一頁目
翌日。私と伊丹は大学に向かい、手分けして適当に聞き込みをした。
ことの経緯を説明すると、まず始めに彼女がいた部屋の周辺で聞き込みをした。もしかすると私と彼女を目撃した人物がいるかもしれないと踏んだからだ。そして五人目にして早くも、私たちを目撃していた人物にかちあった。男で中肉中背、小綺麗な恰好をしていた。彼女と同回生だという。
彼女は
そして聞き込みを続行することとなった。アマバタ様のことは聞かなかった。聞くのが正解だとは思ったが、説明が面倒だった。そして何しろ上野咲のことを聞いた時点で、だいぶ怪しまれた。だから気後れした。
そのあと、上野咲はオカルト同好会に所属していると分かった。
伊丹に連絡して、合流することにした。場所はオカルト同好会の部室前にした。
向かう途中も聞き込みをしあ。そこで知り合いの二回生に出会い話を聞いた。彼は上野咲と顔見知りで、連絡をとってもらったのだが、上野咲の応答はなかった。
そして部室に着いた。もしやと思ったが、上野咲と出会った部屋とは違った。それは場所を聞いたときから分かっていたが。そこにはあの部屋と同じような引き戸があって、オカルトと小さなプラスチックのプレートが飾ってあった。
伊丹もそこにいた。戸の横の壁にもたれかかっている。
「どうだった」
「アマバタ様はヒットゼロ。名前が分かってよかった」
伊丹は肩をすくめて言い、お前は、と私を見た。
「私もだ。ただ聞き込みをしたやつに上野咲と連絡を取ってもらったんだが、応答はなかった」
「まさか。死んでるかもな」
伊丹が真顔で言った。
「面白くない。連絡がつかなかったのはたまたまだろう」
「だといいが、それはそれで面白くないだろう」
「それで何してる。不在か?」
尚も厭なことを言う伊丹に聞いた。
「ああ。どうせお前も来るだろうから待っていた。お前と部屋の主をな」
「あの、何か?」
気づくと目の前に、大きな眼鏡をかけた、手提げ鞄をもった女生徒がいた。長い黒髪が肩にかかり、なんとなく和ホラーの様相に感じた。それも目は訝かっていて、表情は警戒のそれだったからだろう。
「私は伊丹といいます。あなたは?」
伊丹は慇懃な態度で聞いた。それでも警戒は解けず、それどころか胡散臭いと思われたようだった。
「ここの部員ですけど、なんですかいったい」
機嫌の悪い様子で、つっけんどんに彼女は言った。華奢な出で立ちからは考えられない迫力があった。虫の居所がそもそも悪かったのか、私たちが苛立つ虫のような存在だったかは分からなかった。
「それなら話は早い。上野咲さんとはお知り合いかな?」
伊丹はそんな彼女の様子は意に介さず、丁重というか白々しすぎて、馬鹿にしているともとれる口振りで話した。これには彼女も怒り心頭に発すると思ったが、そうはならなかった。
「あなたたち、上野ちゃんとは……どんな?」
一気に彼女の表情は草臥れたものとなり、語調も柔らかいものとなった。私はこのとき、嫌な予感がした。
「いや、ね。数日前から上野さんと連絡が取れなくて、少し心配でついでに寄ってみたんだ。ああ、ストーカーじゃないからね。何かに誓う」
伊丹は質問には答えず、堂々とほらを吹きながら、おどけてみせた。胡散臭さの真骨頂だったが、私の印象とは真逆に彼女は信用の顔色を私たちに見せていた。
「そ、そうなんですか、伊丹さんと……」
「コイツはとりあえずいい。それで上野さんは?」
伊丹は急かすように私を蔑ろにした。しかし、こんな聞き込みをしているのだから名前が割れないのは好都合だった。
「実は上野ちゃん、五日前、交通事故にあって……意識不明らしいんです」
私は正直、肝が冷え切って砕けそうになった。何だ、この展開は。どこぞのホラーだというのか。
「本当かい」
伊丹は驚いたように小さく答えると、顎をさすって何かを考えていた。私と言えば声が出なくなっていた。
「あの、よければ上野ちゃんが入院している病院、お教えしましょうか?」
