後編

十七頁目

 その冬。宍戸ししどを見かけたのは夏祭り以来だった。どこの団体か知らないけれど(私の大学の学生で、その何かなのかは確かだ)その忘年会に飛び入り参加して、ただ酒にありついていた、十二月の中頃だった。

 忘年会はよくあるような居酒屋で開かれていた。木のカウンターには十席くらいがまっすぐ並んで、通路を挟んでその横に大きな座敷がひとつ。それと個室のような座敷が三つあった。忘年会の大部分は大きな座敷とカウンター席で完結していた。それにほとんど貸し切りのような雰囲気だったので、他に無関係の客がいるとも考えなかった。二、三十人の大人数が集まる会には紛れ込みやすくてよかった。

 その居酒屋はお手洗いに行くとき、個室の前の通路を通らなくてならなかった。個室と便宜上言っているけれど、個室ではないので座敷の目隠しやら暖簾というのはなかった。最初に通ったときは焦っていたので、人がいるなあ程度にしか思わなかった。戻り道は、そりゃあ一安心と言った感じなわけで、悪趣味にも座敷の中を覗いて歩いた。一つ目には誰もいない。二つ目にダウンジャケットを着込んだ不健康そうな男がいた。無精ひげを生やしていて、髪がもじゃもじゃ。いかにもなオジサンだった。

 何となしに誰かに似ている気がした。他人の空似はよくあることだ。座敷の机に肘をつき、片手で頭を抱えて俯いていた。机の上には、グラスとジョッキがいくつか並んでいた。酔っているのか私に気づきそうにもなかった。

 ニヤニヤしながら誰に似ているのか眺めていると、男はむっくりと首をもたげて私のほうを向いた。その目は虚ろで何も見えていないようだった。酔っているとかそんな話ではなかった。

「あ……」

 何とか言おうとしたが何も思いつかない。ぎこちない愛想笑いを浮かべることしかできなかった。すると突如、男は目を剥き、顔を強張らせた。そしてプイと男はそっぽを向いた。そして目の前のグラスに手を伸ばし、グイッと一気に中身を呷った。上を向いたときに首筋にほくろが見えた。

「宍戸か……? 宍戸だろう、どうかしたのか、こんな……聞いているか?」

 俄に目の前の御仁が宍戸だとは信じられなかった。だが首筋にほくろがあったのは、よく記憶している。座敷に四つん這いになって乗り込み、宍戸の対面に座った。

 頭を上げて宍戸は私の顔をまじまじと見た。しかし伽藍堂の両の目玉に私は映っていなかった。

 頬はこけ、髭は長くはないが顔全体を覆っている。白髪まじりだ。そして髪の毛は蓬髪と言ってよかった。皮膚は病的に青白く、死人を見ているようだった。かと言って生きる意思がないようには見えない。不思議な表情だった。様変わりも甚だしいが、紛れもなく宍戸だった。

 室内だと言うのにところどころ擦れているダウンジャケットを着込んで、暑そうにも寒そうにもしていない。そしてショルダーバッグを掛けたままだ。

 異常。以前の宍戸を知っているいないに関わらず、異常だと、そのように見えた。

「し、宍戸。夏祭り以来だな。大学には行っているか? あ! 分かったぞ。就職活動が上手くいかなくて捨て鉢になってるんだな。まわりにもそんなヤツが沢山いて、旅に出たのもいる。まだ三年の年の暮れだし、とりあえず卒業することを……」

 宍戸の肩が揺れ始めた。俯いて、顔を十指で覆っている。

祐未ゆみ先輩……俺は、僕は、ああ……」

「お、おい。宍戸、ああもう」

 宍戸は泣き出してしまった。問いかけに答えそうにもない。埒があかない。しかし私は宍戸を放っておけるほどの事なかれ主義や非情さを持ち合わせていなかった。無料の酒より、よほど大事だ。

