第7話
一連の事件が解決するまでの期間、俺たちは軍部の世話になるらしい。軍部とはいっても、実際には『戦略議長』の椅子に座っていた老人、カナグラの借り家に住むことになった。顔は細く、頬にも目の周りにも肉がついていないためか、カナグラは表情をほとんど変えず、一見すると不愛想に見えるが、マルべ曰く気さくな人だとのことだった。短く整えられたオールバックの白髪の下の顔を見ると、とてもそうとは思えない。真っ直ぐ伸びた背に確かな歩みを見ると、やはり厳しい人に見える。
借り家は周囲の街並みと同じで小さかった。部屋は三つ、台所のついたリビング一つと小部屋二つだけだ。片方の小部屋にカナグラが、もう片方にシヴァドと俺が割り当てられている。
使用人などはいないらしく、数少ない荷物を部屋に置いたらすぐに掃除を始めることになった。カナグラにその様子をリビングの隅から見られている最中、ドアをノックする音が聞こえた。カナグラがドアを開けると、そこには黒髪の少女が佇んでいた。
「要件を伺おう」
「っあ、あの…マルべさんに言われて来ました。シヴァドって人に剣を教えろと…」
辛うじて聞き取れる小さな声で、大きな朱色の目をカナグラに向けている。
「なるほど。君が来たか」
カナグラは少女を招き入れた。背はカナグラより少し高い。髪は後ろで一つに括られ、七分丈の上に半袖のシャツを着ている。短いズボンと長い靴下の隙間から見える脚は引き締まっていて、腰には手入れが行き届いていそうな長剣がぶら下がっている。
「はい」
少女の言葉は硬直したまま口から飛び出た。目の前の相手をあまり信用していないらしく、言葉を常に選んでいるように見える。
「彼は基本的な動き方にクセがない。教えやすいはずだ」
カナグラは少女に言い、シヴァドを手招いた。
「彼女はアザハだ。剣術においては並の騎士よりはるかに優れている」
アザハがシヴァドをじろじろと見て、納得したように頷いた。戸惑うシヴァドを横目に、カナグラは自分の部屋から木剣を持ってきた。魔法研究者のシヴァドに剣を教えるというのが、俺にとっては不思議だ。ここでは剣を扱うのが基本的なことなのだろうか?
「アザハ、シヴァド、準備はいいか」
まだ状況を飲み込めず、心構えもできていない俺の内心に反して、二人とも「はい」と返事をした。シヴァドの納得した様子に納得できないまま、俺たちは家を出た。
「王宮には中庭がある。とりあえずそこで練習するとしよう」
シヴァドは再び「はい」と返事をしたが、アザハは頷くだけだった。さっきの貴族の茶番よりも面白そうだが、彼女にはそう思えない理由があるらしい。
「カ、カナグラ様?」門番が狼狽える様子を意に介さず、「中庭で剣の練習だ」とだけ言ってずんずん進んでいく。
門をくぐって直進し続けると中庭にやってきた。王宮の中庭と呼ばれる割には噴水だの花壇だのもなく、乾いた土に覆われた殺風景な空間だった。
シヴァドは俺をカナグラに渡し、代わりに両刃の木剣を受け取った。
「構えて。そう…」
アザハが基本的な姿勢を確認している。
「重い長剣は両手で、手の高さは肩のあたり、刃先は相手に。軽い剣も基本的に両手で。でも大体は中途半端に長くて中途半端に重いから、自分で考えるのが一番いいよ」
俺はそういう剣術に詳しいわけではないので正解不正解などよく分からないが、アザハは頷いていたのでまあきっといいんだろう。
「神の石よ、一つ質問を許してほしい」
「俺にはキュプラという名前があるし、そんな敬われたくない。もっと適当に話してくれ」
少し沈黙してから、カナグラは無理やり俺に話しかけた。
「キュプラ、なぜシヴァドを選んだ?時間を置いて他の人間を選ぶこともできたはずだ」
口調はぎこちないが、言葉は静かだった。俺は答えに窮した。態度はともかく、内容まで適当に答えたくなくて少し考えた。
「俺が助けられなかった奴に、なんとなく似てたのかもしれない」
シヴァドは剣を振っていたが、切っ先の軌道はあやふやだった。
「助けられない存在が、君にいるのか」
カナグラの目が少し開く。返事をしようと思ったが、音が出てこない。思い描く音のどれもふさわしくない気がする。
「懐かしいな。帝国にいた若いころを思い出す」
アザハが剣の振り方を一通り見て、姿勢と持ち方を変えさせていた。
「…あと少しでしっかり振れるようになるよ」
そう言いながらも、アザハは首をかしげている。
「どうしたんですか?」
シヴァドが尋ねると同時に、中庭に誰かがやってきた。これまた十七くらいの年齢の金髪の青年だが、冷静な立ち振る舞いからは気品を感じさせる。そのあたりの通行人と変わらないような出で立ちだったが、一目見て通行人と違うと思った。カナグラが深々と一礼する。