彼女は丁寧な口調で言って、鞄からメモ帳とペンを取り出した。
「ありがたいです。どこですか?」
そうして彼女は紙に文字を書き出して伊丹に差し出した。
「面会謝絶らしいですけど」
彼女は付け足して、弱々しく笑って言った。
「ありがとうございます。では……」
私は彼女にアマバタ様のことを聞こうとした。しかし伊丹に睨まれ、中断を余儀なくされた。
そして、その場を離れた。
「お前、アマバタ様とやらを聞こうとしたろ」
掲示板の廊下を渡っているときに伊丹が言った。
「私たちはそれを聞きにきたわけだ。もしかすると入院の件も……」
「騙りだと? それはないな」
「何故だ」
「演出で上野咲に何かあるならケガ程度でいい。それで事情を本人から聞く。ストーリーテラーが上野咲ならなおさらな。それか音信不通とか、尻尾を掴めないような方法だな。でもさっきの子はどこかから連絡がきて、俺たちに入院先まで教えてくれた。面会謝絶らしいのは音信不通とも言えるが、きっと本当に入院してるだろう」
「理由が説明されてないぞ。それでなんなんだ」
伊丹はもったいぶって言った。
「さっきの子の様子を見れば一目瞭然だ。あれは友達の不幸を悼む子の優しい目だった。俺の妹と同じだ」
「理由になっていない」
私は断固、抗議した。
「しかしだな、これがもし夏の催し物だとして、あの状況でアマバタ様とかいう、わけの分からないものを訪ねるのはどうかと思うぞ」
伊丹のもっともな意見に私は何も言えなかった。そして私は少し神経過敏になっていたと気づいた。去年のことが思い浮かんで、どうにか相手の思惑を看破してやろうと躍起になっていたのだろう。
「きっと偶然、上野咲はタイミングを図ったように交通事故にあった。アマバタ様が続き物だったとしてもこれで終わりさ」
伊丹の言うとおり、ストーリーテラーがいなくなった物語は続くことも終わることもない。明暗のように。
「ただまあ、落ちとしてはいいんじゃないか。上野咲には悪いが」
伊丹の意見には同感だった。下手に続くより、このほうがよかったのかもしれない。
「それかいっそ、俺たちが引き継ぐか、アマバタ様を」
私は伊丹の提案を却下した。私としてはもう、燃え尽きたような心持ちだったからだ。それにどう話を展開すればいいのか、整合性はあるが、面白くないものすら思いつかなかった。
「しかし五日前と言えば、お前が上野咲と出会った日だな。できすぎてる感じが気持ち悪いな」
そして病院に確認を取った。病院は渋々答えてくれた。
上野咲は確かに入院していた。
●
数日が経った。日中の暑さは和らぐこともなく、いっそう右肩上がりの気温で私たちを苦しめた。
日が暮れて、月の時間になっても熱が引くことはなく、毎日が熱帯夜だった。しかし、それは私がコンクリートの中に住んでいるからだと、夜の林に立ってみて分かった。
「涼しいな。今日の気温も変わりなく暑かったが、ヒートアイランド現象も馬鹿に出来んな」
伊丹が感心したように言った。誰に言うでもない呟きは、あたりにいる人々のざわめきと一体となっていく。
「何人集まったんだ。もう二時だというのに」
「二、三十人はいるんじゃないか?」
「馬鹿だな。私たちも含め」
「伝統やら文化というものは、守られるべきだ。一見、阿呆でも」
誰が誰とも知らずに企画され、いつの間にやら噂が広がった肝試し大会があり、何と無闇に集まった阿呆の一人に私はいた。大学の裏にある林で詳細は不明のまま、ただやると告知された肝試しになんとなく心惹かれるのは仕方がない。私たちの耳に、この話が入ったのは昨日のことだった。
いつものとおり、私と伊丹と皆川の三人で酒盛りをしていた。場所はもちろん伊丹の部屋で、丸テーブルを囲んでいた。
「明日、どこの誰だか、どのサークルかも不明なんだが、肝試し大会があるらしい」
