第14話 俺は、ウェインだ
もう昼が近かった、充実感が勝っていた為か食欲が湧かず自室に戻る事にした。この左手に持ったA4サイズの筒状に丸めた地図を早く確認しようと思っているのだ、しかしまたもや唐突に視界が覆われる。今度は手ではなかった。
――――バサッ
「だーれだ」
「…ベロニカ」
間を置いて返答した、花のような柔軟剤の香りがした。気配を微塵も感じさせない不意打ちだったため、気付いた時にはベロニカのスカートの中にもう包まれていた。彼女は足を交差させると誠の胴を挟み込み、腰付近から垂れ下がる黒いフリルのガーターベルト、それに引っ張られる同色のニーハイソックスが逃がすまいと少しずつ力を込めてきた。
「や、やめて、苦しいから」
「お仕置き、今朝の」
誠から顔は見えないが、悪戯っぽく笑っているのが安易に想像できる。行かせまいとする両足を外側から両腕で抱き込むと、その内側に掌を滑りこませた。あくまで、脱出するために開脚させようと。ベロニカは触れられた事に身震いし、そして小さく声を漏らす。だめだ、正直こんな風に何度も来られたら健全であろうとするのにも限度がある。誠は目を閉ざして葛藤していた。
「ウェイン…ふふっ、くすぐったい」
「…かんべんして」
締め付けられているというよりしっとりとしていて柔らかい、後頭部あたりから湿度を感じるようなそうでないような。そういえば風神の前で宣言した。恋愛も出来たらしたいなって、しかし初めてのそれがこんな寝取るみたいな形になるなんて絶対嫌だった。誠は理性が強い分かなり拗らせている、でもしょうがない。それが、誠だ。何もかも投げ出せる性分であるなら、生前はそこまで苦労しなかったかもしれない。
「ウェインと一緒に星が見たい」
その言葉に表情が強張る、タイミング良く片付けに来たとは思っていたが、ずっと聞かれていたのだ。持っていた地図は丸みを残したまま広がり、床で楽しげに揺れている。そして、途端に挟んでいる脚力が弱まった。誠は目の前のスカートを内側から捲り上げると、転がり出すようにそこから前のめりにずっこけた。
「ねえ、連れてってよ」
倒れ込んだまま、体をよじって見上げる。ベロニカは微笑んでいた、怒っている様子はもうない。潤んだ瞳はキラキラと光りを帯びて期待しているかのようだ。
「約束したでしょ?遊びに行こうって」
たしかに、した。誠は静かに頷く。ベロニカは地図を拾い上げるとそれを眺めた、そこに人差し指を押し当てながら。
「ここ知ってる場所」
「そうなの?」
「ウェインは本当に、何も覚えてないんだ」
「…ごめん」
気まずくなり、目を伏せた。
「今晩いこうよ」
「ええ?約束はしたけど…それは今日したばかりのっ」
口走る言葉が遮られる、唇が塞がっていた、体格の差もあり簡単に押し倒されるようにキスをされていた。滑らかにそれは離れていき、互いの吐息が溶け合う。誠は呆然とし、一方ベロニカはいたって真面目な面持ちであった。
「ふたりの約束はね、一度だけじゃ終わらないんだ」
素っ気ない声で、だけど重く聞こえた。体温が上昇し、そのうち耳まで赤くなるだろう。ベロニカはよくわからない。発情した大型犬のように絡んで来るかと思えば、今回は落ち着き払った大人のように静かに押し迫ってくる。暫く見つめ合う、またこの瞳にとらわれてしまった。そしてベロニカの方が先に立ち上がり、長いスカートの皺を伸ばすように何度か叩いて笑みを浮かべる。
「それではウェイン様、今晩迎えに行きますね」
言い放たれ、取り付くしまもなかった。もう返答はイエスしか許されないのだ、そんな彼女は早々と廊下の向こうへ駈けて行ってしまった。
「…困るってそれは」
溜息と独り言が虚しくその場に落っこちた。地図が真横に転がっていた、誠はそれをクシャッと鷲掴むとよろよろ体を起き上がらせた。二階の自室に戻ると、ベットメイキング含め綺麗に掃除されていた。それから書斎机から椅子を引っ張りだし座り、地図を広げる。これはサイラスの手書きのようで、わかりやすくその場所のモチーフだと思われるイラストも小さく描かれていた。几帳面だ、屋敷の位置と丘の位置にバツで印をつけられている。
たしかにここからはそう遠くない。屋敷から森を突っ切ると、大きな湖がある。丘はその先にあるようだ、充分歩いても行けそうだ。眺めていると控えめなノックが正面の扉から聞こえた。
「はい」
