十三頁目

 目覚めると自室の万年床の上だった。頭が痛い。記憶がない。酒を呑み始めるまでの悶着は覚えているが、そのあとがさっぱりだ。自室であるのは確かだが、どうやって帰ってきたのか、いつ帰ってきたのか定かではない。とはいえ伊丹いたみの部屋から帰ってくるくらい、正体をなくしても訳ないことだから重要なことではないだろう。

 マズい、と身体を跳ね上げる。いや、今日は日曜日だった。急に身体を動かしたので吐き気がこみ上げてきた。携帯がズボンのポケットに入ったままだった。さかきさんからの連絡を確認しようとしたのだが、充電が切れていた。枕元にあるコードをたぐって、端子を携帯に差し込んだ。

 レースのカーテンから日の光が差し込んできて眩しい。部屋は肌寒かった。

 水を飲みたかった。ふらつきながら立ち上がって台所へ向かった。

 コップに水を汲んで飲み干す。もう一杯汲んで、それを持ったままトイレに向かった。

 便器に座り、呻きながら用をたす。ちびちびコップの水を口に含んで、舌で転がしながら飲み込む。

 ハッとして恐る恐る、バスタブを見た。表面は滑らかで、そして濡れていなかった。どこも濡れてはいなかった。口元が緩んで仕方がない。私はトラウマから脱して、酒も克服した。その証左を乾いたバスタブにしてもらった。

 朝飯を作って食べた。パックの白米をレンジで温め、お茶漬けにしただけのものだ。家に何もなかったのは勿論だが、お茶漬けくらいしか胃が受けつけてくれなさそうだった。

 試しに白湯を飲んでみた。身体に染み入る感覚はあった。しかし何がどういいのかは体感できなかった。味噌汁が飲みたいと思った。レトルトの味噌汁を切らしていて白湯を飲んだのだが。

 携帯の電源を入れた。十四時になったばかりだった。だとすると私が起きた時間は十三時半ばだったろうか。連絡が二件きていた。

 ひとつは不在着信で榊さんからだった。片方はメールだった。

 メールは上野咲うえのさきが落ち着いたこと。そしてなぜ謝罪をしていたかは上野咲自身も分からないと言っていること。怖かったからではなく、申し訳なくなって謝らなければすまない気持ちになったと言っていると、そんなことが書いてあった。

 私は医者でも医学徒でもない。上野咲の記憶がどんな状態にあるのかは分からなかった。

 返信が遅くなった謝罪とお大事に、と伝えて欲しい旨をメールで送った。少しの間、既読がつくか画面を見ていた。やはりすぐにつくこともなく、画面を消した。

「暇だな」

 呟いたが具合が悪いので何もする気はなかった。

 温くなった白湯を啜った。

 

 ●

 

 翌日。月曜日の講義は午後からだったので、午前中は眠って過ごした。酒精がまだ身体から抜けていなかった。土曜の晩にどれほど呑んだのか。疲れが溜まっていて、そのせいで長引いているのかもしれない。

 講義には欠席しなかったが、頭がモヤモヤして身が入らなかった。出席することと勉強することは必ずしもイコールではない。

 小腹が空いたので、講義のあと食堂に足を向けた。あっさりしたものが食べたかった。迷いに迷ったあと素うどんにした。迷ったのもきつねうどんにするか、たぬきうどんにするかだった。財布がほぼ空で素うどんになってしまった。

 食堂の中央あたりの席で、皆川がカレーを食べているのが見えた。伊丹と笹保ささほもいた。

宍戸ししど君。こっちこっち」

 笹保に見つけられ、手招きをされる。三人が膝をつき合わせている様子はどことなく不穏当で、立ち寄るなと、この三年間で培われたレーダーが微弱に反応していた。しかしこんな警報は、何もかもに疑いがちになっているのだけなのだと自認している。うどんが伸びる前に彼らのテーブルへと向かった。

「ちょうどよかった。呼ぼうと思っていたんだよ」

 皆川の隣に座ると、出し抜けにそう言った。

「資源ゴミ回収斑の班員にな」

 差し向かいに座る伊丹が言う。

「掘り出し物もあるかもしれませんよ。残り物と言っても、残されたものじゃなくても見つけられなかったものですし」

 斜め向かいの笹保が言う。

「何の話だ。また何かするのか?」

 呆れるよりも期待を込めて言った。また面白いことを画策しているのではないかと楽しみになって浮かれていた。そんなマインドになれるほど私は恢復していた。それがまた嬉しく、うどんを必要以上に頬張って咽せた。