「宍戸。店を出よう。な?」

 背中をさすって子供をあやすようにした。嗚咽混じりに肯定の返事が聞こえた。

 祭りから三ヶ月弱。何があったのだろうか。

「帰りますね」

 宍戸を支えながら居酒屋の通路を行く。忘年会グループの一人とすれ違ったので、礼儀に則り帰ると断った。座敷に置いてあったロングコートを回収して、店の出口に立った。

 引き戸を開けると、冬の夜気が剥き出しの頬を貫き、耳朶を赤くさせる。

「寒いな。宍戸」

 宍戸は答えなかった。寒さに反応も見せなかった。

「お客さん」

「はいっ?」

 振り向くとしかめっ面した店主が立っていた。大きな身体と腕まくりした太い腕の威圧感は言わずもがなだ。殴られたらひとたまりもない。

「代金、その人払ってないでしょう。あの忘年会とは別ですよね?」

 難しい問題に直面した。私は財布を持っていない。デジタルもゼロだ。宍戸は店主の話が分かっていないようだった。となると宍戸の身体をまさぐって財布を抜き取り(流石に財布は持っているだろう)そのまた財布から金を抜き取って払わなくてはいけない。しかし、それはモラルに反していないだろうか。

 食い逃げとモラルに板挟みで脳細胞をいじめていると妙案が浮かんだ。

「あ、彼らにつけといてください。ほら、私は彼らの先輩なんです。ほらほら」

 学生証の入ったパスケースをポケットから取り出して見せた。店主は私の顔と学生証の顔を二、三度交互に見た。

「まあいい。名前は覚えたからな」

 学生証を突き返して、なおも不機嫌そうに店主は言った。

「また来ますね。ほら、宍戸」

 宍戸の手を引いて、逃げるようにして帰途に就く。宍戸の指はガサガサだった。

 

 ●


 私は実家暮らしで、実家は大学から徒歩五分の最寄り駅から一時間の駅を降り、バスで五分。そして徒歩十五分の場所にある。大学の最寄り駅の路線に、別の駅から乗り込めた。

 居酒屋からそこまで、十分かかって歩く。駅に着くころには宍戸は泣き止んでいた。駅の構内に降りていって学生証のパスケースを取り出した。裏にスマートカードが入っている。時刻表を見ると二十一時二十六分発の電車があった。あと五分もせずにその電車は来る。

 自動改札を抜けようとしたとき、宍戸がくぐれないことに気づいた。

「ふむ。切符を買ってやることもできない」

 後ろを子ガモのようについてくる宍戸を見ると時折、何かにびくついたり何かをブツブツ呟いたりする。泥酔している側面もあるだろうが、それ以前に神経衰弱が見受けられた。

 宍戸はあからさまに神経症に罹っている。病院に連れていくまで、保護してあげるのが人情というものだ。

「えっと、バッグの中に……」

 宍戸はショルダーバッグを丁寧に漁る。中には通帳だったり印鑑のケース。それと長財布が見えた。

「のっぴきならない状況か。宍戸」

 一度、使ってみたかったセリフを言って満足した。なぜか宍戸は私に財布を渡してきた。財布をセンサーにかざしてみる。音がなって改札が開いた。やはりスマートカードが財布の中に入っていた。

 改札に宍戸を押し込んで私も続いた。一悶着やっているうちに、電車が間もなく到着しますとアナウンスが鳴った。

 電車の中では何も喋らなかった。宍戸が席に座って眠ってしまったからだ。乗り込んだ駅からは三十分で目的地に着いた。宍戸を起こして、改札を抜け出た。

 この時間、バスはもうないので歩いて帰ることになる。

「宍戸、どうした」

 駅を出てすぐ、街灯の下で宍戸が呻きだした。そして膝をついて吐いた。吐きたいのになかなか吐けていないようだった。私は吐くのが得意だが、吐かせるのは経験がなかった。そっと背中をさすった。

