第16話

暗く重い水が全身を包む。泡が上昇した少しあとに、俺たちも海面に浮かび上がった。

「いるか!みんな!」

俺が呼びかける。シヴァドのすぐ隣でトオガがばたばたと泳ぎ、アザハとクロナがそこに近づく。

「無事だね、皆」

「うん。あとは船が来ればいいんだけど」

アザハがそう呟く。そこそこの量の荷物を背負っているせいで、泳ぐのに苦労していた。

「おい、船ってあれじゃねえか」

流れてきた海藻をかき集めながらトオガが波の隙間を指さした。闇に紛れて巨大な船が白い波動を成してこちらに向かってくる。

「あんたら!生きた人間だな!」

甲板から男の声が聞こえて、すぐに縄梯子がおりてくる。

「つかまれ!」

声をかけられて、クロナ、アザハ、トオガ、シヴァドの順で船に乗り込んだ。

「珍しいこともあるもんだね。誰が引っかかったんだ」

豪雨の中、女性の声が重く響く。白い帆がばたばたと鳴り響いて音を掻き消している。

「ガキですぜ、姉御!しかも弱っちゃいねえ、元気なガキだ!」

船長室から出てきたのは、体の大きい女性だった。無造作に後ろで括られた背中までの長い緋色の髪と、膝下までの黒く分厚いコートが風ではためいている。歩くたびに爪先の尖ったブーツがごつごつと音を立てる。

「元気だって?生きてるのと元気なのは違うんだぞ」

青い目で俺たちをじろじろと眺めながら呆れたように男を小突いたが、シヴァドに視線を止めてにいっと大きく笑った。

「まとめ役はあんたか?」

「はい」シヴァドは仲間の前に出て女性と向き合った。

「目的があって海に飛び込んだのかい?」

「はい」

「…随分頑固じゃないか。聞けば目的ってやつも教えてくれるのかい?」

「言えないことも多いですが、できる限りは」

シヴァドの返事にくくくっと肩を震わせて笑い、女性は言った。

「あんた、宝を持ってるね」

視線はシヴァドのほうを向いていたが、実際に見ているのは胸ポケットの中の俺だ。そういや俺はこの世界では神の石で、二十個しかない存在だった。

「乗せる価値のある宝だ。役立ててもらうよ」

新しい足音がして、船室から大きな火傷の跡がある髪の長い男がのっそりと現れた。細身でスーツを着てネクタイを締めている。

「キャプテン。この調子では雨が止むのはまだ後だ。雨水を掻きだす準備をしておくといい」

キャプテンと呼ばれた女性はスーツの男に声をかけた。

「客だよ。船室に案内してやりな」

「了解だ。ついてこい」

俺たちは言われるままに甲板から船室に降りた。

「俺たちはイミド王国やフルロ連邦から逃げのびた海賊だ。お前たちのような生きた人間を拾うのは珍しいが、拾えないほど困窮はしていない」

そう言いながら転がっていた漬物用と思われる瓶を手に取り、トオガに投げた。

「その海藻は入れておけ。俺にはその重要性が分からないが…大事なのだろう」

それから少し大きめの部屋のドアを開けて、アザハとクロナに入るよう促した。

「小さいのはしっかり休ませろ。既に体調がよくないはずだ」

「は、はい…」

アザハが戸惑いながら返事をしたのを確認して、男は扉を閉めた。すぐ隣の部屋の扉を開けて、シヴァドとトオガを案内する。

「お前たちはここだ。お前たちの正式な処遇は明日決める。今日は寝ておけ」

ドアが閉まる。俺たちは自分の体が濡れていたことを思い出して服を脱いだ。

「これって…手配されてた船か…?」

シヴァドの疑問に、トオガが楽観的に答える。

「それを考えるのは明日だ」

「明日か…そうだね」

二人はランプを消した。俺はずぶ濡れのポケットの中で船に揺られながら、なんとなくシヴァドとトオガの寝顔を見ていた。二人は床に適当に置かれたブランケットの上で丸まって寝ている。そういえば隣の部屋には、一つだけだがベッドがあった。向こうの部屋の様子も気になる。ひとまず全員が無事だったのには安心だ。だが、ここから先も無事かは分からない。この船が沈むなんてことになれば生き残れないだろうし、俺だけ奪われて船からシヴァド一行を突き落とされるかもしれない。