 笹保が「口はつけてませんから」とお冷やを譲ってくれた。ありがたくいただき、うどんを胃の腑に流した。

「宝探しの話、覚えてるか」

「覚えてはいる。またやるのか?」

 宝探しに参加しなくてよかったと経験則で思う反面、参加したかったと思う自分も混在していた。すなわち皆川の問いにワクワクせざるを得なかった。時と場合によって優先される感情は変わる。この場ではワクワクの欲求が場を制していた。

「いや、宝探しをするわけじゃない」

「なんだ。そうか」

 気落ちはしたが、まさか本当にやると本気で思ってもいなかった。

「モノを色々集めたと言っただろ。見つけられなかった景品が残っていて、それの処理を任されたとも言ったろう」

「貧乏クジの罰ゲーム」

 皆川の説明が終わる前に伊丹が茶々を入れた。皆川は話の腰を折るな、とカレーを食べていたスプーンを伊丹に向けた。

 確かに処理するのに途方に暮れているとか言っていたような気がする。

「それでだ。ただ捨てては提供してくれた人に面目次第もない。骨董品に関しては価値が分からなくて困ってる。その片付けを手伝って欲しいんだよ」

「好きなものを各々持ち帰っていいそうです。骨董品とか面白そうですよね」

 笹保が補足をした。皆川が頷いた。

「かなり量があってな。部屋が狭くて困ってる。早く解決したい」

「自分の部屋にあるのか?」

「罰ゲームって言ったろ」

 伊丹が薄ら笑いを浮かべて言った。皆川が恨みがましく伊丹を睨んだ。

「なにぶん、ジャンルを決めずに集めまくったからな。実用性のあるものもある。食器とか、本とか」

「ふむ」

 悪い話ではない。最近、マグカップを割ってしまったのを思い出した。食器棚の食器もこの三年で数を大幅に減らしていた。本も並べておくか重ねて置くだけで賢しいフリをするのに重宝する。そのうえ面白いこともある。

 本は捨てるところのないアンコウのようなものだ。逆に一頁でも足りないと全て役に立たなくなる。皆川は提供してもらったと言っていた。もしかするとそのような、役に立たなくなった紙束を提供されたのではないか。宝探しでは現金を宝として扱っていたところを見ると、本はハズレに置かれていそうだ。

 これは悪い話しかもしれない。

「宝探しの延長戦としてきてくれないか。本当に価値は知らないし、これはやらんと意地悪もしない。助けると思って、な?」

 皆川が悲痛そうな顔をして言った。私たちが持ち帰ったところで部屋が狭くなるほどの物品がどうこうなるとは思えない。

「狡いぞ。皆川。反応が悪いからって本題を先延ばしにするなよ」

 伊丹が伸びをしながら言った。

「ああ、もう。うるさいな。はあ、つまりモノを運ぶ手伝いをして欲しいんだよ。アパートの部屋から軽トラの荷台まで」

 そんなことだろうとは予想していた。こうならなければ、そのほうが裏があるのではの心配になる。

「別にいいが、部屋には自分で運び入れたのか? 二度手間じゃないか」

 皆川は文字通り、頭を抱えて溜息を吐いた。伊丹と笹保がそれを見て笑った。

「文芸部の奴らにやられた。ボクが処理すると決まった翌日、起きたら部屋に全部運び込まれてた」

「非道いな」

 私は他人事みたいに言った。実際他人事なので、わざとらしくそう聞こえるように言った。下手に同情するよりいい。何より、文芸部に所属している皆川が悪いのだから。

「今日までコツコツ処理はしてたんだが、思い立ったが吉日と言うだろ。人を招集して一気に処理しようと思ってな」

「宍戸。お前、車の免許持ってたよな」

 伊丹が言った。

「軽トラの役が私か」

 皆川が頼む、と強く言ってきた。断る理由もないので承諾はした。

「決まりだ。今週の木曜にな。休校日だったろ」

「木曜か」

「用でもあったか? 別日にするのは構わないが」

「いや。急だと思っただけだ」

「思い立ったが吉日。先人はいいこと言いますねえ」

 笹保は隠居の好好爺を思わせた。

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