第8話

カナグラは夜遅くに帰ってきた。机の上の様子を見ても表情を変えず、淡々と静かに片づけ始めた。

「あんた、ファーゼンと親しかったんだってな」

「ああ」

「ファーゼンが帝国にいたとき、何か持ち去ろうとしてるみたいな話を聞いたことがあるか?」

俺はファーゼンが自分のことを簒奪者と言っていたのが、どうも引っかかった。カナグラは意外そうな表情で俺を見下ろした。

「私は聞いたことがない。恐らく持ち去らなかったか、あるいは持ち出しても他人に言わなかったか、私以外の誰かに言っているかだろう」

カナグラが無骨なストーブの油にマッチで火を点けてお湯を沸かし始めた。

「キュプラ。君は睡眠をとらないのか?」

「とらないな。だからって暇でもないけど、特にすることもないな」

部屋の隅で木剣が月光を浴びた。単純な形が浮き彫りになる。

「なぜシヴァドに剣を使わせるんだ?」

「…これは経験則だが、魔法は触媒を用いることで効果を強めることができる。魔法の杖は、それ単体での機能よりも触媒としての側面を重視して発達してきた。しかし、裏返せば、触媒として優秀であるがために、使用者が触媒のとしての力を引き出すには向いていない」

「全自動で剣を作る装置ができたせいで鍛冶屋の腕が落ちるみたいなことか」

「大まかに言えばそういうことだ。普通なら特に構わないだろうが、シヴァドは魔法を研究している。多くを学ぶことになるだろう」

カナグラはゆっくりと立ち上がり、木剣に歩み寄る。

「私は剣を触媒として魔法を使う術を作り出し、何人かに伝えた。シヴァドもその一人になる」

木剣は浮き上がってカナグラの手に収まった。穏やかに剣を水平に振ると、青い光の軌跡が浮かんでストーブに向かう。

「初歩的な火の魔法だ」

光は油に触れて再び燃え上がった。

「私は少し寝て、また軍部に向かう。そのことをシヴァドに伝えておいてくれるか」

「問題ない。俺は物覚えがいいんだ」

その言葉を聞いて、カナグラは木剣を置いて自分の寝室に向かい、扉を閉めた。二つのドアの向こう側にいるのは違う人間だったが、多分同じようなことを考えているのだろうと思った。


シヴァドが起きたのは昼頃だったが、カナグラは何も言わずに食事を用意して出かけていた。おはようとだけ言って、シヴァドは黙々と食事を終えた。

「…ありがとう。落ち着いたよ」

「そりゃよかった。まあ今日はゆっくり休んだ方がいいだろうな」

「そのつもりだよ」

ようやくシヴァドは柔らかい表情を浮かべた。俺は昨日カナグラが言っていたことを伝え、いくつか質問をされた後にまた黙り込んだ。高く昇った日差しが外で街並みを照らし、シヴァドの手の下に強い影ができていた。

ドアをノックする音が聞こえ、シヴァドが返事をして立ち上がる。

「あの…こんにちは」

アザハが一人でぽつんと立っていた。昨日剣を教えていた姿とは大きく印象が異なるが、思い返せば昨日来た時もこんな感じだった。

「剣の練習ですか?」

「違う。入っていい?」

「どうぞ…」

戸惑いながらアザハを招き入れると、シヴァドはまた椅子に座らされた。彼女は右手に持っていた留め具のついた木の箱を机の上に置いて開ける。中から包帯と塗り薬を取り出して、シヴァドの手をてきぱきと治療してゆく。

「ありがとうございます」

アザハがそのお礼を聞いて「口調」と呟いた。

「え?」

「怖いからやめて。もっと…なんか、適当でいい」

アザハが包帯を巻きながら、少し強い口調でシヴァドに言った。俺はアザハと仲良くなれそうな気がしてきた。それでも戸惑っているシヴァドの手に包帯を巻き終えて、目をまっすぐに見て告げる。

「友達になってほしい」

「分かりま…分かったよ」

シヴァドはなんとか言葉を捻りだした。最初に俺と話すときの他人の表情を思い出して、少し申し訳ない気持ちになった。

「敬語が怖いの?」

「うん」

「…理由を聞いてもいい?」

「私の両親を殺した貴族の口調が丁寧だったから」

簡単にアザハと仲良くなれそうだと思った自分が恥ずかしくなった。俺の様子がアザハに伝わっていないのが救いだった。

「友達が僕でいいの?」

アザハは取り出したものを再び箱にしまいながら答える。

「いいの。似てるから」

「そっか」

差し込む日光も相まって、シヴァドの表情はいつもよりさらに穏やかに見えた。ファーゼンのことを思い出しているのだろうと、なんとなく思った。

アザハは親を失った後、貧民街に駆け込んで裏路地を隠れながら過ごしていたが、マルベに拾われて剣術を教わり、現在に至るとのことだった。本人は淡々と話していたが、想像もしたくないような経験を積んできたと想像するのは難しくなかった。シヴァドも大事な人を失っているという点で、二人の境遇は確かに似ていると言えた。

「あの」アザハがシヴァドに声をかけ、シヴァドはアザハの顔を見る。アザハが少し俯いて、黒い髪が表情を覆い隠していた。

「さっき言ったみたいな暮らしだから、私、勉強できなくて…教えてほしいって」

大声よりも小声に驚くことがあるのかと思いながらアザハを眺めた。恥ずかしそうに視線を伏せている。

「学者さんでしょ?」

「まあ、そうだね」

「…教えてほしいことがたくさんあるんだけど」

「任せて」

シヴァドは立ち上がり、自分の部屋から鞄を持ってきた。それから中の書類を取り出し、一つずつ説明し始めた。

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