返事をする。扉の向こうから人の気配がした、1人ではない、複数人だ。部屋に入って来たのはソレィユと、遠くから姿だけ見かけたことのある他2名の使用人であった。
「ウェイン様、突然押し掛けてしまい申し訳ありません」
ソレィユが棒読みで口を開くと頭を下げた。それに続いて、ラウンド型眼鏡をかけたトップで大きな団子を作った赤髪メイドが頭を下げる。身長はソレィユよりは頭二つ分高く、この場にはいないベロニカよりは高くない。細身で、少し神経質そうだった。
そしてもう一人、この屋敷内で一番の大男ではなかろうか。身長は巨猫レオシャーネと同じぐらいあった、オレンジの頭髪は肩に掛かるぐらいのクセ毛で所々跳ね、若干垂れ目ガチのグリーンの瞳はなんだか立ち並ぶ小さいソレィユと雰囲気がそっくりだ。
誠は突然の訪問に椅子に座ったまま固まってしまった。そして我に返ると平然を装う、黄金の瞳でキリリと凛々しさを保ちながら声をかける。
「…やあ、何かあったの?」
すると赤髪のメイドが口を開き、切り揃えた前髪下の眼鏡の奥に切れ長いチェスナットブラウンの瞳をのぞかせた。
「ウェイン様、本日は挨拶に参りました。改めまして、私はアレニエと申します」
深々と頭が下げられる、続いて大柄の男が大きな声で後に続いた。執事ではなさそうだった、白いYシャツに動きやすそうな黒いサルエルパンツ、それにサスペンダーをひっかけ革のブーツを履いていた。
「ウェイン様ぁ久しぶりだな!俺はリュミエル!この屋敷の力仕事担当で、猟に出たりもするぜ。顔見せがだいぶ遅れちまったが、妹ともどもこれからもよろしくな!」
彼は陽気に片手を上げてみせ、腹に響く素晴らしい声量を披露した。とても快活な男だ。妹とはやはりソレィユの事であった。右から、アレニエ、リュミエル、ソレィユという順で並んで、その正面の書斎机で寛ぐウェインという図となる。
ソレィユは頭上のホワイトブリムごと、髪の毛をグシャグシャとリュミエルから撫で回されていた。しかし彼女は何故か誠を睨み付けている。ひとまず全員、見た目は10代から20代に見える。よくわからないが、と付け足しておく。
「使用人はシノノメ、ベロニカを含めこれで全員になります」
アレニエが表情を変えずにそう伝える。
「そうなんだ…話せて嬉しいよ。その、避けられてるのかと思っちゃって」
冷や汗をかいて笑みを浮かべる主の様子に、3人は顔を見合わせる。リュミエルが落ち着いた様子で話を始めた。
「いや、そういうわけじゃないんだ。ただ、この屋敷に置いてもらってる俺らは皆ワケアリで…気難しくって警戒しちまったのさ。あんたが本当はウェイン様じゃない、誰かもわかんねぇやべぇ奴かもってな」
誠の地図両端を掴む掌が汗ばみ、紙素材が少しふやける。
「私はまだ信用してないから」
ソレィユが口を挟み込む。リュミエルが大きな手で、自分の半分もない背丈のツインハーフを再度撫で回す、もう髪も何もかもグチャグチャであった。アレニエはそれを冷ややかに横目でただ見ている。
「おにいっやめてよ!」
「こいつがその中でも一番気難しくてなあ、ウェイン様の事大好き過ぎんだよ。聞き流してやってくれ」
「ちちちッ違うからぁ!変な事言わないでっ」
ソレィユは顔を真っ赤にして慌てている、リュミエルは大きく笑って鋭い犬歯を見せてきた。誠は愛想笑いで誤魔化す、背中にもじんわり汗もかきはじめる。その後は案外和やかで、さっき大きな鹿を仕留めたやら今晩は美味い肉料理だ!等を聞かされながら15分ぐらいで3人は早々と部屋から退散した。
室内はようやく静寂に包まれる、椅子から速やかに腰を上げると洗面台へ直行した。蛇口を回し冷水で勢いよく顔を洗う、水も飲んだ、喉はカラカラだった。
「…はぁっ良かった、何事もなくて」
真横の棚に畳まれた清潔なタオルで顔をふき、そして壁に埋め込まれた丸い鏡は今にも泣き出しそうな弱々しいウェインを映し出す。
「ごめん、こんな顔して」
なんとなく言葉をかけた、睫が長い、怖いほど整った顔立ちは人形のようにも思えた。
「―――あれ?」
鏡を見つめていると頭が鉛のように重くなった、フラつく、膝の力が抜け崩れ落ちる。肉体がドッという鈍い音をたて床に叩きつけられた。そんな不格好なうつ伏せとなり、誠は突然気を失ってしまった。そしてそのまま、夢見心地でいびきをかき始める。
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