三頁目

 私たちは寿司屋にいた。胆試しが終わり、夜が明け、朝一番に寿司屋に乗り込んだ。

 客はほとんどおらず、貸し切りに近かった。テーブル席を四人で囲む。メンバーは私とさかきさん、そして伊丹いたみと伊丹のペアとして肝試しに参加した日下部くさかべくんだ。

 日下部くんは二回生で、アメフトサークルに所属しているらしい。屈強な身体は近くにいると山のように感じられた。なにぶん、私の身体は繊細なので、より強そうに日下部くんは私の目に映った。

「伊丹。ありがたく奢るといい。日下部くん、ごちそうになります」

 隣の榊さんが眠たそうにこっくりこっくりとしている。ハッとして周りを見渡すと、自分が寿司屋にいることを思い出したようだった。そしておしぼりで顔を拭いた。あつっ、と言って目が覚めたようだった。

「俺はいいが、日下部。金はあるのか?」

「大丈夫だ。伊丹さん。主宰が言っていたとおり、よく分からないものに参加した報いと言える。甘んじて受け入れる」

 日下部くんの高潔さには感服するものがあったが、その原因と言えば日下部くんの阿呆のせいでもあるから、自業自得だなと冷笑するような自分もいた。

 私たちがなぜ寿司屋にいるのかと言えば、それは仏像のせいであった。もとい笹保のせいだ。

 笹保は先に言ったとおり、友人関係の輪を広がるべく罰ゲームを設定していた。全てのペアが胆試しから仏像を持って帰ってきたあと、笹保は回収した仏像を、それぞれのペアに戻した。そのときに伊丹も笹保の正体に気付き、一瞬驚いたあと、一人で笑っていた。

「仏像、マトリョーシカみたいに開きますので、どうぞ」

 笹保がさもどうだ、と言うようにして言った。

 仏像には仕掛けがあり、不敬にも仏像の腹回りのところで上下に分かれるようになっていた。中はくり抜かれており、空洞になっていた。流石に小さな仏像がまた入っていたりはしなかった。中には小さな紙切れが入っており、私たちの仏像には『当たり!!』と無骨に書かれていた。

 そのときには伊丹と合流しており、伊丹にも上野咲について聞いて回っていたことを詫びさせた。伊丹たちの仏像には『寿司、お祝いだ!!』とこれまた無骨に書かれた紙切れが入っていた。

「なんだこれは」

 伊丹が呟くと答えるように笹保が続いた。

「当たりのペアは食べたいもののくじを引いたペアに奢ってもらってください。朝一で。以上、解散」

 横暴だった。従う理由もなかった。しかし、こんなところに集まって胆試しなぞ阿呆なことをするというのは大抵、暇を持て余した苦学生であった。だから参加者のおよそ半分から大歓喜の声があがった。残りの半分は青ざめたような、いまだによく分かっていないような顔をしてキョトンとしていた。そこからは簡単なことで、同調圧力が私たちにかかり、奢られなければならないと一方は思い、奢らなければならないともう一方は思い、殺気があたりに立ちこめた。強迫観念にも似て、大学の毒気に当てられたのか、奢らなければイベントが台無しになってしまうというような気配も感じられた。笹保はそれにつけ込んだようだった。当たりのペアが一組余ったようだったのをフランス料理を引いたペアが引き受けていた。二組にも奢るとは、ブルジョワなのだろう。

 かくして我々は血みどろ苦学生の狂躁から逃れるように、体のいいペアとして、真に親睦を深めるという名目で寿司屋に向かった。これも伊丹がブルジョワだったので成立したのだが、日下部くんがルールはルールだと言って奢ると強情を張っていた。それを伊丹が気に入ったことで開催された親睦会でもあった。

 これが四時前の出来事で五時半に開店する回転寿司屋を見つけ、徒歩で一時間で寿司屋に着き、三十分ほど待って腰をやっと落ち着けた。私は苦学生なのでもとより、榊さんはどうするかと聞くと赤貝が食べたいと無邪気に言って嬉しそうに着いてきた。そのときから眠そうではあった。

