第9話

その日、俺とシヴァドは剣の訓練を終えた後にカナグラと別れて城下町を歩いていた。シヴァドは街を歩くのが初めてだったらしく、自分の財布の中身を何回も確認しながら街並みに歩いて行く。俺の知ってる田舎者はそんなことしないんだけどと思いながらその様子を眺めていた。

日は既に暮れているというのに、街は賑やかでごった返していた。道は基本的に整えられた黒い石で補強され、主な建物は白い石材を接ぎ合わせたような壁と、尖った三角錐を細かい鮮やかな瓦で覆った屋根からなり、背の高さもそれぞれに異なっていた。背広を着た見るからに身分の高そうな紳士が宝石店を眺めていたり、山から下りてきたような泥に汚れた偉丈夫が風呂屋に入る様子が見られたりなど、人も建物も多種多様だった。

俺が元々いた世界とはだいぶ趣が異なるようだが、その隙間に見覚えのある所作を見つけては一人で安心していた。シヴァドはカナグラに許されて、今日だけ一人で街を歩くことを許されている。せっかくの機会なので、俺たちはアザハに何か贈り物でもしようと思って色々な店を歩き回っていた。

俺から見て、シヴァドは贈り物を選ぶのが下手ではなかった。一つ失敗があるとすれば、アザハ本人に好きなものを質問しておかなかったことだ。

そのため、店を慎重に回ってああでもないこうでもないと散々頭を悩ませていた。黄昏がすぐに夜を迎え、商店街の装飾品店をあらかた見終わったところで、広場に戻ってきた。

「どうしようかな…いいものばかりなんだけど、似合うかどうかというと…」

シヴァドは立ち止まった。

何だろうと思ったが、すぐにその原因が見えた。シヴァドくらいの年齢の少年が、土下座のような体勢をとって広場の隅にいたのだ。

「…これは…サミダレ草の亜種だな…葉の筋は並行でつぼみが青い…でもここは植生に当てはまらないはずだ…」

地面を凝視してぶつぶつと呟いている。俺の想像が正しければ、石と石の隙間から生えた雑草を観察している。

「あの、すみません」

俺の想像の三倍くらいの速度で、その少年は振り向いた。ぼさぼさの黄緑の髪が出鱈目に括られ、爬虫類のような目は大きく見開かれて、橙色の瞳をこちらに向けている。

「なんだよ?今結構いいところなんだけど」

「ここで何をしてるんですか」

その質問に呆れたような憐れむような、なんとも言い難い表情で返事をした。

「見りゃわかんだろ!見てんの!」

言葉が足らなすぎる。気を遣いながら、シヴァドは重ねて尋ねる。

「何を見てるんですか」

「サミダレ草だよ。この季節になると場所を選ばずに生えてくる。この青いつぼみが開くと赤色に変色して、月の周期に対応するように花粉を吐き出す。雨水を吸うことで成長し、葉には精神を落ち着かせる作用がある」

少年は葉を摘み取り、腰から下げた鞄にしまった。初対面とは思えない馴れ馴れしさでシヴァドに向き合う。

「あんた、見ない顔だけど何しに来たんだ?」

「友達への贈り物を探しているんです」

シヴァドよりも少年の背は少し低い。見上げる目は細く鋭く、シヴァドの穏やかな目つきとは対照的だった。しかしその目の奥に宿す光は、シヴァドと同じ好奇心に燃える研究者の目だった。少年はにいっと笑ってシヴァドを手招きする。

「俺はもう五日くらい連続でここに来てんだよ。案内できるかもしれねえぜ」

俺たちは促されるままに歩き始めた。少年は名前をトオガといい、植物学者らしかった。研究発表のためにやってきたが遅刻し、門衛に文句を言ったらつまみ出され、それ以降城下町近くの廃屋に住み着いているとのことだった。

トオガはすぐにシヴァドと仲良くなり、お互いの研究の話を始めた。普通の人が聞いたら頭痛を起こして卒倒するような難しい話だったり、驚くほどくだらない話だったり、内容は様々だ。

