第9話 始まりの朝、元勇者はそこに佇む

異世界に辿り着いた蜂ノ瀬誠、しかしこれははたして転生なのだろうか。


彼は突然、吸血鬼のウェイン・ギャラガー少年になっていた。人間と吸血鬼のハーフである父のサイラス、そして吸血鬼の母シャーロット。執事のシノノメから得た情報を基に、一体この新たな環境でどのように順応し生きていくのか。


そして朝が来た、始まりの朝。


霜が降りて草花が凍える寒く白い朝。屋敷の周辺には小川が流れ、木々のアーチの下には舗装された砂利道、敷地に近付くにつれ高さが整っていく芝。草木生い茂る森の中に突然現れた黒い屋根の大きな洋館が、ギャラガー達の住処。窓の数が極端に少なく、二階建てで外壁にはツタが這っている。その左右には影を作るように育ちきった巨木が2本生えていた。


誠はまだベッドの中だ、そこはもちろんウェインの自室。

結局良く眠れずに明け方に寝落ちたがそれは浅い眠りで、目覚めた頃には何者かにより体が拘束され起き上がれないという事態が発生していたのであった。


「あの、そろそろ起きたいので、離れていただいて…」


両目をきつく閉じたまま訴える、しかし眠いわけではない、つまり彼的に見てはマズいものがそこに、正面にあるという事だ。


「ウェインは…ベロニカの事嫌い?」


「す…好きとか、嫌いとかじゃなくて…どうして服着てないんですか!」


ギャラガー家の使用人、メイドのベロニカである。何故か下着だけ上下着用したほぼ裸で、気付いたら隣で寝ていたのだ。色は黒だった。どうやって侵入したのかは全くわからない。程良い肉付きの足が自身より遙かに小さいウェインを挟み、完全にホールドしていたのだ。パジャマ越しから生々しい温もりが伝わってくる。


「それは私とウェインにとっては愚問でしかないの…酷い、なんなんの。毎朝〈給仕〉に来るように言ってたのはウェインなんだよ!なのにいきなり1年もほったらかしにするし…記憶がないからって冷たくしないでぇ!」


「へ!?」


「あ、やったあ。ふふ。目が合っちゃった」


ベロニカの衝撃的な発言に瞼が開かれてしまう、このウェインという男はあどけない容姿をしながらなんて罪深い破廉恥野郎なのか。ベロニカの熱い視線にとらわれる、年齢は正確には読めないしわざわざ聞くことじゃない、体は大人だが目は丸っこくてどこか幼い、嬉しそうにはにかんで顔を寄せてきた。とりあえず可愛い。


「ごめんなさい、本当によく覚えて無くて」


やるだけやって記憶にない、そんな遊び人御用達のセリフを吐きながら頬を染める。ピュアになってしまったウェインは視線を泳がすしかできない、なんとか逃げようと下へ動こうとすると今度はベロニカの胸の谷間に顔が挟まる。


「わぁ」


「ほらぁこんなに密着しちゃって…朝からこんな風に…ああっベロニカは、もう!」


違う、そうじゃない!という思いで藻掻いた誠の抗いにより、ベロニカのあらぬ割れ目に足が滑り込んだ。不可抗力。歓喜するベロニカ、しかし、残念ながらそれはここまでの展開である。天の助けとはまさにこの事なのか、その瞬間自室の扉が勢い良く開かれた。薄暗い部屋に光が差し込み、そしてユラ、と少年が寝るには広すぎるキングサイズのベッドに影が伸びてくる。


「ベロニカ」


シノノメだった、現在の時刻は朝7時。

塵一つ許さない執事のスーツに七三もバッチリきめて、背を伸ばし姿勢よく佇むも眼鏡を支える指先はわなわなと小刻みに震えていた。


「…テメェ、坊ちゃんに何してんだコラァ!!朝からみっともねぇ格好してんじゃねえ!」


昨晩の、物腰柔らかい執事が発したとは思えない。任侠顔負けの怒声がビリビリ頭上で響いている、そして誠とベロニカを包んでいたシーツを思いっきり引き剥がす。まだ離れないでいるベロニカの体たらく、その光景に額に青筋を浮かすとボルテージはさらに勢いを増していく。