皆川は文芸部に所属しており、眼鏡をかけて背丈は控えめ、見るからにインドアな風貌だったが好青年と言っていい印象を受ける。人は眼鏡をかけると、なんだか胡散臭くなるか、なんだか誠実そうに見られるようになる。皆川は後者だった。そのためか人望も無駄に厚く、顔が広かった。そのおかげで肝試しの話も聞きつけたのだろう。ちなみに皆川は文芸部に籍を置くが、去年の惨事には無関係である。むしろ被害者である。
「となると、それが今年のイベントか」
伊丹がミックスナッツの中から、カシューナッツを選び取りながら言った。
「大規模なものはこれと、我々主宰のものか」
皆川は携帯を弄びながら言った。予定でも確認しているのだろうか。
「何か皆川からリークはないのか」
「少しでも情報を漏らしてみろ、校内引き回しで済むかどうか」
私が一週間後のほうについて聞くと、皆川は冗談を言っているつもりはないようで、神妙に枝豆をつまんだまま、それを遠い目をしてそれを見ていた。
「二人とも、申し込んだか。文芸部のほうは」
「ああ、一応な」
伊丹は答えた。
「私も」
私も続いて答えた。申し込みと言っても、文芸部の部室の前に置かれた空白名簿に名前を書くだけだった。
「参加料をとらんで運営できているのか?」
「出資者は募れば、選り好みできるほどだよ。去年の一件で一入だ」
皆川は誇らしげに答えた。あんなイベントでどんな企業やら何やらがスポンサーになりたがるのか想像がつかなかった。しかし、つかなくていい嘘であるから本当なのだろうと思った。
「それより、肝試しはなんなんだ」
伊丹が聞いても意味のないほうから引き上げ、皆川に聞いた。
「さあな。全く謎だ。誰が主宰かも分からないし、噂話も又聞きを繰り返しているようで、要領を得ない」
「それ、本当にやるのか?」
「火のない所にだ。やるだろう。やらないという悪戯かもしれないが」
「そりゃあ、どちらかだろう」
無意味な結論を出した。
皆川の話をまとめるとこうだった。明日の午前二時に、正確には明後日になるのだが、大学の裏の林で自由集合とのことらしい。しかしビラも告知らしい告知もなく、ただ口伝えでしかない。まとめるほどの内容もなく、ただそれだけのことらしい。
実際これしか情報がないと、反対にそれらしくなり、そういうエンターテイメントなのだろうと期待が膨らんだ。参加しない理由はなかった。騙されてもいいと、心のどこかで思っている。それは伊丹も皆川も同じだった。
かくして私と伊丹は午前二時少し前に、林に馳せ参じたのだった。定刻まで酒をちびちび呑んでいたのだが、皆川は酒の相性が悪かったのか、少ない量で酔い潰れてしまい、伊丹の部屋に置いてきた。
大学の囲む塀に沿って、裏へ裏へと向かう。最初のほうは住宅街でもあり、街灯が道を照らす。奥に行くにつれ家々はまばらに、街灯が少なくなる。街灯がなくなるころ、大学から漏れ出る灯りが幽かに景色を浮かばせる。急に家が目につかなくなり、道も気づけば堅い道から一面が雑多な草に覆われ、芝のようになっている。人工の灯りは消え失せ、半月の明かりだけでは心細い。私の背の二倍ほどの木がまばらに生えているのが、月明かりに薄く影だけを現す。木々は少しずつ密度を高くしていく。いつの間にか林になる。月明かりも木々の天蓋のせいであまり届かない。足下の草も、少し背を伸ばした。暑さに根を上げ、林に半ズボンで来たのは間違いだった。虫除けはしたが、半袖で来たのも後悔に値する。
しかし野生ではなく大学所有の林なので、ここまでの道は分かりやすいほどに整備されていた。ほとんど人工林であった。人工自然というものだろう。その証拠に林に入って間もなく、円形に開けた場所がある。
そこを見据えると狐火がゆらゆら揺れているのが覗えた。それも十個ほど。それが携帯の液晶だと気づくのに時間はかからなかった。ほどなくして、高揚したような、不安を楽しむような、不思議な抑圧された興奮のさざめきが聞こえてきた。
集合場所らしかった。だいぶ人はいたが、狭くはない。見たような顔も知り合いもいた。知らない顔もいた。一様に楽しげにしている。適当に挨拶を済ませ、すでにいた人たちから、一定の距離を取るように待機した。