「お久しぶりです、王よ」
「ああ。そうだな」
いきなりそんなこと言われても信じられるかと言われそうなものだが、ほかの二人も驚いたような表情だったので、恐らく本当に王なのだろう。
「色々と質問したいことがある。彼らは?」
「帝国との事件の話はご存じですか」
「先ほど聞いた。国境付近で民間の学者が殺害されたそうだな」
「はい。その学者の弟子がここで剣を握っている少年です」
王は青い瞳でシヴァドを見てから、隣のアザハに視線を移した。
「そちらの少女は?」
「彼に剣を教えています。最低限の自衛くらいは出来るようになってもらわなければ」
シヴァドは戸惑い、アザハの表情は険しくなった。
「神の石も見つかったそうじゃないか」
「ここに」
カナグラの手に乗った俺は王にまじまじと見られた。
「そんなに俺を見て面白いと思うのか?」
やはり俺が声を発すると思っていなかったらしく、王は少し戸惑ったが、穏やかに笑う。
「今もっと面白いと思い始めたところです」
「喋らなきゃよかったかも…」
王は俺を渡すようにカナグラに促し、カナグラはそれに従った。俺は王のズボンのポケットに入れられた。
「すぐに返すよ」
そのまま王は中庭を出て、王宮の廊下を歩き始めた。傾き始めた光が窓から差し込み、強く床を照らす。
「俺をどうするつもりだ」
王は人差し指を立てて、静かにするよう合図した。足音だけが聞こえる中、王はある一室に辿り着いた。
「よくぞおいでくださいました、我らが王よ」
貴族院議長を除く貴族たちが、狭い部屋で王を待っていた。火のついていない暖炉を背に、十名の貴族が革張りの安楽椅子に座っている。
「レデとダルダ、そして貴族院議長が不在のようだが」
「その説明は後ほどさせていただきますので、まずは我々の話を聞いてくださいませ」
王は自分のために用意されていた椅子にゆっくり座った。
「話とは言うが、先ほどの会議の報告書は軍部、教育部、生産部の各書記官から受け取っているが…」
「私たちが話したいのはこの先のことなのです」
貴族たちは陰鬱な表情で王を見据える。かび臭い連中だと思ったが、なんとか声を出すのは我慢した。
「早急にあの少年から、神の石を奪い取らねばなりません」
王はかすかに息を吐き出す。「理由を聞こう」
「例の少年、シヴァドは神の石の所有権を主張していますが、そもそも発見した時点で我々貴族や王にそれを伝えるべきです。しかし、その責務を放棄し、軍部に知らせました。これは我々の威信にかかわる重大事項です」
「そうか」王の感情はすぐに死んだらしい。貴族の発言に興味もなければ期待もしていなかった。
「それで、神の石を奪い取ったらどうする」
「もちろん国庫に丁重に保管します」
俺にそんな退屈を強いるとは、よほど信仰に篤いようで何よりだ。俺に手足が生えていればとっくに撲殺している。おそらく、この世界は神の存在がそこそこ重要視されている世界のはずだが、それにしてはこいつらに俺が都合よく見られているような気もする。
「報告書によれば、このシヴァドという少年は研究者であり、魔法に関する新理論を考え出したとのことだが」
「詭弁でございます!その少年は会議の言論すらも踏みにじっていますぞ!」
別の貴族が声を荒らげた。俺も危うく怒りを吐き出すところだった。
「考えておこう」
王はついに椅子に座らなかった。貴族たちを背に、狭い部屋の扉を開けて出る。誰かに呼び止められたが、歩みは止まらなかった。
「次はどこに行くんだ」
「私の部屋です。それまではどうか…」
「着いたら喋るからな」
王が一つ頷くのを確認して、俺は再び沈黙した。王宮の中央の階段を登り、開け放しになっていた玉座の間の前で右側の廊下に向かい、屋外の広い通用路を通る。見張りの兵士の敬礼に返事をしながら、迷いのない足取りで城の端の塔に向かう。塔の扉を開け、螺旋階段を登ると、豪華な扉で外と隔てられた王の私室に着いた。
「神の石よ」
「キュプラという名前がある。あと、あんまり敬われると会話しづらいから、近所のおじさんだとでも思って話しかけてくれ」
王は微笑んだ。俺を文机の上に置いてから寝台に座る。
「今日、私は正常に執務を終えた。執務が終わったのは正午で、一人で昼食もとった。主な執務の内容は、貴族から渡された書類の確認だが、書類の中身は多岐に渡り、かつ膨大だ」
「ほう…しかし、正午までに終わるもんなんだな」
俺の質問に、王は視線を伏せた。それから、慎重に口を開く。