「いやぁ!この変態親父がいやらしい目で私を慰み者にぃ」


ベロニカはさらに誠を腕で抱き込んだ、少年ボディはそのまま柔らかな慈悲深き谷間に顔を埋めていく。しかしそれにより、呼吸と視界が塞がれてしまった。


「えっ…ぐっるしっ」


「 貴様ァァ べェロォニカァ 」


もう物理的に爆発してしまうのでは、と思うほど執事は激怒した。シノノメの背後に何か紫を帯びたオーラのようなものが、まるで蜃気楼のように揺れ動いている。それにも驚いたが、誠はもうタジタジであった。事情は色々と察する事が出来たが、ベロニカのこれはもう暴走。そして直後、バチンと2人の間で何かが弾けた。


「ぷは…っれ」


あれだけ離れなかったベロニカの体が、いつのまにかベッドの下に落ちている。誠は自由になった身体を急いで起こした、激怒していたはずのシノノメは涼しい顔をしてこちらを見据えている。落下したベロニカは無表情で立ち上がるとシノノメの真正面にたちふさがった。身長はあまり変わらない。


「さあこれを羽織って、早く着替えなさい」


剥ぎ取ったシーツが投げつけられ、それをベロニカが瞬きもせず眼前でキャッチした。


「…クソジジイ、昨日含めてタイミング良すぎだろ。密かに興奮してマスかいてんじゃねえぞコラッ」


一触即発、殺すと言わんばかりのベロニカの眼光と口の悪さが炸裂している。どうしたんだ二人とも!誠は使用人達の豹変に眩暈を覚えた。シノノメは呆れたかのように、大きな溜息を吐いた。


「はあ。そうですかぁ…では、そんなにヤル気に満ちあふれた貴女に屋敷全体3日分の洗濯物を頼みましょう。必ず1人で。では朝食を済ませたらすぐにとりかかりなさい」


内容とは裏腹にとても穏やかな宣告であった。そして、隙を与えぬ追撃。


「わかったら、早くしねえかこのアマ」


ドスの効いた声、それと同時にまた何かが空間でバチンと鳴る。ベロニカの体が今度は扉の外へとスッ転ぶ様子が窺えた。シノノメが直ぐに足蹴りで扉を閉める、訪れた静寂。部屋の外では悔しげに走り去っていく奇声だけが聞こえた。それから、ベッドの上で呆然としている誠にゆっくりと歩み寄り頭を下げた。


「ノックもせずに申し訳ありません」


「い、いえ、そんな。むしろ助かりました…ビックリしてしまって」


ですよね、と言うように苦笑いが返された。そして着替えが用意される、誠は昨晩のようにまた質問を始めた。


「さっきのは魔法ですか?」


ベロニカを追い出した事について。


「少し違います…私は元々こちらの世界の住人ではないので魔法は使えません。自身もあまり理解していないのですが、授かり物とでも言いましょうか。この世界からの」


名前の響きからなんとなく親近感はあった、そしてその予感は的中していた。手渡された暗いブラウンのサテンシャツ、革のサスペンダー、シルエットのわかりやすい黒いボトムス、厚手の靴下、パンプス。それぞれを椅子に腰を据えて着替えていく。シノノメはさらに何か伝えたそうだった。


「もし寒くないのでしたら、窓を開けてもよろしいですか?」


「ええ、どうぞ」


ウェインの、この体は寒さに強く感じた。靴を履いてる途中にシノノメから声をかけられ頷く。しかしその場から動かない、右腕を肩まで上げると細くやや長い指先が標的を捉える。するとアーチ型の両開き窓が内側から何かに押されたようにパカッと開いた、部屋に冷たい風が吹き込んでくる、それはシノノメの体にじゃれつくように纏わり付いた。


「え、それ」


「能力とは別に、これは私をこの世界に連れ去った神様からの加護です」


誠はなんだか嬉しくなった、だってそれは――――。

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