そして今にいたる。
「えー皆さん。くじを配ります。ひとり一枚、私から受け取ってください。肝試し大会については、直前に説明します」
ここに着いて五分も経たず、男の声が鳴る。私たちを含め、そこにいた一切が音を立てるのを止め、そのアナウンスを聞いた。柔い風が吹いて、草木が擦れる音が際立った。そして肝試し大会は実際にあるのかと、誰かの安堵の溜息を聞いた。
一列に我々は律儀に並び、くじを受け取った。こういうとき統率が騒ぐことなくとれるのは、様々なイベントをくぐり抜けてきた経験からだろう。
くじを受け取るとき、配る人物の顔を覗き込んだが、帽子を目深にかぶり、マスクをしていた。夜の暗さも助け、誰だか見当もつかなかった。伊丹も分からなかったらしい。
くじには数字が書いてあった。
みんなに配り終え、五分ほど経った。そしてまたアナウンスが響く。
「配り終えました。のべ三十人。素数でなくてよかったです。なので二人一組でいきます。三十と一、二十九と二、くじの数字の合計が三十一になる人とペアを組んでください」
わいわいと声が沸き立つ。いかにも恐ろしいのを楽しんでいる、そんな声だった。
一定に取られていた人と人の距離を破り、めいめいにペアの相手を探しはじめた。
「いくつだった。俺は三」
「私は五だ」
次々まわりでペアが出来ていく。ペアがあと少し出来たら、私も人を探そう。
「こういう趣向だとは思わなかった。もっと真面目にホラーかと思っていた」
伊丹が言った。
「そうだな。でもいいじゃないか。楽しそうで」
「でもなあ、仲がいいから成立することもあると思うのだよ」
私たちは黙った。これから始まる肝試し大会に、そしてペアになる相手に期待と不安を感じていた。
「二十八だ」
野太い男の声がした。
「行ってくる」
伊丹がそう言って、声のするほうへ向かって行った。
「五だ。二十六はいないか」
私も声をあげる。
「あ、あたしが二十六です」
後ろから女の子の声がした。聞き覚えのある声だった。
振り向くとすぐ目の前に、先日上野咲の話を聞いた眼鏡のオカルト部員がいた。月明かりで大きな眼鏡のレンズがキラリと光る。空が開けているせいか月明かりはよく通って、彼女の顔もよく見えた。
「あなたは……」
彼女のほうも気づいたようで、私に何か言おうとするが名前が出てこなかったようだ。名乗っていないのだから当然だ。私のほうも同じくだった。
「伊丹さんと一緒にいた……すみません」
「いえいえ、私は名乗ってませんから。
私も彼女も、まるで初対面のように探り探りの言葉選びをして、丁寧が過ぎるような間合いで話していた。
「あたしも言ってませんでしたね。
「いえ、こちらこそ」
榊さんはぺこりと頭を下げた。私も倣った。
何を話せばいいものか。まわりの喧しさに比べて、私たちは閑かにしていた。気まずくなってしまって、何か話さなければいけない気になってくる。
「今日は、一人で?」
「ああ、はい。上野ちゃんと来る予定だったんですけど、気晴らしに。宍戸さんもですか?」
「いや、伊丹と」
また沈黙。話題を探す。こうなると厭でも話題は、ここ数日で忘れかけていた上野咲へと寄っていってしまう。
「上野さん。どうですか」
冷静でいたはずなのだが、無愛想な聞き方をしてしまった。
「まだ意識不明らしいです。でも命に別状はないって。ふふ、現実で聞くことになるなんて思いもしませんでした」
榊さんは弱々しく笑って答えた。表情は覗えなかったが、俯き加減から憂い顔であるのは想像がついた。
「そう、ですか。よくなるといいのですが」
私も可愛らしい印象の残る上野咲を思い起こすと、少しだけ胸が苦しいような気がした。
「その、宍戸さんは上野ちゃんとどんなご関係で?」
