第4話 ふぁっきんうぇるかむまざー

不穏な空気が張り詰め、そして―――。


「…マコトォ!!」


名前を呼んだのは支配人、ルファ、どちらでもない。

誠の全身が粟立った、時間が止まったかのような直後にあのなつかしい絶望が押し寄せてくる。


「なんで」


ズン、と手放したばかりであるはずの心の枷が取り付けられるような感覚に支配される。嘘だろ、また再会するなんて。


「 母さん 」


ようやく声を絞り出した。


「ああ…マコちゃ、あ、やとやっとやっとミツみつケタァああアアアァァ」


母さん、なんて誠はもう二度と口にする必要等ないと思っていた。

常軌を逸する執着、そしてよく見知った母親の姿からはかけ離れてしまっていたそれに対する動揺が誠の冷静さを欠いていく。


蛍は心中するつもりで誠を殺し、そして憑いてきていた。


墨汁風呂にでも浸かったかのように真っ黒に湿りきった全身は生臭く、長い髪から滴るその液体は絨毯やタイルを歩きながら汚している。焦点の定まらぬ濁った眼球はぷくっと表面から飛び出し左右にチグハグ動作する、手足が同じぐらいの長さで伸びきっている為引きずっていたのは蛍の手の平だった。


縦に開ききった大きな底の見えない口からヒュー…ヒューと風鳴りが聞こえ、もはや母でも人でもない―――化け物だ。嫌な汗がぶわっと額を濡らした。


「 行け! 」

「 走ります! 」


二人の声に弾かれた誠は厨房へ駆けていた、身軽なルファはすぐ真横をすり抜け前に躍り出て先導する。その刹那、湿った長い腕がしなりながら曲がり角をもの凄いスピードで塞いだ。伸縮自在のようだ、衝撃で付着物が壁や床にビチャビチャと振り落とされる。


ルファが付近のテーブルクロスを勢いよく引き抜く、それは放り投げられ遮るように宙を舞った、散った液体が付着しまばらに黒い斑点を作るがいつの間にか穴に変わっていく。つまりこれは酸、浴びたらまずい。


誠は目の前の小さな体に激突するのを重心を後ろに移動させどうにか踏みとどまる、簡単には行かせてくれないようだ。足を止めたルファが向き直り目を細める、その表情は固定されているかのように変化がない――しかし誠には微笑んでいるようにみえた。それから不安気な様子を宥めるように、こう言った。


「…大丈夫ですよ。ね、支配人」


―――ドッパァンッ


地響きと衝撃音、それと同時に妨害された脱出経路がひらけた。テーブル、ソファー、ドリンクバー、食器、それらを図体で巻き込みながら異形の蛍は後ろ向きに吹き飛んでいく。粉塵が店内で舞い上がった、黒い塊はトイレの扉を突き破る。崩れた便器が噴水のように荒れている、蛍は沈黙し木片や壁の残骸に埋もれてしまった。しかし、サービスだと言わんばかりに追加注文のソファーや椅子がミサイルのように勢いよく飛び込んで徹底的に押し潰す様に混ざり合う。


風神が啖呵を切った。


「あったりめぇよ!なんたって俺は泣く子も黙る風神様だからなぁ!」


誠が振り返るとそこには、二回りも大きくなった支配人がいた。

肉眼で見えているアレはなんだろう、周囲を発光したボーリング玉サイズのオーブが惑星のように複数浮遊し周回している。よく目をこらすと中には風の渦が見えた、まるで台風の目のようだ。時折疾風がファミレス内をかき回す。発生源は確実にあれ―――…というか、ふうじんって、風神?


その光景に、誠は足を止めていた。風神は全体的に大きなシルエットを揺らしこちらを振り返る。あの特攻服はストレッチ生地だったのか、破けたりすることはなくしっかりフィットしている。そんな場違いな感嘆をしてしまう誠の思考はまとまらない。混乱していた。


「にしても愛されすぎるっつうのもツレェなマコち!母ちゃんは俺に任せとけ、お前はこれから本当の独り立ちをして、自由になるんだからよ」


力の解放により原型を失ったリーゼント、肩までの長さをバサッと振り乱しながら明るく笑いかけてきた。白く尖った牙、長い角も頭に二本生えている。鬼だ。でも中身は陽気なふうちゃんである、だからなのか誠は不思議と恐怖を感じない。


「か、神様でしたか…」


「ガッハッハッ!かしこまんなよ。今はこんな場所で魂を導く毎日でな…昔ほど荒ぶったりもしなくなったんだわ」


「そうなんですか?」


「ああ、ちなみに俺以外の神も皆こんな感じよ。お前ら人間が自分達で問題を解決できるようになってからは暇してるんだわ」


寂しそうに顎をさすりながら風神は遠くを見つめた、神様も色々と大変そうだと誠は頷く。


「お二人とも、お喋りはまた今度」


警戒するようルファが会話を遮った、風神は深いため息をついて背筋を伸ばす。


「…しょうがねぇな」


トイレで積み重なった残骸が崩れて転がり、また化け物の咆哮が木霊する。


「 ヴァアアアァァァヴォォドオオォォォ!!!! 」


血走らせた眼球をギョロつかせた黒い化け物は、弾丸の如く瓦礫から飛び出す。誠を狙って、突撃を目論んでいる―――…が。けっしてそれは叶わない、浮遊していた風のオーブ達が素早く化け物を取り囲むと全てが磁石のように中心へと引かれ合い一つの大きな球体となった。


「風の檻」


風神は独白した、中では複数の乱気流がそれぞれ混ざり合い中心に圧をかけている。囚われた化け物の手足は関節をおかしな方向に曲げながら自身の体に絡みつく、まるでドラム式洗濯機の中身のようである。


ぐるん、ぐるん、ぐるぐるん。

回転しながら口だけが動いていた、それを見つめる誠はいつの間にか自身が涙している事に気付く。


最後の最期まで理不尽だった、ずっと鬱陶しかった。

しかし息子として、そうなってしまった母親には同情はしていた。父がいなくなり、環境は変わって病んでしまった。哀れな女。でも、もうあれを母とは思えない。


「しゃ!!つうわけで――…ほら、泣くなよ。どのみちかなり走りこまねぇと間に合わんぜ」


風神は丸太のような腕を振るとそれを誠の背中にバンッとあてる、一球入魂のつもりかもしれない。加減はしていると思われるが、力強さが勝った。誠は思わずむせそうになる。


「グッ…そ、そういえばけっきょく僕はどこへ―――。」


「いいからいいから」、ルファと風神の声が重なった。それに目を丸くしながら涙を拭う誠は、もう母を振り返ることはしなかった。


「なあマコち」


「…はい」


「ごめんな」


去り際に、風神は顎をさすりながら目を泳がせた。

悲しそうな表情で、謝罪を口にした。何に対して謝っているかは、誠にはわからない。


「いってきます」


「…おう」


こうして誠は、ルファと共に裏口を抜けるとファミレスを後にするのであった。


―――今はとにかく、新たな人生へ向けて…この窮地を走り抜けるだけだ。

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