「宍戸、歩けるか? 三十分くらい歩くことになるぞ」

 宍戸は吐き終わって、駅前の自販機に寄りかかっていた。水を買ってちびちび飲んでいる。街灯と自販機に薄く照らされる表情は蒼白く物憂げだった。それでも生気が少しばかり戻っているように見えた。

「先輩。どこに向かってるんですか?」

 初めてちゃんとした言葉を発したように思えた。酔いが醒めてきたのだろうか。

「ふふ。今更か。私の家だよ」

 宍戸は釈然としない顔をした。

「君はいま、とても疲れておかしくなってる。私が責任を持って保護する。ついてきなさい」

「おかしい。はは。それは分かってます。よく、分かってます」

 へなへなと笑ったかと思うと苦しい顔をする。

「大丈夫か? 宍戸……」

「大丈夫じゃないです。祐未先輩」

「なに?」

「あなたは存在してるんですか」

 宍戸が何を言っているのかまるで分からなかった。

「私は、いるよ」

 分からないまま、そう答えた。


 ●


 暗い夜道を歩いていく。街灯はあったが、間隔は心細いものだった。人とはすれ違わなかった。

 私の家は郊外にあった。田舎というほど田舎ではないが、田んぼとか畑は見渡せばある。けれど田舎的要素を残しつつ、現代化が進んでいる。スーパーがすぐ近くにあるし、コンビニだって家から五分のところにある。いま歩いているのも住宅街の只中で、コンクリートの道だ。

 実家は平屋で曾祖母が子供の頃からある。とても古い家だ。リフォームを重ねて、外装はともかく、内装は現代的に仕上がっている。お風呂なんかは、父の趣味でジャクジーになっている。悪趣味だと正直思う。

 夜道に低い塀が道に沿って長く伸び、その塀の小さな格子戸に暖色の灯りが灯っていた。

「あそこだ。宍戸」

「大きな家ですね」

 ここまで来ると雑談が程々にできるようになっていた。泣き出したのは一種の錯乱だったのだろう。

「昔はお金持ちだったらしいけれど、残っているのはこの家くらいだよ。おばあちゃんが何か隠してない限り」

 宍戸は少し笑った。嬉しかった。

「ありゃ」

 格子戸に手をかけると鍵がかかっていた。インターホンを押す。よくあることだが自宅のインターホンを押すというのは不思議な気分だ。

「はい」

 無愛想な声がインターホンのスピーカーから聞こえた。

「開けておくれ」

 努めて愛らしい声で言った。鬱陶しそうな溜息が聞こえて、プツリとスピーカーの接続が切れた。ガラガラと格子戸の先に見える玄関の引き戸が開いて、弟が出てきた。弟は寒さに身を震わせ、人差し指の側面で眼鏡を上げた。高校一年生だというのにコムツカシイ本ばかり読んで、悦に浸っているイヤな弟だ。嫌いじゃないけど。

「その人は?」

 格子戸を開ける前に怪訝そうな顔をして弟は言った。宍戸の見てくれは怪しさ満点であるから、当然の反応である。防衛本能と言っていい。

「友人」

 毅然とした態度で言った。説明は面倒だった。宍戸を見ると弟から目をそらして、居づらそうにしていた。

「まあ。いいや。遅く帰ると思ってたよ。アルコール大名なのに」

 興味なさげに呟いて、戸を開けてくれた。

「まあ、こんな日もある。休肝日ってヤツ?」

 弟はまた溜息をついて「酒臭い」と吐き捨てた。

 戸をくぐり、宍戸に手招きする。弟は「どうぞ」と少し不機嫌そうに言った。宍戸は綱でも渡るように、一歩一歩踏みしめて戸をくぐった。宍戸が中へ入ると、弟は戸をもとの通りに閉めた。

