第14話

俺たちはまだ朝日が水平線を染める前に起きて出発した。これから向かうのは北のセタール岬だ。海流が穏やかなこの季節になら、あまり大きくない船でも接岸して四人を運ぶことはできるだろうということだった。今日の夕方あたりに岬に着くのが理想だ。

「朝にしちゃ暗いな」

そこそこの速度で駆ける馬の背でシヴァドが呟くと、トオガが反応する。

「雨雲かもしれん。急いだほうがいい」

向こうの景色は見えないが、しばらく草原が続いている。地面はなだらかな起伏に波打って俺たちを導いていたが、先行きが安心とは思えなかった。俺たちはもうすぐにお尋ね者になるからだ。

「おい待て!貴様ら!」

前方に突如わらわらと人が集まり始め、その先頭の男が大声をかけてきた。手綱を引いて止まると、汚い身なりをしている男たちの様子がはっきりとわかる。

「山賊か?」

「そう呼んでくれていいぜ」

カトラス刀らしき幅の広い剣をボロボロの鞘からゆっくり引き抜いて、山賊たちは野卑た笑みを浮かべる。未来のお尋ね者と、現在のお尋ね者との感動の邂逅の瞬間だ。心の底から嬉しくない。

「金目の物を置いてけよ。今ならそれだけで許してやる」

お尋ね者として百点の脅しを口走り、完全に臨戦態勢だが、馬には乗っていない。馬の足があれば逃げ切れるだろう。

「加速しろ!」

シヴァドが剣を抜いて一振りすると、俺たちの馬はこれまでより明らかに速い速度で駆けだした。

「振り落とされるなよ!」

山賊たちは事態を察して次々に罵声を浴びせ始めたが、それもつかの間、いくつもの人影はたちまち巻き上げられた砂塵に隠れて見えなくなった。

「ここまでくれば大丈夫だろ…」

トオガは大きく息を吐いた。俺たちは一度、泉の近くで馬を休ませることに決めた。

「加速魔法を使いすぎると馬に負荷がかかるから、今日の分はこれで打ち止めだ」

シヴァドはそう言いながら剣の様子を確認していた。アザハは泉で馬に水を飲ませている。

「…ん?」

アザハが視線を落とす。泉の水面が不自然に揺らぎ始めた。

「何かの揺れが伝わってる…?」


「魔獣だ」


クロナが思い出したように波の伝わってくる方向を振り返る。

「魔獣ってなんだ?」

「魔力を帯びた結果、暴走したり巨大化した生き物のことだよ」

ポケットの中から問いかけた俺にアザハが説明する。

「さっきの山賊の方にいる」

シヴァドはすぐ立ち上がり、来た道を戻ろうとした。

「どこ行くんだ」

「彼らが危ない。揺れが伝わるってことは距離も遠くない」

「は!?助けに行く気か?」

だらりと座っていたトオガがはじかれたように立ち上がり、シヴァドの肩をがっちり持って押しとどめる。

「もうすぐ追われる身だってのに戻るのかよ」

「見捨てられないだろ…」

目をまっすぐ見ながらシヴァドは声を捻りだした。なんとなくファーゼンのことを思い出しているように見えた。

「分かるよ、分かるけどさあ…」

「行くの?」

戸惑うトオガに、クロナが声をかける。口を開いたままでトオガは硬直した。

「いくら指名手配と言っても、すぐにその情報を広げるのも難しいと思う。助けられる」

アザハも同調する。

「…間に合うのか?」

「馬より少し遅いけど、十分間に合うはずだよ。平地だから障害物も少ない」

トオガは笑いながら溜息をついた。

「俺は馬を見ておくよ。しばらくしても戻らなかったら向かう」

シヴァドは剣を抜いて、自分とアザハとトオガの靴に加速魔法をかけた。

「助かるよ」

俺たちは駆け出した。なんなら馬より若干早いくらいの速度で、三つの影が平原を過ぎる。

「思ったより速い!」

「思ったより魔法が効いたんだ!」

驚くアザハにシヴァドが答える。

「岩石蛙だ…!」

随分遠いのにクロナには敵の姿が見えたらしい。

「ねえ何!?岩石蛙って何!?」

速度に慄いた俺が大声を張り上げたが、誰かが説明する前にその姿が出現した。

確かに蛙ではあったが、体高がシヴァド三人分くらいある。体表は岩石で覆われているようだ。色味は灰色と茶色のモザイクだが、時々背中周りの皮膚が鈍く光っている。

岩石蛙は乱暴に跳ね回って山賊たちを蹴散らし、ゴブゴブと醜い鳴き声を響かせながら、長い舌を突き出して山賊たちを飲み込もうとしていた。

「距離を取れ!懐まで入ると潰れるぞ!」

岩石蛙を口々に罵りながら、山賊たちは言われたとおりに遠巻きに攻撃している。シヴァドは限界まで加速した勢いのままに跳び、剣に赤い火球を宿した。

「ここだ!」

岩石蛙の目に向かって、一息に剣を振りぬく。突然眼球を焼き尽くされた魔獣は、自分の眼前に着地した乱入者を脅威とみなした。シヴァドは岩石蛙の目を睨みながら、山賊たちがいる場所とは逆の方向にするりと移動する。

岩石蛙は大きく口を開き、舌をぐわっと前に突き出してきた。その舌を紙一重で躱しながら剣を近づけると、みるみる舌が冷気に包まれて凍ってゆく。太くて汚れた絶叫を響かせながら逸らした岩石蛙の背にクロナが飛び乗る。怒りに身を任せて飛び回る岩石蛙の背の柔らかい皮膚が露出した部分に、小さな少女は電撃を帯びた拳を浴びせかける。クロナは飛び降りて着地した。全身が痺れて明らかに動きが鈍くなった魔獣が、ゴッゴッと喉を膨らませ始める。

「まだだぞ野郎ども!かかれ!」

山賊たちは各々の武器で岩石蛙の左側面を攻撃し始めた。既に麻痺から解き放たれた右腕をぶんぶん振り回しながら、なおも岩石蛙は喉を鳴らしている。

アザハに左足の腱を切断されてすぐに、岩石蛙の左腕も動き始めた。紫に化膿したその足の傷口からは腐敗臭のする煙が立ち込めている。シヴァドは岩石蛙の右に回り込んで遠巻きに魔法で攻撃し、注意を引いていた。上半身を再び反らした岩石蛙の左足にアザハが追い打ちの一撃を加えると、大きく体勢を崩して腹部を地面に強打した。クロナが飛び上がり、魔法で岩石の装甲が削れた背中にしがみつく。

「次こそ…!」

岩石蛙がこれまでで最大の絶叫で空気を引き裂いた。その背中から紫色の血が派手に飛び散る。

「素手で脊椎を引きちぎるつもりか…?」

シヴァドが半信半疑で呟いた。次の瞬間、クロナが予測を現実にした。白い骨と黒髪の少女の姿が、おびただしい紫の中に見える。岩石蛙は最後に絶叫を残し、二、三度痙攣した後完全に動かなくなった。背中から滑り落ちたクロナをアザハが受け止めて背中に背負う。シヴァドが再び加速の魔法をかけた。俺たちは呆然とする山賊を放置して、自分たちの進行方向に真っ直ぐ突き進んだ。雲が太陽を覆い隠し、不吉な明るさを帯びて俺たちを見下ろしていた。

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