「机の上にあるのは、貴族院からの前回の会議の報告書と、各部からの報告書だ。各部には私が直接依頼し、貴族院に内密に発行させた。読んでもらえるか」
「話を聞きながらざっと読んでいたが、随分貴族院と各部では違うもんだな」
各部の報告を貴族がまとめているはずなのだが、貴族の報告書では結構大事なことが書かれていない。例えば、教育部が魔法に関する研究の成果を一般に広めたいという要望が貴族から無視されている。
「恐らく、各部での報告が貴族によって妨げられ、私の仕事も減っているのだろう」
「面白いじゃないか」
「あなたからすればそうだろうな。君はシヴァドの身の安全を求めていると聞いたが、彼の安全を最も脅かすのは貴族院になるはずだ。しかしその貴族院に対しては近く私直々に尋問を行うつもりだ。しばらくは安全なはずだが、貴族たちがそれぞれに動き始めたらどうなるか分からん」
王は窓の外の城下町を眺めた。背から射す斜陽が、一人の少年の輪郭を黄金に染める。
「どうせしばらくは私のところに大量の仕事は来ない。暇になったら街にでも出て、武器の店でも眺めているさ」
「いいのか?そんなにふらふら出歩いて」
浮かんだ笑顔は不敵で老獪だった。心底楽しそうな声色で、俺を手に取る。
「私は王だよ」
俺は暗くなり始めた中庭で、カナグラに渡された。シヴァドはまだ木剣を振っていたが、アザハは納得していないようだ。
「何か話しましたか」
「今はまだ不明瞭なことが多い。はっきりしたら話そう」
王の返事に、カナグラは深く頭を下げた。
「うん。今日はここまでかな」
アザハの細い手がひょいと木剣を取り上げ、腰のあたりで抱えた。
「まだ君は抱え込んでいる何かがあって、それが腕を邪魔している…ように見える」
シヴァドは苦しいような悲しいような、微妙な表情でお礼を言った。
アザハは王宮を出ると一人で帰り、俺たちもまた帰路についた。道の途中で、カナグラが沈黙を重く打ち砕いた。
「…お前の師は、ファーゼンだったな」
「は、はい」
「ファーゼンは…帝国で私と共に学問を修めた仲だ。高潔な人間だった。私より一つ年下だったが、いつもそうは見えなかった。毎年手紙が来ていたが…十六年ほど前からは手紙が来なくなった」
老人の歩みが記憶に遮られて止まる。周囲は人もまばらになりつつあったが、その割には街が明るくにぎやかに見えた。
「彼が、死んだか」
その時はじめて、カナグラは俺たちの前で俯いた。
「今日はもう帰って寝なさい。家にあるもので自分の分の晩飯を作って食べなさい。私はまだ軍部本営に仕事を残している」
結局、俺たちだけが家に帰りついた。梨で晩飯を済ませようとしたのを大声で阻止し、無理やり高い肉を焼かせ野菜を切らせ、スープを作らせてパンを並べさせた。机に置かれた俺はシヴァドの様子を眺めていた。手はゆっくりとしか動かなかったが、確実に食べ物を口に運んでいる。
「嫌いなものとかないよな」
「何でもおいしいよ」
声は明らかにこれまでより沈んでいた。
「そうか…本当なら、先生と食事をしてたはずなんだ」
シヴァドの手がぴたりと止まった。しかし、俺を見てまた手を動かし始めた。
「何か言おうとしたか?」
「いや、食べるよ」
切られたパンは口元まで運ばれ、そしてまた元の皿に戻される。
「やっぱり言ったほうがいいぞ」
シヴァドの喉の奥から空気が漏れだした。口が少しだけ震えている。
「…なんて、言えばいいんだ」
カーテンの外から月光が食卓を照らし、白い食器の淵を彩った。
「気持ちはあるんだ。なのに、どう言えばいいのか分からないんだ」
「好きなようにすればいいさ」
俺は待った。本人からすれば悠久の時間が流れたように思えただろう。月光の射しこむ角度が少し変わったころ、シヴァドはまた食べ物を口に運び込んだ。動きはぎくしゃくしていて、本能に抗ってひたすら食べ物が口に運ばれていた。時間をかけた成果が、食器を空にする。
ついにシヴァドは食べ物を全て食べ終わった。片づけようと食器に手を伸ばす。
「やめとけ」
俺はそれを止めた。
「今日はもう寝ろ。お前はもうちょっとお前が疲れてるってことを自覚したほうがいい。あんまり色々考えるな、感情と疲労に従って眠れ」
少年は呆然と俺の方を眺め、風が吹けば掻き消されそうな声で呟く。
「僕を…情けないと思うかい?」
「師匠が亡くなって徹夜でクソみたいな会議に参加して剣を振って飯も食った。お前は立派だろ」
「…ありがとう」
彼は幽霊のように見えた。立ち上がり、着替えもせずに自分の部屋に向かい扉を閉めた。しばらく嗚咽が聞こえたが、すぐに静かになった。
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