 弟が先導して、玄関までの短い砂利道を進む。誰も何も話さなかった。

 玄関の中に入ると、昔の平屋らしく広い土間が出迎えてくれる。靴が家族分しかないので、デッドスペースの一等という感じがする。土間の前の廊下の電気は消えていたが、玄関のは弟が点けておいてくれていた。

「じゃあ、部屋に戻る」

「ありがとね」

 弟は暗い廊下を戻っていった。板が歩くたび、キシキシと幽かに軋んだ。

 玄関から見て、右に延びる廊下を挟んで目の前にドアがある。左側は壁だ。

 宍戸は私が家に上がるのを待っていた。キョロキョロと視線を色々なところへ投げていた。不安があるのだろうか。

「宍戸、まず風呂に入ってこい。臭うぞ。風呂に入ってるのか?」

 宍戸は困ったように眉をピクリと動かした。宍戸は会ったときから臭っていた。でもそれは体臭というには収まらないもので、キツいというよりは服からも臭っていた。風呂に入ってる以前に家に帰っているのかも不明だ。

「服なら貸すから安心していい。ほら、あのドアの先が風呂だ。ジャグジーもついてる。すごいだろ」

 宍戸は俯いて、目を泳がせた。

「怖いんです。風呂は」

「怖い?」

 私は首を傾げてみせた。宍戸をよく見ると、手首をもう片方の手で強く握った。

「風呂には入りたいです。だから、その……」

「なんだ?」

「その、扉の前で待っていてくれませんか」

 モジモジとちょっとばかし面食らうことを宍戸は言った。宍戸もおかしなことを言っているのは分かっているようだった。恥ずかしさより怯えが勝っている。その表情を見て、断れる道理はなかった。それに甘えられるのは嫌いじゃない。

「分かったよ」

 私が靴を脱いで家に上がると、宍戸もかつて白かったであろうスニーカーを脱いで家に上がった。目の前のドアに宍戸を押し込む。

 脱衣所は洗面台と洗濯機、キャビネットがある。それと入ってすぐ、左側に扉があって、そこはトイレだ。キャビネットからバスタオルを取り出した。それとT字の剃刀を宍戸に渡した。そして髭を剃るように伝えた。宍戸はぺこりと頭を下げた。

 ダウンジャケットは預かって、あとの服は洗濯機に入れておくように伝えた。

 宍戸と目が合って、わざとらしい苦笑いを宍戸は浮かべた。一瞬、何か分からなかった。

「あ、ごめん」

 私のほうが恥ずかしくなって、そそくさと脱衣所の外に出た。ガサゴソと衣擦れの音が聞こえて、生々しかった。

「うへぇ」

 私は言葉にならない声を漏らした。

 少しして風呂場の戸が開く音が聞こえた。ノックをして宍戸の許可をもらって脱衣所に入った。

「ここにいるから、安心して入るといい」

「……すみません」

 風呂場から小さく聞こえた。蛇口から水の出る音が、少ししてシャワーの音になった。洗濯機を回す。一仕事やり終えた気持ちで、洗濯機を背もたれにして座った。

 スマートフォンで弟に電話をして、着替えを要求する。

「あの人は誰なの。流石に、さ」

 電話口で弟は言葉を濁して、宍戸の素性が知れないことを心配した。確かに宍戸はホームレスのような相貌だったし、そんな人間を姉が急に連れてきたとなったら、弟としては気が気でないだろう。そんな反応を見せつつも服は貸してくれるようだった。

「友達って言ったでしょ。心配しなくても大丈夫だよ。人間、生きてりゃたまにああなる。助けてあげなきゃね」

「でもさあ、恐怖はあるよ。どうしても」

 弟の恐怖が何に対してかは聞かなかった。宍戸とどんな関係なのか説明をした。

「それだけの人を、見かけたからって連れてきたの?」

 説明をしてみたものの、宍戸は酒の席で出くわすことのある大学の後輩、これで全てと言ってよかった。専攻が違っていれば学科も違う。関わりはないに等しかった。

「いいでしょ、別に。あとになって彼が亡くなったとか、そうならなくても怪我をしたとか聞いたら、寝覚めが悪いから」

 本当はそこまで考えていなかった。寝覚めが悪いなんてことよりも、切に宍戸を慮っただけだったのだが、この説明で弟が納得してくれるとは考えられなかった。それより、そんなことを言うのは恥ずかしくてたまらなかった。