そのうち、話は買い物の話に移ってゆく。

「友達ってどんな奴だよ?」

「黒くて短い髪の女性だよ。剣を教えてもらっているんだ」

「じゃあデカい装飾品は買っちゃだめだな。そういや俺、ちょっと変な武器が獲物でさあ」

話に相槌をうっていたシヴァドがぴたりと足を止める。

「あれ?」

「どうしたんだよ」

二人の視線は前方の人影に注がれた。フードを深く被って顔を隠しており、全身を覆うマントの隙間から銀の糸で刺繡を施されたシャツがちらちら見え隠れしている。

俺とシヴァドは嫌な予感を覚えながら、その姿を凝視していた。

「貴様、神の石を持っているな?」

敵意に満ちた低い男の声が問いかける。

「いいえ」

人がシヴァドとトオガにぶつかりながら流れてゆく。

「知り合いじゃねえんだ…」

正気を失った人間を見る表情でトオガが人影を眺める。宗教の勧誘でもこんな距離感で詰めてこない。

「嘘をつくな。差し出せば何もせず済ませてやる」

「嘘も何も、持っていません。持っていたとしても、あなたのような知らない人に渡さないと思います」

言い終わるか終わらないかくらいのタイミングで、人影は前に手を掲げた。灰色の木の枝のようなものを持っている。

「短杖…ワンドだな」

シヴァドには武器がない。魔法が使えないわけではないだろうが、獲物が無いのは不利だ。

「ありゃあ暗殺魔法のための武器だ。正面から来るなんてちょうどいい餌じゃねえか」

「僕は別に殺したいわけじゃないんだけど…」

シヴァドが申し訳なさそうに答えると一瞬だけ呆れた顔でこっちを見たが、トオガはすぐに切り替えて不敵に笑みを浮かべた。

「攻撃を一回だけ防御しろ。そしたら来た道を戻って大通りに着いたら、公園に行け。俺も向かう」

ワンドの先端から赤い光が、心臓めがけて飛んでくる。俺が入っている胸ポケットにぶつかる寸前で、シヴァドが手のひらで光線をはじき返した。

「行け!」

トオガは人影に向かい、俺たちはその逆方向に駆け出す。驚く人混みをかき分けて大通りに向かう。

「誰だ!人込みで魔法なんか使う馬鹿は!」

誰かの怒号が聞こえて、すぐに過ぎ去る。

マントの男は俺たち以上の速度で空を飛び、人々を気にせず上から魔法を放つ。紙一重で光線をかわし、なおも走る。大通りで一度振り返って広報を確認したが、見逃さずにしつこくついてくる。

「これでどうだ」

マント男は複数の光線をワンドの先端から放射状に飛ばした。しかし光線は軌道を変え、全てシヴァドの心臓目掛けて飛んでくる。

「面倒だな」

シヴァドは大きく腕を一振りして魔法を跳ね返した。軌跡はマント男に向かう。少し動揺しているらしい隙を突いて再び駆け出した。

器用に体勢を変えながら、高速でマント男から逃げる。公園にはすぐに辿り着いたが、トオガの姿は見えない。

「あいつ、嘘ついて逃げたか?」

「そうとも思えない。でもいない以上、まずはここで迎え撃つ」

シヴァドが前に手を構える。迫ってきていたマント男はそれを見て立ち止まり、首を傾げた。砂埃がその足元で僅かに舞い、すぐに消えてゆく。

「生意気な小僧だな。神の石さえ渡せば済んだというのに…こうなればただでは済まさんぞ」

先ほどまでより強い光を纏った赤い光線が、シヴァドの周囲を巡り半球状の格子からなる牢獄を作り出す。フランス料理の中身のように、シヴァドは動ける範囲を封じ込められた。

「持っていなくても知っているはずだ!貴様には神の石の在り処を吐いて死んでもらおう!」

「冗談じゃない!」

格子から次々に光線が飛んでくる。シヴァドはそれを避け、あるいは反射して直撃がないよう防御している。

「攻撃しないのか?」

「この魔法は破壊魔法だ。魔力の密度が高すぎて、獲物なしの魔法じゃ太刀打ちできない」

小声での会話の最中も、マント男はワンドで魔力を檻に注ぎ続けている。必死でない耳を澄ませて、少しでも得られる情報がないか探ることにした。

「…なんだこれは…ありえない…」

向こうにとっても何か想定外の出来事が起きているようだ。聞いていると、もごもごと呟く声が聞こえる。

「一点に集めている…?そんな馬鹿な…」

一点というのはシヴァドの心臓にだろうが、それがなんで変なことなのか分からない。魔法の軌道が想定していた動きと違うようだ。

「おい、なんでこんな魔法が心臓ばっか狙うんだよ」

「分からな…いや」

光線を半身で避けると、攻撃の手がいったん止まった。どうやらより多くの魔力を注ぎ込むつもりらしい。

「仮説がある。確かめさせてくれ」

シヴァドは自分に何か魔法をかけた。それから、俺をこっそり取り出して長い紐のついた巾着袋に入れ、ハンマー投げの要領で自分を軸にして俺が円軌道を成すように振り回し始めた。俺が接近した魔法の格子が曲がり、俺に吸い寄せられているのが見える。

「何をしている…!?」

マント男の驚愕をよそに、シヴァドは一度俺を手元まで引き寄せて尋ねた。

「異常はないかな、キュプラ」

「特にない。つまり魔法が俺に引っ張られて吸われるってことか」

腰を落とし、ぐっと相手を見据えて確信している。

「勝てるぞ」

「何をごちゃごちゃ言っている…?大人しく…」

「こっち向け!」

不意に聞こえた声の方を見ると、トオガが長い棒を振り回してマント男に襲い掛かっていた。

「何だあの武器…!?」

機能的で無駄のない動きが、中国の武術の一つである棒術を思い出させる。

そこからは一瞬だった。

襲撃者が防御魔法を唱えた。

檻の隙間から俺が投げられ、魔法を吸い取る。

棒がまっすぐにマント男に振り下ろされ、直撃する。

マント男は地面に墜落した。

「おらよっ」

トオガはうつぶせに倒れた襲撃者の背中に乗り、顎の下に棒を差し込んで背を反らす。

「なんだお前いきなり襲い掛かってきやがって…!」

トオガはそう憤るが、成り行きを知らないと襲った側にしか見えない。

「遅いじゃないか」

カナグラがいつの間にか、広場の入り口に立っていた。相変わらず表情は読めない。

「すみません…」

「この男が原因か」

マント男を見下ろす老人の声は、明らかに普段より冷たかった。カナグラはいつの間にか抜身の剣を手に持っており、その先端でマントを引きはがした。顔色の悪い瘦身の男が、落とした自分の獲物を拾えずに硬直してカナグラを見上げている。しかし、カナグラが剣を振り、手首が勝手に後ろでくっつくと、観念したように項垂れ、何かもそもそと悪態をついた。

「事情を説明させる。シヴァドと君も来なさい」

トオガは反論しようと口を開けたが、シヴァドに止められて口を閉じた。

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