第4話 サイケデリックな虎の脳

まあでも売り上げ上がってるし(お金稼げてるし)


客、入るからエエやん!という考え方、



知らぬ間に

僕等のカルチャー 殺しちゃってる



みなさま

お元気でしょうか?


私は先日アルバム制作前のルーティンとして

東京都文京区にある

立川談志墓の掃苔に出掛けました



雨上がりの

しとしとした日でございましたな。



ワタクシの望みは、

私。塔山忠臣の

二度目の寿命よりも (※1)



たった1枚でもいい

誰かが。


わたしが残した音響芸術を



この世に

持っていて欲しい。




願わくば、


たまに聴いてくれたなら



そりゃ最高の気分さ。



本当の夢は

それだけなんです。綺麗事でもなく



俺はマジなんす。


朽ち果ててゆく肉体なんかより

人工的に創られたギラギラした夢の皿 (※2)

が1日でも長く、足跡として残り



あなたや、これから来る誰かサンが

拾って本棚やラックに置いといてくれたなら。


あたいが今やってる、誰かへの手紙を書く作業が

生き生きとするのだもの。



爆裂サイケデリック都市新作アルバムの作曲が日々、

興奮しながら続いております。


現在。

アルバム候補曲が出揃いまして


大まかな構成、歌のあて感、ハーモニーやら

塔山式楽典やら、機材破壊やらを

繰り返し


毎日。毎夜。油絵に非常識な色彩を重ね塗り

ペインティングナイフで、わざと

キャンバスを傷だらけにしたりしながら



あいまに

履き潰したリゲッタカヌーを裸足のままかかえ。


国立西洋美術館までJRを乗り継いで

キュビスム美の革命をずっと口が開いたまま巡回し、


帰りに上野公園の催事広場で独り

ビアを飲み飲み


『ブレイキングダウンなんておれがその気になってりゃ、簡単に勝てるわ〜!』と叫ぶ紳士の横を通り抜け、


わたしは心のなかで




〝女は泣かせるのは簡単。



笑わせるほうが難しいってんだ〟と




圓生のモノマネで。  (※3)




つぶやくので

あります。




《 オレとJOY DIVISION 》

東京来たばかりでやることも目標もない自分には何故か救いの神だった。毎週のようにレコ屋に通っていて、その中で見つけたバンドだった。まず何よりフロントマンのイアンカーティスに惹かれた。


彼は23歳で自分で命を絶っていて、

そこから先の人生がない。そのことを思うと

自分なんてまだ。なんだって出来るんじゃないかと。


親友であった塔山忠臣もそう、16才でバスに轢かれて亡くなった。その夜のことを未だに思い出す。


俺はその場に居なかったんだけど一緒にバイクで走ってた友人に聞くと最後、胸を苦しそうに押さえながら俺の名前を言ってたと聞いた。たまらなかったな。


俺は音楽を作る時に、イアンカーティスのその先、


いや。

塔山忠臣の存在しなかったその先の人生を生きてみようと彼の名前で作曲を始めた。


デビュー曲である、

ポストマンジョンは完全にJOY DIVISIONのリズムにインスピレーションを感じて作ったしね。


このポストマンジョンという男はUKパンク全盛期のイギリスにいたLiveに来ては暴れ狂い、衝動的な行動を繰り返していた独りの客の名前だ。


彼は普段昼間は郵便局員として死んだ魚のやうな目をして働き、夜にはまた街のLive HOUSEへと出向き


バンドよりも攻撃的な暴れ狂いダンスで



ステージの音楽を煽り続けた。




普通ならこう考えるだろう、なら

自分もバンドをやればいいじゃん


でも僕にはそんな彼こそが

パンクだぁあああー!


そう、

感じちゃったの



楽器を弾けるだとか、つくりかたを知ってるだとか


んなコトぁ。どうでもいいよ



ポストマンジョンが残した。生きた証し



形にあらわせないエネルギー《衝撃》こそが、




僕の憧れる

人間としての、芸術なのだ。




そんな曲にしたいそれが

最初に描いた作品でした




当時、そのポストマンジョンのデモテープを持ってメジャーレーベルのオーディション風情によく送ってた。音源審査は大抵すぐクリアした。ポストマンジョンは特にリズムが褒められたな。ナンバーガールなどを手掛けた有名なプロデューサー様から「ZTTのドラムみたいで良いね」と言われて「いや僕のイメージはスミスに侵された、新宿フォークゲリラなんです。」と言ったら???てなってて、心の中で僕は笑いがとまらなかった。その後に送った先からまたポストマンジョンを褒められて、声かけられてライブに出た。後々聞いたらその選んでくれた方がマッドカプセルマーケッツのスタッフさんで、嬉しかったのを憶えてる。まあライブはJ.M.が伝説の〝ストップボタン押し事件〟で(ビートやらシーケンスやらの全データを演奏中にとめてしまうという極道パンク行動)

大音量のライブハウスに突如、

まったく無音の静寂が訪れた時は笑えたな。


逆説的なハナタラシみたい

Liveやった。。。。。⭐︎


彼女は間違いなくナンシースパンゲンが臆病に見えるぐらい

10000倍パンクでした。



そんな感じで俺たちは元々ライブになんて興味はなかった。



ネット上に転がってるデモテープ合格するための方法など全くあてにならなかったよ。掲示板とかも全部。



それよりも自分で動いてみて、自分で経験し学び

自分で築いた方法論こそ


真の武器だと言える。


デモテープ合格する方法を書いたり、当時

2ちゃんとかでも『メジャーに送って一次審査は通った俺から言わせてもらうと。。。』とか

よくいたけど。


まず彼らはハッタリ以前に行動することすら

怖くてしていないだろう、断言するよ


嘘をつくだけならまだ許すが



他人の邪魔はするな、と全人類にお伝えしたい。



とにかく篭って曲を作る。



それがスタイル。日本はライブが重視されるが。

俺はヘミングウェイのように曲を書き続けていたかった。


0、8秒と衝撃。の活動が始まって。フェスの楽屋に入ってきたマネージャーに「塔山くんへのご褒美来たよ!」って言われて話を聞けば、


JOY DIVISIONとのライブイベでの共演だった。当時、ニューオーダーを抜けた

ピーターフックが (※4)


ほぼ勝手に? JOY DIVISIONを名乗り、


自分の息子たちとライブをまわっていたのだ。まがい物 DIVISIONと言われたとしても



俺にゃあそんなのは関係ない。即、引き受けて当日楽しみにライブハウスへ向かった。



以前にも書いたよね。



そのニセ JOY DIVISIONの演奏で


僕は踊り狂ったな



最後はJOY DIVISION目当てのお客さまよりも早く、

ピーターフックが投げたTシャーツをキャッチング!して楽屋に逃げ去る、僕がいた。



あの小さなLive HOUSEの中には


亡きイアンカーティス。亡き友塔山。

そしてポストマンジョン化した


鬼の私が




そこに




生きていたのだ










(※1) 塔山忠臣は高校の時に亡くなった親友の名前

(※2) コンパクトディスクの略

(※3) 三遊亭圓生。本名ヤマザキマツオ

(※4) joy divisionオリジナルメンバー、楽屋に沢山ピザを注文します、気をつけて。

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