「あっそ。あと、ずっと洗濯機はうるさいし、シャワーの音聞こえてるけど、覗き?」

「違うよ! 早く着替えを持ってきて」

 私は電話を切った。

「先輩、いますか?」

 シャワーの音が止み、風呂場から怯えた声で呼びかけられた。

「うん。いるよ」

 努めて安心させるように言った。そして宍戸に何があったのか、より深い憂慮が私を占めた。

「誰かと、話してましたよね」

 宍戸はより怯えた声で、そして祈るような語調で確認をした。

「ん? うん、電話してたよ」

「そう、ですか……よかった」

 今にもホッという音が聞こえてきそうだった。かわりにまた、シャワーの音が鳴り始めた。

「大丈夫だよ」

 聞こえたか分からないけど、私は呟いた。

 ガチャとノックもせずに脱衣所のドアが開かれた。着替えを持った弟が顔を覗かせた。

「何やってるの、姉さん」

 ノックと諸々の説教を短くして、お礼を言って追い返した。


 ●


 それから宍戸はすぐに風呂をあがった。湯船には浸からなかったらしい。気を使ったのか、ぬるかったのかは聞かなかった。

 宍戸が服を着るあいだ、廊下で待った。玄関の明かりだけだったので、薄暗かった。何度か宍戸にいるかと確認をされ、いると繰り返した。

「うん。髪以外は好青年になった」

 脱衣所から出てきた宍戸は髭もなくなり、服は弟の寝間着だったがホームレスから身だしなみに無頓着な大学生と見違えたようだった。季節外れの半袖と肩にかけたバッグの変な違和感が面白い。

 宍戸と脱衣所の前で向かい合っていると、パチッと廊下の灯りが点いて、奥から弟がやってきた。弟は無愛想に会釈をした。

「そういや、お父さんとお母さんは?」

 弟は眼鏡を人差し指で上げた。

「重大なバグが見つかったとかで今日は帰ってこないって。ってよりはいつ帰ってこれるか分からない」

「また災難だね。あ、私の両親はどっちもプログラマーなんだ。社内恋愛ってやつ」

 宍戸はリアクションに困って「そうなんですか」とだけ言った。

「ばあちゃんはもう寝てる。先に風呂入っていい?」

「もちろん」

 弟は変なところで気が利く。祖母は自室にいないときは、いつだって居間にいる。私の部屋に向かうには居間を通らなくてはいけない。祖母は古風な人だから、どんな形であれ深夜に男を連れ込んだとなれば、あれやこれやと騒ぎ立てるに違いなかった。それか祖母は私のことをしっかりした子と思っている節があるので、破廉恥だ、とか言ってあまりのことに卒倒するかもしれない。つまり祖母が就寝しているのは好都合だった。

 宍戸は弟に場所を譲って、弟は脱衣所に入っていった。

「じゃあ、こっちだ」

 廊下を先に歩き始めて、後ろをチラと見る。ちゃんと宍戸はついてきていた。

 廊下の壁は白い壁紙が貼ってある。少し進むと右手に襖が見える。そこが祖母の寝室だった。そこを過ぎると突き当たりまでは何もない。突き当たりの左手に硝子が嵌めてあるドアがあって、薄暗いキッチンが見える。宍戸に何か食べるか聞いたが、大丈夫ですと断れてしまった。けど何か作ってやろう。

