出すとまた決壊した。もう無限ループだった。


「る…ルファ!可哀想にっ俺がふがいねえからっ…まだあいつは小さい子供みてえなもんなんだよぉっあのクソ勇者まじで許さねえっ…でも俺が、俺が一番罪ぶけぇっうっおえ」


泣きすぎて嗚咽が漏れた。雷神が無言で再度グラスに冷水を注ぐ。水神は溜息をついた。


「ヘルメスよ、あまりからかうな。はぁ…鬱陶しい泣き上戸じゃのお、なんなんじゃこいつ。お、そうじゃった。」


水神は思い出したかのように後ろを振り向く。


「リエル、いつまでそんなとこで腐っておるのだ。ほれ、風神のやつを見てみろ。アホじゃ。もう怒る元気等ない、だからこっちへきなさい」


水神は微笑むと左の空いている席を叩いてみせた、肩を震わすリエル。もう駅員の格好はしていなかった。BARの片隅に立っていたのはフリルギャザーの白いワンピースを着た人間の女の子だった、ギュッ、と底の高いサンダルが内股に鳴る。


「…風神っ…全然話聞いてくれなかった。ボクにすっごいキレながら自分でファミレス壊してて、すごい怖かったっ。ごめんなさいって何度も言ったのにっ」


水神は両腕を開いて迎えた、泣き出すリエルをたわわな乳で受け止め、そして椅子ではなく膝に座らせた。サラサラの肩まで伸びた薄い桜色の髪を、リエルはぐりぐり押し付ける。


「可哀想に…お前が異世界を恨んでいるのは皆知っておる、しかしあれは我々の油断でもあった。一体、駅で何があった?」


「記憶が曖昧なんだけど…あの時、すごいイライラしてて。ルファ達が遅かったからとかじゃないんだ、とにかく、昔の事を思い出してたら急にもう全部、異世界も何もかも滅茶苦茶になればいいって」


「…らしくないな」


水神が訝しげに声にした、普段のリエルを知っているからこそその言動から歯に引っかかるモヤモヤとした感情が芽生える。

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