「そうだ。今度、大学の近くの河川敷で祭りがあるでしょう。アメフトサークルで出店出すんで是非来てくださいよ」

 日下部くんがタコを美味そうに飲み込んでいった。

「それはいい。なんだい、食い物か」

 伊丹が舎弟をかわいがるように、コハダを食って言った。

「はしまきです」

「あたし、はしまき好きです。行きますね」

 榊さんが赤貝が頬ばって言った。目の前に並べられた五枚の皿には、どれも赤貝が載っていた。

「どうせなら、みんなで行かないか?」

 私はあがりを徹夜の身体に染み込ませていた。仙人みたいな心待ちで皆に言った。

「それ、いいですね。楽しみです。日下部さん、お祭りいつですか?」

 また榊さんは赤貝を頬ばった。

「四日後、いや日を跨いでるから明明後日か」

 日下部くんは思案するように言って、マグロを口に放り込んだ。

「みんなで行くなら連絡が取れないと不便だろう。連絡先を交換しておくか」

 伊丹が〆サバをレーンから取りながら言った。

「そうですね」

 榊さんがまた新しい赤貝を頬ばった。

「私のはこれだ」

 私は携帯をテーブルの上に出して、皆の準備ができるのを待った。ガリが美味い。

「よかったらここにいない人も連れてきてください。儲かるとサークルも運営しやすいですから」

 日下部くんが生々しい話をしながらイクラを食った。

 代金はきっちり伊丹と日下部くんが分けて払った。奇数だったので一円多く支払ったそうだが、日下部くんは不服そうにしていた。それで伊丹はますます、日下部くんを気に入ったようだった。

 日下部くんは実家に住んでいるそうで、帰り道は別れることになった。

 夜が明け、色がはっきりとした世界を三人並んで歩く。寿司屋の面する通りはビルが並んで、一階が飲食店のビルが多かった。営業中ではなかったが活気が目に見えるようだった。人通りも少し見えはじめていた。しかし大学のほうに向かい、裏へ裏へと路地に入っていくと、寂れたアパートや空き地が見えはじめる。わびさびというやつか盛者必衰の理か、なんでもいいが腹ごなしに散歩には少々きついものがある時間帯だった。

「着くころには七時過ぎか。榊さんは大丈夫ですか。私たちは大学近くのアパートなんで一時間くらいですけど」

「あたしもそうです。流石に場所は違うと思いますけど」

 榊さんは完爾と笑ったが、疲れが隠しきれていなかった。胆試しを含めずに寿司屋往復で二時間歩くことになる。徹夜には拷問以外の何ものでもない。

 それでもやっと、口数少なに大学前に辿り着いた。心配をしていた私のほうが榊さんより先に限界にきていた。

「それでは、後ほど時間とか連絡しますんで」

 伊丹には見送られ、榊さんはぼやけた視界から消えていった。

「大丈夫か、死にそうか?」

「寝たい……」

 伊丹に肩を支えられ、なんとかアパートにまでと歩く。途中自販機でコーヒーを奢ってもらい、無理やり飲まされた。幾分か意識は明瞭になったが、足の駆動は改善されなかった。

「悪いな。寿司も奢ってもらったし、ありがとう」

「気持ちが悪いぞ」

 自分でも気持ち悪くなって笑った。伊丹も大笑いした。私はそのまま側溝に吐いた。

「折角食わせたもん吐きやがって」

 アパートになんとか着いて、玄関先で突き放すように伊丹に言われた。

「本当に、悪いと思ってるよ」

「そうだよ。お魚さんに謝っておけ」

 バタンとドアは閉められた。冷蔵庫の中から麦茶のポットを取り出して、ポットのまま飲み干した。ポットに水を汲まないでもとに戻す。投げやりに万年床に倒れ伏す。既に気温は上がりはじめ、そのうち眠ってもられない暑さになる気配があった。お盆も過ぎ、もう八月の下旬だというのに秋の気配はおろか、気温の下がる気色も見えなかった。

 背に腹はかえられぬと、私はタイマーを設定したクーラーを点けて眠った。少し黴臭かった。いつの間にか眠っていた。

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