 右手には襖がまたあって、それを開く。そこが居間だった。居間はの明かりは点いていなくて暗かった。左の壁にあるスイッチを押す。最近、LEDに替えたので即座に目映い光が点った。

 居間は畳敷きで中央に木の四角いテーブルがある。その下に茶色い絨毯が敷かれている。テーブルの上にはテレビのリモコン以外なにもなかった。入ってきた場所から見て、左の壁に沿って三人掛けのソファと、その向かいの壁側にテレビがある。ソファに本が散らかっていた。襖のある側の壁には本棚がある。正面の壁に戸があって、また廊下がある。

 宍戸を連れて居間を通り抜ける。先に宍戸を戸の先に通して、戸の脇にあるスイッチで廊下の明かりを点けてから、居間の明かりを消した。

 その廊下も板張りで、裸足の宍戸には冷たかったかもしれなかった。スリッパを出し忘れたとは言えなかった。ので湯冷めしないよう、早足で廊下を過ぎた。左手は縁側があって、硝子戸の先に中庭が見える。右手に弟の部屋、その先に両親の部屋、突き当たりに私の部屋がある。

「ちょっと待ってて」

 宍戸を部屋の外に置いて、私だけ自室に入った。私は部屋を散らかすタイプじゃないし、急に人が来ても部屋に迎えられる自信がある。けど不安もある。不安を解消できるなら不安は解消する。それに着替えたかった。

 部屋の明かりを点ける。部屋はリフォームで洋風に仕上がっていた。エアコンの暖房をつける。

 着替えながら部屋の状況を確認する。左奥のベッドは綺麗だ。ベッドの足下、壁に沿ってクローゼットとチェストがあって、正面の机の上にもペン立てとちょっとした本だけしかない。椅子もきちんと仕舞ってある。右側の本棚も整然と本が並べられている。その脇のカレンダーも曲がっていない。フローリングも木目が艶々している。部屋の中央の丸いラグマットが敷いてあって、灰色の猫がの顔になっている。その上に小さな四角い座卓が置かれているので、気づいてはもらえないだろう。机側の壁には窓があり、夜なのでカーテンを閉めた。

「座布団、あったかな」

 呟いて着替えを終えた。

「宍戸、入っていいよ」

 宍戸は身体をしゃちほこばらせ、部屋に入らなかった。

「安心しろ。彼氏はいないから部屋に入り放題だ。私が許す限り、誰も宍戸を殴らない」

 宍戸が笑わなくて、私は苦笑いをした。

 まさか初めて女子の部屋に入るとなって緊張しているわけでもあるまいし、よしんば初めてだったとて、宍戸が気後れするような性格ではないはずだ。

「いや、失礼します」

 かぶりを振って、宍戸は部屋に入った。

 入って宍戸はどこにいればいいか分からず、まごまごしていた。猫のラグマットのところに座らせて、座布団を取ってくるからと部屋を出た。宍戸はバックをテーブルの下に下ろして、縮こまって正座をしていた。

 居間に戻って、テーブルの下にしまってあった座布団を二枚、拝借した。

「宍戸、待たせたな」

 座布団を持って戻ると、宍戸はローテーブルに突っ伏し、両腕を枕のようにして眠っていた。動かすこともできないので、座布団は宍戸の脇に置いた。そして毛布を宍戸にかけてあげた。

 ベッドに腰掛けて、宍戸の寝顔を眺める。安らかな寝顔、かは分からないが、かわいい寝顔だった。

「ああ、私の服か」

 宍戸はもしかすると、私の部屋着――ジャージに狼狽えたのかもしれない。薄い青色のジャージはかわいくなかっただろうか。でもまあ、それ以前の問題なのは分かっている。

「やっちゃったなあ……」

 うつらうつらとしてくる。お風呂に入ろうか。入らないで眠るのは気持ちが悪い。少しベッドに横になる。

 シャワーを浴びたい。そう思って、部屋の明かりも点いたまま、眠ってしまった。

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