「やっぱりできることが少ないな…これが神って本当か?」

小言を呟いて、俺は朝までの退屈に耐える覚悟を決めた。

「…ん?」

俺に手があれば目を擦っていた。俺が知らない誰かに握りしめられている。

「どこだこれ…?いや、どこだってのも違うな…」

俺が呟くと、誰かは問いかけた。その空間に他にも人がいるらしい。


「何か仰いましたか?リアド王国軍部副議長、マルべ殿」


「いいえ、何も。これから話そうと思っていたところですよ」

その声は確かにマルべの声だった。不用意に声を漏らしたことを反省しながら、俺は出来る限りの情報で現状を理解しようとした。マルべは確か、帝国に向かうと言っていたはずだ。俺たちが国を出たときにまだ戻っていないなら、ここは帝国ということになる。となると俺の方の説明がつかない。一瞬であの船から帝国に移動したということか?だが、俺は帝国のどこかの室内の様子も、シヴァドとトオガが寝ている様子も、どちらも認識している。

「何を持っているのです?」

マルべが問いかけると、男は観念したような表情で俺を机の上に置いた。

「流石、鬼の軍曹とまで謳われた男だ。何でもお見通しというわけか」

部屋はそう広くなく、地味だが品のいい革の長椅子が箱のような机を挟んで向き合っている。片方の椅子には黒いスーツを着たマルべが一人で座っており、膝の間で手を組んでいた。一方の帝国側の男は、背中まで伸びた白い白髪を額で分け、神経質そうな細面の顔と、それでいて野性的な青い目をマルべに真っ直ぐ向けている。こちらは胸当てや膝当てを着用しており、背後に武装した五名ほどの兵士を立たせていた。

「この部屋で長い武器を振り回すことはできないでしょう。短剣の心得のあるものか、魔法を使うものを率いてくるべきでしたな。エンタル将軍」

長い白髪のエンタル将軍はふっと笑った。

「いつだって歴史というやつは未来を傷つける。私は神の石を守るという貧乏くじを引いた。彼らは神の石を守るための人員だが…同じくこの部屋に来るというハズレの役割を選ばされたのさ」

そう言い終えて、エンタル将軍はすっと顔を上げて真っ直ぐマルべを見た。

「あなたにも役割があるだろう?」

「国境で私の国の魔法研究者が殺害されました。その件について知っていることがあればと思い、尋ねに来たのです」

マルべもまたエンタル将軍を見て答えた。将軍は思い当たることがあるようで、部下に報告書を渡すよう促す。

「国境のエルタ山で巨大な火柱が上がったと報告を受けている。関係があるのか?」

渡された書類をマルベに差し出しながら言った。

「現場で魔法使いが唱えた魔法とされています。被害者の防御魔法を貫いたというのがこちらの見解です」

「それで、帝国側になにかないかと思い来たというわけか…よろしい。犯人を探しておこう。こちらとしても、あらぬ疑いをかけられ続けるのはごめんだ」

エンタル将軍は決断的にそう言い放った。なぜ俺がこっちにいるかは分からないが、交渉はどうにかなりそうだ。

「マルべ副議長、被害者にも直接会って話がしたい。なるべく近いうちに会わせてもらえるか?」

どうにかなりそうだったのに、一気に雲行きが怪しくなってきた。マルべはまだ俺たちが指名手配されたことを知らない。エンタル将軍の質問にマルべは表情を変えず、淡々と答える。

「証人次第です。正確には、証人を取り巻く環境次第です」

将軍が不思議そうな表情でマルべを見た。「来ない可能性があるのか?」

「本人は来るというでしょうが、我々よりさらに上の機関が圧力をかける可能性があります」

それを聞いて、エンタル将軍は何かを察したように溜息をついた。

「来てもらわないことにはこの事件は終わらないぞ」

「将軍」


轟音と共に船が揺れた。


話が突然途切れて部屋は見えなくなり、船内に全ての感覚が戻ってきた。

「なんだ?」

シヴァドが飛び起きる。上の方が騒がしくなり、船全体が大きく揺れた。

「ダイオウイカだ!」

誰かの怒鳴り声が聞こえる。部屋を出ると、隣の部屋からアザハも飛び出してきた。トオガにクロナを任せて、俺とシヴァドとアザハは甲板にのぼった。

「なんだこれ…?」

ぬめぬめしたマストほどの巨大な胴体、緋色の眼球に真っ黒い目、巨大な触腕。凄まじい敵意と共に、ダイオウイカが船を沈めるべく甲高い絶叫で夜の闇を切り裂いていた。

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