私は返事に窮した。上手い具合に問いを躱せる屁理屈が思い浮かばない。ううんと唸って時間を稼ぐも、駄目だった。結局、白状するように上野咲との関係未満の関係の説明をした。それにはアマバタ様のことも、絡めざるを得なかった。友達だなんだと適当を言ってしまえば、それでよかったのかもしれないが、あとになってボロが出るのも怖いので白状したのもある。何より上野咲が目覚めてしまえば、それまでなのだから。
「そう、だったんですか」
榊さんは私を見ることもなく、くじの男に説明を受けている最初のペアを見て言った。
「すみません。なんだか不謹慎で」
「いいんです。事故を想定できる人なんていませんし、それにもし上野ちゃんが今日来ていたら、奇数になってきっと大変でした」
榊さんは向き直って、私に微笑むように言った。流石に笑えなかった。榊さんと上野咲の関係性が見えてこなかった。
「その上野さんって、そういう、悪戯をしたりする人だったんですか」
話題を変えるように聞いた。また別のペアが説明を受けている。その後ろに伊丹のペアがいた。おそらく、一番から順に説明を受けるのだろう。私たちの番もそろそろだった。
「いいえ。でも、悪戯としか考えられませんよ。去年のアレにほだされたんでしょうか」
当惑するような口調で榊さんは言った。
「アレ……そうですね」
「アマバタ様。どんなお話だったんでしょう」
榊さんが携帯の時計を見ながら呟いた。横目に見ると二時半を回っていた。
「気になりますか」
そのころにはもう、忘れていたアマバタ様と好奇心を思い出していた。私は同士を見つけたような心待ちで聞いた。
「まあ、多少は。上野ちゃんのお話ってとても面白いんですよ」
月明かりに榊さんの晴れやかな顔が浮かんだ。仲がちゃんといいのだなと人知れず安堵した。
「それは、オカルトサークルでは創作も?」
「一応。文化祭ではアンソロジーも出しました。去年のはほとんど上野ちゃんが書いたんですよ」
榊さんは少し嬉しそうに言った。
「漫画ですか?」
「いろいろですけど、上野ちゃんは小説です。アマバタ様もきっと、ちゃんと考えられてたと思いますよ」
私は噛み締めるように相づちを打った。上野咲は一体、どんな話を考えていたのだろうか。妄想が尽きない。しかしどれもまとまりがなく、私には創作の才がまるでないのだと気づいた。
「上野さんは一人で計画してたんでしょうか」
私はふと、思い至って聞いてみた。榊さんはどうでしょうと、寂しそうな顔をした。
「少し妬けますね。あたしもアマバタ様のことなんて露知らずでしたから。部員に聞いてみたら、協力者がいるかも」
もしかするとアマバタ様の謎が解けるかもしれない。そう思うと心が躍る気がした。束の間、上野咲があの部屋にいた光景が脳裡をよぎった。
「上野さん。早く意識が戻ればいいですね」
「不謹慎ですよ。それは」
「ああ、いや。別に意識が戻れば話が聞けるとかそんな……」
しどろもどろになりながら弁明をする。するとふふっと榊さんが笑った。
「なんとなく、分かります。いい人っぽいですもん、宍戸さん。上野ちゃんほったらかして、アマバタ様の話してるほうが不謹慎ですよね」
榊さんは俯いて、右手の指で左手の指を包んで揉み手していた。その声は途端に深く落ち込んで、悲哀の情が私にも伝播してくるようだった。
友人が意識不明だなんて経験は私になかった。家族が亡くなったことはある。祖母が亡くなったとき、それは悲しかった。でもそれは、榊さんの抱えるものとは毛色が違うのだろう。終わったのではない。上野咲の場合、継続なのだから。
心配は尽きず、胸は痛みにただれそうなのではないか?
榊さんの様子を見て、ふと気がついた。今さっきまで、ずっと虚勢を張っていたように思えてならない。ここに来たのも、きっと苦しさゆえに足が向いたのだろう。うなだれる榊さんは泣いているようにも見えた。
「五番のペア、こちらへ!」
アナウンスの声がする。
「生きましょ。宍戸さん」
榊さん爽やかに言った。鼻声だった。
思わず、謝ってしまった。
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